メンタル鍼灸&カウンセリング 尾澤先生インタビュー書き起こし

3月にメンバーシップ限定で配信したメンタル鍼灸&カウンセリング おざわ鍼灸院の尾澤先生へのインタビュー。
 
ひとりでも多くの人に先生のことを知ってもらいたくて、前編の一部を書き起こしてみました。
続きが気になったら、ぜひこちらのページへ。
 
【聴く・前編】very very slow gathering vol.1 ゲストは尾澤勝先生!
 
【聴く・後編】very very slow gathering vol.1 ゲストは尾澤勝先生!
 

「バイクじゃなくて人を治そう」


1965年、東京都杉並区に生まれた尾澤先生。
高校の普通科で学んだ後、とくにやりたい仕事もなかったため、友人に誘われたのがきっかけでオートバイ修理・販売店に就職する。20歳のときに勤務中の事故で腰椎圧迫骨折を負い、丸2ヶ月入院することに。
 
病院の先生やリハビリの先生と関わる中で、ある日「ふと思ったんです、一瞬で。コンマ何秒。『バイクじゃなくて人を治そうかな』って」。

退院後、職場を離れ、専門学校の受験勉強をしながら、学費を稼ぐためのアルバイトを続け、26歳で日本柔道整復専門学校に入学。日本鍼灸専門学校でも学び、晴れて国家資格を取得した。

32歳で”先生”として現場に出たものの、患者さんを治したいのに治せないシーンに直面する。
 
 以下、書き起こし

ー32歳で学校を卒業したら、次は現場に出るんですか?
そうです。資格を持つと患者さんは(僕のことを)なんでも知ってる人だと思って、いろんなことを質問されるわけですよ。学生の時は「わかりません」で済んだけれど、いきなり質問攻めになるわけ。「僕、お医者さんじゃないです」と言いながら、でも、わーっと質問がくる。
 
現場に出ると、やっぱりね、みなさんもそうだと思うんですけど、いろんな病気を抱えてるじゃないですか。目だけ悪い人はいない。腰も痛いし、肩も凝るし、血液の数値も……。いろんな複合的なものがあるし、そこにプラスでストレス。仕事、家庭、親との関係。いろんなものを抱えているじゃないですか。でも、患者さんは「頭が痛い」「腰が痛い」とやってくるわけです。

そこに学校で習った理論をぶつけてもなかなかよくならない、というところにね、治療家は1度はまるんです。鍼の学校に通っていたときは、こういう病気にはこういう治療をしましょうと習うけど、それを自分がやって(体験してい)ないじゃないですか。頭でっかち、理論上で治るんだと思っているだけで。臨床に出ると、歯が立たない自分を見させられる。治療家の先生はみんなそうだと思います。
 
ーそれは早々に?
治るものもあるんだけど、やっぱりね、相対的に治らないところにたどり着いてしまって、それがいわゆる潜在意識に潜り込むわけですよ。自分は”治せない治療家”というトラウマになる。どこかに劣等感、ダメな自分を作ってしまうんですよね。そこからですね、もうひと足掻きしないといけなかったのは。

たとえば勉強会に行ってみたり、お金を払ってセミナーに行ったり、中国の古典を漢文で読んでみたり。どこかにヒントがあるはずとみんなやるんですよ。僕もそれをやったけれども、そこには答えがなかった。多少はあったかもしれない。気づきはあったかもしれないけれど、これじゃないと思ったんです。

で、患者さんの話をいろいろ伺っていると、物理的な身体のコリや痛みじゃなくて、背景にストレスやメンタルの落ち込みだったりがあるなと。そこを(僕が)受け取っていると、(患者さんが)治っちゃうということに気付いたんですよ。
 
ーえ? それは開業前? 開業後?
前、前。そんな感覚はあったんです。
 
ーそのときはメンタル&カウンセリングとは名乗ってないですよね? でも先生はそこを聞くことをやるようになった。
そうです。仕事をしながら話は聞いていましたよね。治らない自分を知っているから、情報収集をしたいんですよ。いろんなことを聞きたい。
 
ー「尾澤さん、(診察)時間長すぎ」とか言われないんですか?上司に。
そういうこともありました(笑)。でも、(僕は話すのではなく患者さんの話を)聞くだけですけどね。そういう経験をずっとしてはいたんです。心にも病があるというか、心が塞ぎ込んでいると、身体にも絶対影響するというのは学んでいた。ただ当時は自分の治療スタイルにはなっていなかった。
 
ーそれは勤めているからですよね。で、40歳で豪徳寺で……。
開業資金を貯めながら、自分でできる範囲とできない範囲を見極めたかったんですよ。ここまではお医者さんに行く範囲、ここは自分でできる範囲と知るためにある程度の時間は必要だった。修行というか見習い期間。

そして、自分の予定通りに、イメージ通りに2004年に40歳で開業しました。そのときは保険で外傷の治療をして、慢性疾患は鍼で治すスタイルだったんです。ですが、やっぱり治せない自分という劣等感はあったから、そこでも試行錯誤をしていろんなことをやっていた。
 
ーどんなことをしていたんですか? 今との違いは?
やっぱりね、今から考えると対処療法だったと思うんですよ。
 
ー対処療法?
患者さんが訴えた症状をとってあげることで患者さんは喜ぶじゃないですか。「寝れないんですけど」と言われたら、寝られるようにしてあげたら患者さんは喜ぶ。「腰が痛い」と言われたら、腰の痛みをとれば喜ぶじゃないですか。

でも、それをやっていると、またなるんですよ。ちょっと腰の筋肉がほぐれて、そのときは、ありがとうございますと言われるんだけど、また2~3日すると痛くなっちゃう。血流をよくすると寝られるようになるけれど、それも何日かすると……。ひょっとすると悪くなることもあるんですよ。

それでやっぱりできない自分が出てきちゃうわけ。「ほ~らできないだろ」ってもう1人の自分が囁くわけ。なんとかしなきゃいけないと思ったときに、これは心の病、心に受けた傷とかわだかまりとかストレスとかを、患者さん本人が納得することだと。「これ、気付かなかった!」「ここを自分で責めてた!」とか。そういうことを感じて、理解して、納得して、受け入れるまでは治らないと感じたんです。
 
ーうんうん。
でも、考えてみれば自分も(自分に対して)同じことをしてたわけじゃないですか。治らない患者さんを見せられて治らないと思っていた。自分を見ていたんですよね。
 
ー患者さんを通して自分を見ていた?
治らない患者さんを見て、治せない治療者だと思い込み。患者さんは治らないといい、だめだと思い込み。
 
ーお互いに……。
それは自分自身が「治せない」と思っていることが、まず治せない治療家の第一歩になっちゃってるわけですよ。
 
ーなるほど……。じゃあ「自分は治せる」と思ったら治せるんですか?
(小声で)そうでもなかったんですよ。
 
ー(笑)。
客観的に自分を、こう、見るというのが必要だった。もうひとつ言うと、愛がなかった。
 
ー愛?
愛がなかった。今考えると。場当たり的なことだけで済ませようとしてた。「軽くなったでしょ。はい、じゃ、さよなら」って。その人の中まで深く入り込もうとしていなかった。入っちゃいけないと思っていたのかもしれない。
 
ーそれは歴史的に? そこまではしないことが正しいという思い込みがあった? それともそれをやると先生の負担が大きくなって面倒臭いって?
そうじゃなくて。治療って、深くまで入り込むものじゃないと思ってた。患者さんの症状をとってあげることがベストだと思っていたので。その人の私生活や仕事や考え方にまで踏み込むなんてって。でも、それに気付いたら、踏み込むって言い方はちょっと変かもしれないけれど、その人の身になって一緒に考えてあげたり、悩んであげたりすることで、患者さん本人がすごく癒されることに気付いたんですよ。
 
ーうーん(頷く)。
で、そういうことをしないと根本的に治らないのかなって、漠然と思って。僕も試行錯誤したんです。心理学の本を読んでみたり、精神科の勉強をしてみたり。インフルエンサーみたいな人たちがどんな発言をしているのかとか勉強をしましたね。
 
ー患者さんを治せなかったときに、先生は自分の身体にきちゃったことがあったじゃないですか。それはその後の話?
その辺ですかね。当然気付いていたんだと思います。要するに治せない自分がいて、治したい自分がいて。ずっと自分を癒すとか愛するなんて考えたことがなくて。目の前の人を治したいと思っていて、治せない自分はだめなんだと傷つけていたというかいじめていた。

それでいよいよ身体が悲鳴をあげて、心臓の病気になってみたり、蜂窩織炎といって足にバイ菌が入って腫れてみたり。そうすると強制終了ですよね。
 
ー休め。
休め。でも頭の中では休むなんて考えられないんですよ。休みの日にも患者さんの往診に行ったり、電話があれば来ていいよと言っていたのに。その自分が1週間休んで、患者さんに迷惑かけて自分の治療をするなんて考えてもいなかった。
 
ーそうか。自分を犠牲にしてまでも、まず他人。外に向いていたんですね。
そう。それをやると自分を痛めつけていた。大切にしていなかったり、愛していなかった。入院って何もすることないじゃないですか。白い天井を見上げて「何やってるんだろうな」なんて思うわけですよ。

そこで、自分をいじめてたなぁって。美味しいもの食べに行ったりとか楽しいことがあるのに、それを優先しないで、まぁ患者さんのためにと。それが正しいと思ってたんですよ。そうじゃなかったと気付いたときにひっくり返りましたよね。
 
ーなんでそうじゃないって……。なんで、パンってなったんだろう? 
だって、忙しく働くことがよいです、努力をすることがよいです、お金を稼ぐことがよいです、早くすることがよいです……というなかにいたわけじゃないですか。患者さんに喜んでもらえるなら、それが美徳と。でも、身体に出ちゃって、「そうじゃないよ」って。「これはメッセージなのかな?」と思ったってこと?

そうですね。いつまでも自分が若いとは思っていなかった。(そんななかでも)身体は動くものだと思っていたんだけど、やっぱりいろいろ出てくるわけですよ。それで、何かあるな、何かメッセージだなって思ったんですよ。たまたま病気をしたんじゃなくて、(身体が)何かを言ってるんだなと。何かを受け取らなきゃ、受け取らなきゃと思ってはいた。何か「もう1回考え直せよ」「止まってゆっくり考えなさい」と。

そのときにパっと思ったのが、人を救いたい、治したいと言ってる自分が治らないのはおかしくない?って。
 
ーハハハ、確かに!
え? ちょっと待てよって。あぁそうか。治したいっていうのは外にしか向いてなかった。自分のことなんて考えてもなかった。それは自分を愛していなかった。大の大人が愛とか、何言ってんの? 気持ち悪いとかいう感覚もあったけれど。人類愛というのかな。「好きです。愛してます。付き合ってください」ではなく。優しく扱ってなかった、自分自身を。だから病気になったんだな。確かにそう思うと納得するんですよ。

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