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Educated foolとジントニック

パットのパブに新しいバーメイドとバーテンダーが来た。
メイドの方は、アンナといい、小柄な女性だった。英語の発音はイギリス人の発音だが、わかる人にはすぐわかるらしく、お客さんに「あなたはポーランド人でしょ」と言われていた。アンナの両親はポーランド人、イギリスに移住したのはアンナが4歳の時で、家には英語が全く話せないおばあさんとおばさんが家にいるので、家の中ではポーランド語を話しているという。大学に通っていたが、ドロップアウトしたらしく、ひまだからパブに来ていると言っていた。

もう一人のバーテンダーはシェーンという男性で、若い。ケンブリッジ大学を卒業して、建築事務所に行くことになっているが、建築事務所での契約は来年の3月かららしいので、しばらく小遣い稼ぎでパブで働くことになったらしい。よくよく聞けば、西ロンドンで不動産会社を手広く経営している北アイルランドのベルファスト出身のシェーンの息子だという話で、ぷらぷらしているシェーンにお父さんがバイト先を探して来たという話だった。

アンナのことは私は「ベラ」と呼んでいる。化粧をするとベラハディッドというスーパーモデルに顔が似ているからである。まあ、ベラと呼ぶのは私だけで、他はアンナと呼ばれていた。そしてシェーンは口の悪い常連からは「Educated fool」(教育されたおバカちゃん)と呼ばれていた。

この言葉は、まあ、いい大学出ていても世間にたけてない浮世離れした人のことをそうやって呼んだり、どこか抜けていて「お前本当に大学出たのかよ」というようなタイプの人を揶揄するのに使われる言葉である。まあ、パブの人もシェーンをこのようなあだ名で呼ぶのはやっかみもあってそうやって呼んでいるので、バカにしているわけではない。パブの常連はシェーンの目のまえでも父親のシェーンの前でも、こうやって彼のことを呼んでいた。

今月の確かいつぐらいだったか、日曜日にリバプールとマンチェスターシティの試合があった。リバプールは私が行っているパブでは一番か2番目くらいにサポーターが多く、試合がある日はパブはぎっちりになる。今年、リバプールはあまり調子がよくなく、トップ6にも入っていないが、やはり昨年までの強豪ではあるし、名門ということで、現在2位で強豪であるマンチェスターシティにどこまで食い下がれるかということで、試合の日はお客さんでいっぱいだった。

パットのパブにリバプールの試合があるとたまにだがリバプールサポーターのインド系のイギリス人の集団がやってきた。2,3人の時もあれば、14人くらいの時もある。その時によってまちまちだが、試合が始まるギリギリかもしくは試合が始まってちょっと経ったときにやってきた。大体立ち見か、テレビから遠い大きなテーブルに座って試合をじっと見ている。いつも長老らしき人が「白ワインボトル2本、グラスはxx人前用意して」と手短に注文を出し、グラスとボトルを受け取って、席に戻って行った。

正直、パブではあまりインド系の人を見ない。いることはいるが、パットのパブでは3人しか顔を出さない。一人はパットのパブが入っている同じビルに入っている保険代理店の店長シャーミン、インド系であるが、奥様は白人のイギリス人であるリバプールサポーターのエディ、インド系とアフリカ系の混血である将軍様の3人である。インド系は、男同士が集まってパブで飲酒をする習慣はないとみていい。なので、パブに来るインド系の人達もどちらかというとイギリス人よりの生活習慣を持っている人が多いような気がする。

そんな感じなので、大人数でぞろぞろやってきて、リバプールの試合を黙って見ているインド系の人達を見るのはちょっと不思議だった。時々、敵方がうかつにシュートなどを決めると低い声で「くそデブライネ死んでしまえ」とか言っているのは聞こえたが、それ以外はあまり喜ばないし、変なヤジを飛ばすわけでもなく、試合をじっと見て小さい声で話をして試合が終われば、各人が空のワイングラスをカウンターへ戻し、帰って行った。

この日も、長老が「白ワイン2本とグラスxx前、あと一人車で来てるのがいるからシャンディ。」と注文を出した。アンナがワイングラスを用意し、シェーンがワインを冷蔵庫から出した。そしてシャンデイだが、2人ともレジにあるシャンディのボタンを見つけようとして止まってしまった。シャンディのボタンがない。シェーンが「お客様すみません。このパブにはシャンディはないのです」と答えようとしたところで、誰か常連がものすごい大きい声で「パット、サポートしてやってくれ、この二人じゃ無理だよ」と怒鳴ってパットを探し始めた。

パットはテラス席の掃除をしていたらしく、箒やらブラシやらを持ってカウンターに戻って来た。「なんだよ、急に」と言ってカウンターに入ったパットに、インド系の長老が「シャンディを1パイントください」と言った。そしてシェーンが「シャンディのボタンが見つからないからここにはおいてないんじゃないの?」とパットに聞いた。そして隣にいたアンナもうなずいていた。

パブが凍り付いた瞬間だった。この若いの二人はシャンディを知らないのだ。
最初はパットは事態を理解していなかったが、常連が「シャンディはビールとレモネード1:1」と助け船を出し、ようやくパットは事態を理解できたらしい。「まず、ラガーかエールシャンディにするか聞いて」と言って、お客様は「エールシャンディ」のご希望なので、エールを最初パイントグラスの半分までつぐよう指示、それからスプライトを口切り一杯パットが足した。「レジはビールの半値とスプライトの半値を足して請求」とパットが指示して、ようやく、シャンディが出てきた。

シャンディは、カクテルの一種である。フランス語だとパナシェというのか。ビールとレモネードを1:1で混ぜたものになる。シャンディガフという飲み物もある。これはビール1に対してジンジャーエール1を混ぜたものである。

シャンディは若い女性や、ビールやお酒があまり得意ではない女性がよく飲むドリンクというイメージである。現に私がイギリスに来たばかりの頃、パブでお酒をどうやって飲むかを教えてくれた人が「初心者はビール1パイントだときついからシャンディから始めるといいわよ」と言ってくれた。

イギリスのパブは、ビールの単位は1パイントである。グラスはパイントグラスと言われ、1パイントがおいしく飲めるような設計になっている。1パイントは568ミリリットルで、日本の生中が435ミリリットルなので、それに比べるとかなり多い。そして、イギリス人は泡を毛嫌いするので、泡が低い場合が多いので、実質日本の生中より量が多いと見ていいだろう。それを慣れていない人が注文して飲むのはかなりきついと思われる。特に女性がそうで、そういう子には、シャンディがいい、というのがパブへ行く人達にとっては常識、みたいにはなっていた。

そのうちシャンデイは卒業し、ビールやらサイダーを飲んだり、ワインを飲んだりするようになる。シャンディはあくまで初心者向けのドリンクであり、あとはお酒が強くない人がパブでビールを飲むためのドリンクなのであった。

しかし、今の若いのはシャンディ知らないんだね、とパットと常連たちはため息をついた。シェーンはケンブリッジかもしれないが、何も知らないんだな、と誰かが言った。アンナは、ポーランドの家族だから、やっぱりパブカルチャーには疎いだろうね、とも言われていた。

これは「Educated fool」でものを知らない、バックグラウンドがイングリッシュではない、というだけの話でもないだろうと思う。私がイギリスに来た頃と今とでパブもだいぶ変わったのだから。

まず、若いのがパブへ行かなくなった。パブで飲むお酒は酒税が含まれており、ある時から増税で一気にパブのお酒の値段が上がった。昔は失業手当をもらっているようなのが昼間から飲んでいたのがパブだったが、失業手当をもらうような人はパブでお酒を飲めないくらい高くなってしまった。家飲みの方が経済的、ということで若い子は家飲みがほとんどになり、パブデビューの年齢が一気に上がってしまった。(家飲み用のビール、1パイントが1ポンド30ペンスくらい、パブがだいたい4ポンド40くらい。)

この酒税のおかげでパブ文化が滅びるという説を展開しているパブチェーンもあるくらいである。(wetherspoon というパブチェーン。パブチェーン、ホテルチェーンとしても有名だが、重役がロビー活動を頻繁に行ったり、新聞が間違ったことを記事になどするとすぐに反論広告を出したりする、という非常にアグレッシブな、というか物を言うパブチェーンとして有名。)

そして、2008-2009年に画期的な出来事が起こる。クラフトジンブームの火付け役となったシップスミスがロンドンで醸造開始になり、この辺からクラフトジンやオーガニックジンなど、ジンの種類が異様に増えた。若い人を中心にクラフトジンブームが巻き起こり、消費量が一気に増えたのである。

昔はジンと言えばパブは、ゴードン一本槍だった。ちょっとこじゃれたパブに行ってようやく、タンカレーやボンベイサファイアあたりが置いてあるくらいだった。そしてパブで、ジントニックを頼んでも、「エリザベス女王と一緒だねあんた」と言われるくらい、ジントニックはおばあちゃんの飲み物だった。ジンを割るとニックウォーターもウィルキンソンのウォーターしかなかった。(先ごろ亡くなったエリザベス女王は昼食はジンを召しあがっていたという話。)

今はどこのパブ行っても10種類くらいのジンが飲めるようになった。ジンの老舗のゴードンも、ピンクジンやらオレンジ色のジンを販売するようになった。ピンク色のジンはベリーのフレーバーがついており、オレンジはオレンジフレーバーである。ピンクやオレンジ色のジントニックのグラスがパブに流通するようになり、どこのパブもかわいいフルーツの飾りつけなどを施すようになり、ジンはファッショナブルな女性の飲み物に躍り出た。そして、ジンを割るトニックウォーターも、人工のキニーネの味ではなく、天然のキニーネの風味がついたフィーバーツリーという会社のトニックウォーターが主になった。

(最近は日本のクラフトジン、六というものもパブに置かれるようになった。)

現在のところ、ジンがパブの女王様、という事態になってしまった。若い女性はほとんどジントニックを飲むようになり、パブが初めてで、「何を飲んだらいいかな」という人には皆さんとりあえずジントニックを推薦するようになった。パブも単価が高いので、ジンの方が儲かる、という思惑もあったろうとは思うが、あっという間にジンがはびこるようになった。

初心者向けと思われたシャンディやハニーデュー(はちみつビール)と言ったドリンクが隅に追いやられる事態になった。私もシャンディのことは、この事件があるまですっかり忘れていた。

昔の名残があるパブは、入り口が2つに分かれているインテリアのパブがある。メインの入り口は男性でワーキングクラスでない人達用で、もう一つはそうでない人達用などという風に昔はパブの中が分かれていた。あとこれはよっぽど古いパブに行かないと残っていないが、パブのカウンターの一番端っこが更衣室のようになっているパブがある。これは女性がこの中に入って酒を飲むためのセパレーションという話である。(ホルボーンにあるプリンセスルイーズに残っている。もしくはダブリンのテンプルバーの入り口のパレスというパブにもあった。)

あと、女性がパイントグラスでビールを飲むのは80年代の中ごろまではご法度とされていたという話も聞く。女性はハーフパイントグラスでビールを頼んで男より飲まないというのが暗黙の了解だったという話も聞いたことがある。

長い間パブに通っているといろいろ話を見聞するが、そのうちシャンディとかハニービールとか、ジンジャービール(しょうが風味のビール)などもそういう風俗の一つになるのだろうなあ、と思う。

確かに今のジンは後味がすっきりして、二日酔いにもなりづらく、夏場には本当にさわやかでおいしく、いくらでも飲めそうな飲み心地、みんなが夢中になるのもなんとなくわかるような気がする。イギリスのクラフトジンが地元のバーやパブにあったら、ぜひ試してもらいたいと思う。












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