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セミが鳴いとります。

隣の公園でセミが鳴き始めてから10日経つ。毎日毎日、冷蔵庫がある時代でよかった、クーラーがある時代でよかった、と思う。さすがにもう、夏だから海に行きたいとか山に行きたいとかの願望はない。思い出はいらないので、ただ「早く過ぎてくれ」と思う。日傘をさしてアームカバーをつけて、ただ太陽を恨んで暮らしている。よく考えたら、ちょっとかわいそうなひとですね。

でも、本は・・小説は、夏を感じさせるものを2冊買った。ベルンハルト・シュリンクの『夏の嘘』(松永美穂訳・新潮クレストブックス)とアリ・スミス『夏』(木原善訳・新潮クレストブックス)。『夏の嘘』は昨日読んで、今は『夏』を読んでいるところ。ずっとレポートの参考文献ばっかりだったから、反動で小説を読みたくなった。わたしは物語にしてもらわないと物事が理解できない頭なんだと思う。小説だと、どんなに分厚くても苦にならない。歴史の教科書は、丁寧に書いてあるにも関わらずなんであんなに辛いんだろう。自分が生きているこの現代も歴史の1ページになるのかと思うと、感慨深い気もするけど、正直、えー勘弁してよ、という気持ちになる。身の回りのことなんかなにも理解できていないのに、「今」がどんどん過去になっていくなんて。何もかもが「このぐらい理解していて当然ですよ」みたいな「歴史」になっていくのだ。今朝食べたものを忘れたりするのに、頼朝の時代のすったもんだを覚えなくてはならない。明治期の産業革命について、バブル経済の破綻について、ブルジョア革命について、説明できるようにならなければならない。昔のことを理解しつつ、そのことを現在の社会に応用できたら素敵だろうとは思う。でも、自分にそんな能力があるとは思えない。8単位とったところで、すでにもうガス欠気味なのだ。

安倍元首相が死んで、わたしは正直悲しくも何ともなかった。1ミリも。ふだんから、「あいつなんで生きていられるんだろう?」としか思ってなかったから。ただ、元首相を攻撃した人が、あんな手段しかとれなかったことが悲しかった。元首相がカルトと通じていたことにも増して、安倍崇拝がけっこうカルト化していることもなかなか問題なのではないかと思った。来年うまくいったら卒論なのだけど、漠然と「死のう団」や集団自殺の歴史なんかをやろうかなーと思っていたので、なんだか神妙になってしまった。自分で考えてぐらぐら揺らぐ人生より、カルト化してしまったほうがもしかしたら生きやすいのかな、なんてふと思ってしまったりもするのですね。


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