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縛られずに生きるたった1つの考え方

私は長年、たった1つの考え方に縛られて生きてきた。
そして随分と長い間、その考え方のせいで苦しんできた。

“私には何も出来ない“

“生きる価値すら感じない“

そんな風にネガティブ思考に陥ってしまっても自分にはできるんだと言い聞かせて何度もどん底から起き上がって頑張ってきた。
それでもまた壁を目の前にすると挫けてもうダメだと落胆する日々。

結局、人生が明るくなる日なんて一生来ないのだろうと絶望して一人でひたすら泣きじゃくっていた。このままいなくなったら楽になるではないかと考えたこともある。

地獄の底まで堕ち、失うものが何一つ無くなったある時、一つのことに気付く。

“私って自分のために生きれていないな“

いつも人の目ばかり気にしている。現時点の自分が他人にどう思われているか。

そして何よりも
“母にどう思われているのか?“

これが強かった。

母に認められたい。母に褒められたい。母を失望させたくない。

そう、随分と長い間、私は母という存在に苦しんできた。
母のことが大好きであるが上に、認められたい、娘として誇りに思って欲しい。
ずっとこの考え方に苦しまれてきたことが地獄の果てまで追い詰められた時に気がついた。

私が人生を変えようと⚪︎⚪︎⚪︎をしたいと母に伝えると、私のために全力でサポートしてくれる母。しかしそのサポートに応えられず、母は私に対して失望をする。そんな母の姿を見て、自分を責め、苦しくなる。この繰り返し。

母が私のために手を差し伸べてくれる度に彼女を喜ばせないといけないと奮い立たせ、自分を追い込み、そして頑張りすぎて精神的に追い込まれる。

これまで過酷な状況を乗り越えてきた母には精神的に追い込まれて動けなくなる私を理解するのは難しく、言い合いになり仲違いになる。
そして毎回この状況に陥るのは母のせいだと怒ったり、また裏切ってしまったという罪悪感で胸が苦しくなる。

でも母は決して悪くないのである。

母に認めてもらうためには出来もしないことを選択したり母の言うことを100%飲み込んでしまう自分が悪いのだ。

誰かのためにではなく、自分の意思で物事を選択することが何よりも大切である。

この簡単そうで難しい考え方に気付くのに随分と時間がかかった。

人生というゲームのコントローラーを操作するのは他人ではなく紛れもなく自分自身だ。

マリオが私でコントローラーも私だ。

そんなふうに考え方を見直したら
人生が楽になった。

いつもありがとうね。

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