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ネットに漂う塵とバカ

カナイです。

年末までの忙しさを一旦チャラにして、新年を迎えてぼんやり今年の展望を企ていたのですが、業務開始早々にいろんな問題が積んできてしまい、ふとこのCMのセリフを思い出しました。

1991年に放送された、桃井かおりが「世の中、バカが多くて疲れません?」と語りかけたCM。これにクレームが殺到した結果、

「世の中、お利口が多くて疲れません?」と変更されたのです。

本質的には疲れに効く商品のCMなので、そもそも疲れるとはどういうことかを突いたメッセージで、一部のクレームに対しても、言い訳や謝罪やでなく、クリエイティブで返した、非常に想像力の高い作品だと思います。


年末年始にかけていくつかコンテンツで炎上騒動がありました。それをSNSで目にして、「この作り手たちには、なぜ想像力がないんだろうか」と思うことがあります。

いろいろ原因はあるかと思いますが、コンテンツの宿命として「隙間を埋めないといけない」必要に迫られた結果もあると思います。テレビだと新番組を絶えず立ち上げ、タイムテーブルを埋めないといけない。企業も新商品を出し、CMを打たないと話題にならない。ネットも更新し続けないとアクセスが落ちる。常に生産することを強いられ、追い詰められた結果、想像力や判断力が鈍くなって、知らぬ間に不良品となり世に出て炎上する。

さらにコンテンツの量自体も多様化し、それも短いサイクルでグルグル回り、とても物理的にも精神的に摂取が追いつかない。次に何が流行するだなんて予測すらできない。

年末に「シュガー・ラッシュ:オンライン」という映画を観ました。ゲームのキャラクターがネットの世界に入り込んで冒険するお話なのですが、ビラ配りのごとく通行人を遮るウザいポップアップ広告や、高評価稼ぎになりふり構わない動画主など…現代のネット社会の光と闇、表と裏がとてもPOPに表現されていました。

しかし同時に、自分が生きている世界はこんなにもスピードが速く、そして限りなく広い。日々視界に入る範囲なんてちっぽけすぎるということを実感しました。自分が丹精込めた、まるで自分の分身のようなコンテンツを放っても、もはや高速で塵になってどこかに漂っているだけではないのかと、虚しい気持ちにもなりました。この文章ですら、多分そうなのかもしれません。

今自分がすごく興味があるのは「持続可能な仕組み」です。根本的な働き方もだし、コンテンツの作り方でもそう。あまりにも大量消費生産ゲームのルールが複雑になりすぎて、勝ち目のないところにいる自分を悲観せずにはいられないからです。

自分たちでルールを発明し、アイデアや表現、仲間を入れ替えながら、既存のものとは別の方法で戦っていく。

いや、そんなことはみんなわかっている。でも身動きが取れない。いや取らせてくれないのです。


世の中に漂う「バカ」と「お利口さん」に、少しでもこの塵のような文章が届くと良いなぁと思います。


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