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No.12 "El amenazado"-怯える男 : ホルヘ・L・ボルヘス

怯える男

ホルヘ・L・ボルヘス

それは愛。私が身を隠さなければ、あるいは逃げなければならないもの。

残酷な夢の中のように愛の牢壁が育つ。美しい仮面は
変貌してしまった。でもそれだけに心惹かれるのは変わらない。私の
護符たちは何の役に立つのか? 文字の練習、曖昧で広い知識 、荒れた北部
の人々が海や剣について謳うための言語の学習、穏やかな友情、
図書館の展示室、ありふれた品々、習慣、
母の若い愛、死者の軍隊の影、時空を
超えた夜、夢の味は?

あなたと居る時間か、あなたと居ない時間か それが私の時間の尺度。

盆から水はこぼれてしまい、人は鳥の声を上げる。窓の外を見る者は
既に闇に包まれたが、影は平安をもたらしはしなかった。

知っているんだ、愛だと… あなたの声を聞くときの不安と安らぎ、
期待と思い出、それと共に生きていく恐怖。

それは神話や、役立たずのちっぽけな奇跡を伴う愛。

怖くてどうしてもその角(かど)を曲がれないのだ。

今にも軍隊が近づいてくる、大群が。

(この部屋は非現実だ : 彼女は見たことがない)

ある女性の名が暴く。

私の全身に走る痛みを。

El amenazado
Escrita por Jorge L. Borges
Traducida en japonpés por Keiko
©Todos los derechos de la traducción reservados


【翻訳メモ】

数年に一度くらい、どうしても読み返したくなり、実際に開くと毎度激しく後悔していた本があります。

ホルヘ・L・ボルヘス(1899年 - 1986年)の短編集『伝奇集』です。
鳥肌が立つくらい面白く、恐ろしいくらい読みにくい本。

ボルヘスは、アルゼンチン出身の”知の巨人”。膨大な読書と知識の量。小説家、詩人、著述家であり、遺伝性の疾病で晩年は盲目となりましたが、口述筆記で作家活動を続け、国立図書館の館長にもなりました。盲目の図書館館長…カッコよすぎますね。ミステリ小説の愛好家でもあります。

『伝奇集』はボルヘスの小説としては初期の作品ですが、実在しない本についての書評や無限、循環、神話、知識、記憶など、その後の短編小説でも繰り返される彼のスタイルや取り扱うテーマが、いきなりまったく無駄のない結晶としてほとんど完璧な形で文章化されています。
各々の作品の内容について書き始めると、どんな感想も要約も充分では無く... 『伝奇集』をそのままここに書き写すのが一番早く正確というボルヘス的結論に辿り着いてしまいます(『伝奇集』読まれた方にはわかって頂けると思います…)。

神話や幻想的な物語から着想を得た各々の小説は、その着想だけで彼の天才を知ることができると思います。読書好きの方には、ぜひ、最初の数ページずつだけでも読んで欲しい。私は『伝奇集』巻頭の『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』の最初の数ページだけで、「自分が手にした本だけに、同じ本の別の版にはない数ページがあったら?」と色々なことを夢想し始めて、ワクワクしすぎて数日間読み進めることができませんでした。また、『バベルの図書館』でドラえもんの四次元ポケット以来”無限”のビジョンを一瞬で見、『記憶の人、フネス』で全ての瞬間を記憶してしまう人の意識に残る日没を妄想し…
しかし、短編とはいえ一つを読み切ることすら、非常に難しいことにすぐに気づいて、それ以来この私の本棚の中にある小さくて薄い文庫本は、巨大な超えられない壁のような存在になってしまいました。数年ごとに取り出しては、鳥肌が立つような世界に一瞬浸り、知の巨人の掌の上でしばらくうろうろとした後呆然と立ち尽くし、本を閉じてしまうのです。

なぜ読みにくいのか?
最近やっと言語化することができました。
彼の本自体が彼の作り出した迷路なのです。
無限・循環・本・鏡・記憶...を扱っているボルヘスの小説自体が見事に循環し、重層的で、虚実ないまぜであり(多すぎる参考図書や人物の注釈や、引用される理屈が通ってるんだかいないんだかわからない例え話などなど…)、極限まで研ぎ澄まされた知性は狂気の相を呈し、その狂気があまりにも理性的で理路整然としているため、これは非常に高度なユーモアなのではないか?と読むものを翻弄し…このボルヘスの迷路の中で愉しむことができる人が彼の小説を最後まで読み切ることができるのではないか、と最近気づきました。
これに気づいてから、やっと『伝奇集』の作品を最後まで完読できるようになってきました(一編ごとに圧倒されてしまうため、一年に一、二編ずつくらいですが…)。

さて、今回取り上げた詩ですが、ボルヘスは小説よりも早く詩を書き始めました。視力を失ってからは、口述筆記で定型詩を好んで創作するようになったそうです。この”El amenazado”は1972年の作品ですので、既に視力は失った後でしょう。

この詩を訳し、また数編のボルヘスの詩を読んで一番に感じたのは「詩の方がボルヘスの感情が見えて小説よりずっと読みやすい」ということです。ごくごく一般的なイメージとして、詩の方が説明がなく抽象的・直観的で読みにくい場合が多いというのがあると思います。
しかし、ボルヘスに関して言うと、小説は頭でっかちで、いろいろな知識を駆使して(私個人の感想です…)、言葉でエッシャーの絵のような不思議な迷路を表現しようとしているので、感情的な部分がほとんど排除されているのに対し、詩の表現は素直で、彼個人の想いが書かれていますし、最後にちゃんとオチ(その詩の結論のようなもの)をつけてくれたりしています。

今回の”El amenazado”にしても、若い頃の作品かな?と最初は思っていました。それくらい、瑞々しい。
ボルヘスは虚弱な子供だったそうです。彼にとって、知識を蓄えるということは、肉体的な弱さを補うための一種の手段だったのかもしれません。しかし、どんなに知識で武装をしても、そんなものはある女性が彼を嘲笑するように口元をゆがめるだけで、全て粉々に砕け散り、肉を切り裂いて痛みを与える…ボルヘスの知識武装の鎧の強度は世界トップクラスのはずです。その人が言うんだから、本当に全然役に立たないんでしょうね。

ボルヘスのインタビューなども、読むとその記憶力と膨大な知識にただただ驚くばかりですが、それと同時に、彼の謙虚な人柄や、単純に本が、読書が好きなんだなあということが言葉の端々から伝わり、そのシンプルさに清々しい感動を覚えます。
ボルヘスの詩は、彼の人柄を知るのにとても良い、彼が日常について語っている素直な言葉のサンプルではないかと思います。

読書の悪魔的な魅力にからめとられるような読書体験をしたい方、現実と非現実の絡み合った迷路で時間を忘れて彷徨いたい方。ボルヘスをお勧めします。

ところで、"El amenazado”は直訳すると「脅されている(人)」です。かなり意訳してみましたが、いかがでしょうか。また、

”あなたと居る時間か、あなたと居ない時間か それが私の時間の尺度”
Estar contigo o no estar contigo es la medida de mi tiempo.

この一文は、ボルヘスの詩の中でも特にロマンティックであるとして、有名なのだそうです。うまく訳せていればよいのですが。ロマンティックにもなれる”知の巨人”なんて、実は無敵なんじゃないかな。

原文はこちら***************************************

El amenazado

Es el amor. Tendré que ocultarme o que huir.

Crecen los muros de su cárcel, como en un sueño atroz. La hermosa máscara ha cambiado, pero como siempre es la única. ¿De qué me servirán mis talismanes: el ejercicio de las letras, la vaga erudición, el aprendizaje de las palabras que usó el áspero Norte para cantar sus mares y sus espadas, la serena amistad, las galerías de la biblioteca, las cosas comunes, los hábitos, el joven amor de mi madre, la sombra militar de mis muertos, la noche intemporal, el sabor del sueño?

Estar contigo o no estar contigo es la medida de mi tiempo.

Ya el cántaro se quiebra sobre la fuente, ya el hombre se levanta a la voz del ave, ya se han oscurecido los que miran por las ventanas, pero la sombra no ha traído la paz.

Es, ya lo sé, el amor: la ansiedad y el alivio de oír tu voz, la espera y la memoria, el horror de vivir en lo sucesivo.

Es el amor con sus mitologías, con sus pequeñas magias inútiles.

Hay una esquina por la que no me atrevo a pasar.

Ya los ejércitos me cercan, las hordas.

(Esta habitación es irreal; ella no la ha visto.)

El nombre de una mujer me delata.

Me duele una mujer en todo el cuerpo.

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