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『西洋人との結婚に関する産業的状況』④(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

 第四章 枝迎南北鳥 葉送往来風

 その木製の邸宅を二部屋に区切るものが、壁でもなければ、漆喰でもなく、また竹で作られているとはしても、それは粗末な柵に過ぎず、その柵が部屋と部屋の境目に半分置かれているだけで、もう半分にはあけっぴろげになるのを防ぐために、簾が引っかけてあるだけであれば、これこそまさしく〈近所〉と呼べる間柄なのだろう。ここの主人である女は簾に数枚、ハンボー通りを描いた絵とその両側に対聯を吊るしていた。ただ・・・その対聯には文字が一言も書かれておらず、白紙のままで飾られていた。
 そのような構造のため、普段から興味の向くまま、そちらの方に注意を向ければ、ご近所で起こるありとあらゆる出来事を知ることも可能だった。
 この時、アック婦人は私のために台所でコーヒーを沸かしてくれていた。キエム凶婦人が彼女の友人であるアック婦人になにやら私のことを推薦してくれたらしいが、あることないことを巧みに語ってくれたのだろう、私は先ほどから大層親切なもてなしを受けっぱなしでいる。
 幸いにも、彼女は現在休業中で(おっと、そうだった! 結婚を業にしているのだから、つまり休夫中と言っておかねば)、また私の年齢がちょうど、彼女の子どもと同じくらいの年代であったため、彼女の方も気兼ねなく接してくれていた。むしろ、何か気兼ねするようなことがあれば、興味深いものだが?
 たとえ、毒を吐くようなところがない女であっても、私のような者を見るや否や誰も彼も構わず疑ってかかり、年配女性人らと度々面倒を繰り返したりするのがいたものだった。特にスザンヌはそういうところがあった。アック婦人の娘であるが、十七歳相応のはつらつとした娘で、今回私が訪ねた時には、幸い彼女はハノイに行っていた。
 偶然にも、私は生まれながらにして、悪性を備えていた。その悪性の名を好奇心と言う。アック婦人が今日は一旦ここで休んでいけるようにと、私のために寝台の支度をしてくれていたのだが、その機を見計らって、そいつがささやくのである。
「おい、近所にも西洋人の夫を見つけようとしている女どもがいるぞ!」
 そそのかされれば、激しい動機を押さえることもできずに、対聯を目繰り上げて、向こうを覗き見てしまった・・・。
 西洋好みの女だ。二人もいる。ひとりは気だるそうに毛布を身に纏い、古い新聞を読んでいる。もうひとりは疲れた様子で椅子の上に座り、手を丸めて縮こまっている。白いパンツに青いウールの服、桃色の靴や手袋たち。だが、そういったものをどれだけ身に着けているにも関わらず、彼女たちの顔には、どうも一向に例の顔立ちが浮かび上がってくる気配も感じられない、・・・あの西洋好みの女が持つ西洋人マダムっぽい顔つきが。歯も真っ白で立派なものなのに、依然どうしてこんなにも田舎臭いのか! ただ落ち着いたものだけが幸せに値すると! 嗚呼、そう伝えたいのか、太公望 よ! 長く生きながらえた老婆でさえ、彼女らを見れば思うことだろう。手招きしながら座っている女の待ち続けているものが地位や名誉だというのに、その表情は、どうしてこれほどまでに落ち着いているのだろうかと。そこにもまた、釣り人の澄んだ精神があることを思い、老女はその西洋贔屓の売娼婦らが持つ〈哲学〉敬服するのではないだろうか!
 スプーンがコップに当たる金属音が私を振り向かせた。
 机の上に菓子とミルクコーヒーのカップを並べ終わったアック婦人は、頷き私のことを呼んだ。私は席に着いた。アック婦人は一度だけ瞬きをすると、気軽に尋ねた。
「そっちの方、何人いらっしゃいました?」
「二人です」
「二人だけ? それじゃあ、あの人はどこか、お出かけですかね。二人だけなら、静かなもんです。ハノイで踊り子をしていた娘が二人、ここ最近、やって来たばかりなんですよ」
「ここへは、踊りに来たのか、それとも夫探しですか?」
「間違えなく、夫を探しに来たんでしょうね、踊っていても仕方がありませんから! それで、記者さん、向こうの方に、私とちょうど同じくらいの歳のおばさんが座っているのが見えませんでしたか?」
 私は頭を横に振った。ナム婦人は、一瞬眉をひそめ、言った。
「そのおばさんをカムさんって言うんですが、チュアトンにいた時に警察官の男と結婚したんだけど、結局出戻りしてきた人なんですよ。子どもはいないみたいで、今は〈月下老人〉として稼いだ仲介料が生きる糧。ここに住んでいるハイ・イエンさんも同じような感じなんですけどね、カムさんの場合はハイ・イエンさんと違って、資本が無いものですから、余計お金に困っているんです。ハイ・イエンさんはここにきちんと地盤を作ってきた人で、人気のあるカスケードの店とか、自転車屋さんとかあるから生活も安定していますけど、カムさんの場合はねえ、姉妹の数も多いし、支払いを踏み倒されるわで、仕事もうまくいかないもんですから、スッカラカンなわけですよ。それに少しでもお金が入れば、必ず賭博に使ってしまうのが、一番いけない!」
 ちょうどその時、隣の家に入ってくるヒールの音がした。しばらくして、問答が聞こえてくる。
「おい西洋女、どうだったの、勝ったの負けたの?」
「三ハオ勝った! お腹空いたわ、あたし、うまい麵屋があるのに、食べてこなかっただよ、折角の金を麺に使うのは嫌じゃん。飾り棚んとこ、お前、ちょっと見て、なんかあるでしょ?  菓子の残りみたいなの。持ってこいって、バターの箱も全部だよ、早くしろよ! おい、ユエン、無視すんじゃねえよ!」
 明らかに、こいつがカム婦人だと思った。品格というものが日常から失われてしまった女であるぞ! 隣も生活が厳しいはずだが、どうだろう。もし、少しでも賢明なところがあれば、おにぎりでも、冷や飯でも、ヤシの実を煮詰めたものでも、まともなものをお願いするに違いないのだが・・・、これが育ちというやつか! 大海をはるばる超えてやって来たバターとチーズは、遂に全ての階級の食生活に侵略したわけである。
 突如、カム婦人の怒号が聞こえた。
「何してんだよ、ぼけっとしやがってよお、ずっとそうしてんのかよ? てめえの目は節穴か?」
 怯えているわけでもない、落ち着いた調子の返答がなされた。
「おばさま、お菓子はあるけど、バターの箱には蟻がたくさん・・・」
「なんだあ? 蟻がどうしたんだあ? てめえ、ほんとにくそつかえねえ! てめえが食えよ! 座ってるだけの役立たずがよお、あたしの姑か、てえめは。なんだろうと、こっちの知ったこっちゃねえんだよ」
 ・・・女性の名はユエン。こうも一方的に罵られている彼女の様子を見ていると、こちらまで心痛極まってくる。
 私はその場に介入したくてたまらなかった。だが、むやみにそうすることもできない。まずは、簾からでも中の様子を観察しておかなくてはいけないし、それに目の前の相手に対する気配りも十分に忘れてはならない。私はきちんとコーヒーをいただいてから、そそくさと移動した。
 この時、布団にくるまったまま寝転がっていた女も、読んでいた古新聞を捨てて、話に入りたがった。
「ユエンさん、そんなお馬鹿な振りをしてちゃだめよ、そんなんじゃ、りっぱな男の人のお相手できないよ。そういうのきちんとしてから、ようやく手に入るんだからね。私なんかでも、最近はもう大変なのに・・・」
 火に油を注ぐ結果となった。カム婦人はさらに食って掛かる。
「てめえは田舎行けばいいじゃん? てきとうな農民のおっさんくらいだったら、おめえでも結婚できるだろう? せいぜい田舎のおっさんと結婚して、おっさんに八つ当たりしてればいいじゃん! おめえの親が何食ってたか知らねえけれど、どうしたらてめえみたいのが生まれるんだろうなあ? ヒルでも乗った青野菜をむしゃむしゃ食ってたんだろうな! 一か月は頭も洗わないで、いつもイチジクみたいにたくさんしらみくっつけてよお! 座って米を食うだけ、そんで引き込んで辺り一面に、雨ですよーつって、米粒を口から吐き出したりてよお! そんでもって、おめえの夫は何にも言わなかったから、かわりに調子こいて、てめえばっかり好き放題に言ってたんだろ! おめえの夫になるようなのがわたしたちを見たら、黄金・・・いや宝石のようだって、感動するんじゃねえか!」
 ユエンはただ黙ったまま、うつむいている。言い返すこともなく、彼女の言うことを認めてしまっていた。
 嗚呼、こんな女に面倒を見てもらいながらも、彼女たちはただ待ち望んでいるのか・・・西洋にその身を投げ打つことを・・・。
 私はコーヒーカップの置かれた机に戻り、西洋の男たちについて考えてみた。外国籍軍の兵士たちや将軍、英雄、そして誇り高き頭脳を持つ者たち。彼らは元々、強盗団や無政府主義者の群れに所属していた。外務大臣の乗った列車の一両をなぎ倒すべく、鉄道を襲撃しただろうし、銀行に何十発もの銃弾を一斉に打ち込まれた事件も、彼らの指示の下になされていたりするのだろう。その内に逃げ出す者がいて、国境では無音で飛んでくる銃弾の弾道から免れながら、道に迷い、このティカウに流れ着くことがあったのだ。どれほどここの女性たちが魅力的に映ったのだろう。男らは彼女らを抱き、そして、囁くか、絶え間なく嘆いたのである。「私はお前を愛している、お前はとても美しい!」と。
 ユエンが夫を罵る姿を目撃することはなかった。また彼女が、外国籍軍である夫の母親、つまり姑からいびられる姿も見ることもなかった。
しかし・・・派手な桃色の靴下も、落ち着いたその顔つきも、ユエンの愚かさの産物なのだ。彼女の三世代が全く、カム婦人の忌々しき侮辱の餌食になってしまっているのだって・・・。
一旦、ユエンがまだ田舎の娘であった時からの彼女の人生について、その断片を粗描していこうと思う・・・。
ある日の夕方・・・。

ねえねえ、ちょっとお嬢さん、僕と一緒に遊びましょう・・・
足を止めてよ、ちょっとだけ、一度でいいから喘いでおくれ!

 女どもが稲を束ねる作業をする中、ユエンは少年を見た。絹のズボン、豪奢な服、ゴム底の靴、パンダンの帽子、これらを身に着けた少年は竹製のケースをその手に抱えて、軽快に道中を跳ねながら、女たちをからかうために、鶯が鳴くような調子で歌っているのであった。「ねえねえ、ちょっとお嬢さん、僕と一緒に遊びましょう」と、三歩と進むたびに、止まっては、また彼女のことを見て、また歌い始める・・・。稲田の下に集まっている女たちはクスクスと笑っていた。突然、他の歩行者たちも歌い始めた。

叶わねば、そりゃ運命
止まって聞き入れるのは、淫らなお人!
僕に子どももあったかな
じゃれてくれれば、心が高鳴る!
君に夫はいないのかい?
こっちにおいてで、抱いてやろう・・・孕ませてやろう!

 ケタケタ笑っている女どもは、ユエンよりも成熟していた。ただ彼女だけが立って、下を向いている。ユエンにはすでに夫がいた。他の人たちは、気にかけることがないので、冗談も言えるのである。彼女のこの沈黙は自らの罪を告発しているようなものであった。彼女は夫を愛せないでいたのだ!
 〈ねえねえ、ちょっとお兄さん、私と遊びましょう〉で、ひとしきり娘たちを笑わせた少年は満足して、どこかに行ってしまった。
 その夜、家に帰宅し、足も洗わないで寝ようとしている夫の側に横になった時、ユエンは、嫌悪感に苛まれた。嗚呼、貧しく卑劣な私の夫! 膝を抱え込んで食べる姿も、忌々しくてたまらなかった。嗚呼、どうして、こうも悲しいのだろう! 一語一語を区切る調子で、この夫に対する憎しみが次々と湧いてくる。もう我慢なんてしなくてもいいじゃない! 彼女はそう思った。親の世代からは気持ち悪がられ、下の若い子たちには軽蔑されようとも、彼女は非難することも無駄口を叩くこともずっと堪えてきたのだ。けれども、そんなことは、もう我慢しなくてもいいのだと思った。
 嫌なものは、もう嫌なのである!
 その一か月、ユエンは、そのほとんどの時間を、夫をけなすことに用いた。
 また更に三か月、ユエンは家に帰っても、何もせず、姉に頼りっぱなしになった。二人の関係は終わりを告げた。
 夫を裏切り見捨てた女の結婚願望を叶えるため、ユエンはハノイに出た。ある日の都会、ユエンは幸いにして男を得た。彼はまさに〈ねえねえ、ちょっとお嬢さん、僕と一緒に遊びましょう〉が似合うような男であった。ユエンは、大層甘く、聞き触りの良い言葉に酔わされたのである。ユエンはある住処に招かれた。一晩だけでも〈お話〉がしたいと、男は言ったのだ。彼女は頷いた。明日の朝、たとえ目を覚ましたとして、ユエンは自分がどこへ行くべきなのかも知らなかったが、ともあれ、今は身に着けていたピアスを外して眠ることにしたのであった。
 そのような無計画であれば・・・彼女は当然、都会をさまようことになった。そんな生活を営む日々が続けられた。
 これ以上、こんな生活は耐えられないと思っていた。そんな時、ユエンは這うようにしてチュアトンに辿り着いた。そこで出会ったのがカム婦人であったのだ。
「お願いです、愚かな私に、仕事をお与えください・・・」
 ユエンは自らの罪を洗いざらい彼女に話してしまったのだけれども、依然、後悔する様子は見せなかったし、実際にこれっぽっちも後悔などしていなかったのだろう! カム婦人が口を開いた。
「厚かましい馬鹿垂れだね! まったくのお前は糞アマだよ! いいだろう! 私に仕えな、適当な機会があったら、お前を西洋の嫁に出してやる、それまでの間、ここに置いてやるよ!」
 そして今、カム婦人は度々居眠りばかりしていた女中を追い払って、彼女を女中の代わりとして置くようになったのだ。
 それから、カム婦人はこの小娘に、白粉の打ち方や口紅の塗り方、眉の描き方を親切に教えてあげたりもしていたのだった。カム婦人は彼女を可愛がっていたのである。ユエンの身に着けているお古の絹のコルセットも、カム婦人がずっと着ていたものであった。彼女は、嬉々としてコルセットを着ながら炊事をするユエンに、コルセットを着てそんなことをやるんじゃないと諭すこともあった。チュアトンのベトナム人マダムの間では、ユエンと言う田舎の娘が夫を探しに来たという噂が少しばかりされるようになっていた。
 ある日、ジョアン氏が遊びに来ていた。
「あの娘は?(フランス語)」
「私の娘です。田舎出身ですが、若くて、よい子ですよ。ご興味があって?(フランス語)」
「田舎から? 歯は黒いか? ちょっと見せてみろ(フランス語)」
 カム婦人は振り向き、ユエンに言った。
「おい、お前だよ、こっち見て、笑ってみろ!」
 ユエンは横目で鋭く相手を見つめると、笑って見せた。ジョアン氏は満足そうに頷いた。
「いいよ、いいじゃないか。また、戻ってくるけど、あの田舎の子、頼むよ(フランス語)」
「ええ、ジョアン、じゃあ、私への報酬は二十ピアストルね。もし、納得しないなら、結構。それでいい?」
 ジョアン氏はまた満足気に頷くと出て行った。それから話は早かった。その後、何度か財産、つまりはビンロウ、見合いの席、贈り物、バインチュン、バインザー、大祭、結納品、等々に関する両家のすり合わせが行われた。それら話し合いにおいては数語の西洋語のピジンが使われた。三日後、ユエンはマダム・ジョアンになった。カム氏は箱に収められた二十ピアストル銀を手に入れたことになるが・・・彼女は元金も何も失わずして、これを得たわけだ ・・・。
 次に私は誰の話を聞きに行こうかと考えあぐねていた。イエン第二婦人でもいいし、ドイ・トゥー婦人でもいい。後者は西洋人の妻となった女性たちの最後を見送ってきた人だという。アック・ニョアン婦人は今回の結婚を見て、なにやら初めてベトチ のものを見たような、そんな興奮冷めやらぬ様子でいた。そろそろ、私もお暇せねばと思い、立ち上がったのだが。
「こんにちは、記者さん!」
「これはお嬢さん、お邪魔しています」
 ちょうど、スザンヌが帰って来たのだ。ドレスを着たその姿は、なんともいえない! 稀に見ない美しさである! そうなれば、次の私の取材先は?


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