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ヴィガノ大司教、選挙について。メローニがイタリア人を裏切らないように願う。(2022年9月27日)

【ヴィガノ大司教の考えを知るための参考資料】ヴィガノ大司教、選挙について。メローニがイタリア人を裏切らないように願う。

―――国家の正義、平和、繁栄は、キリストが支配し、キリストの法が守られ、個人の利益や権力への渇望よりも共通善を優先させるところでのみ得られる。

2022年9月27日

マルコ・トサッティ
親愛なる「Stilum Curiae」(教皇庁のペン)の友人と敵の皆さん、最近の選挙結果に関するモンシニョール・ヴィガノの解説に、皆さんの注意を向けるのが適切だと思われますので、すでにビデオでご覧いただいていますが、ここに原稿を掲載します。どうぞお読みになり、ご覧ください。

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イタリアの現在の政治状況についての考察

最近の選挙から生まれた新しい政治状況は、一部の人々が事前に把握することができた有権者の共通の感情を裏付けています。憂慮される最も基本的な権利の侵害が2年間続いた後、また、イタリアとイタリア国民の利益に反して行動する超国家機関の命令に従うだけであることを示した二つの政権の後、政党「イタリアの同胞」(Fratelli d’Italia)が率いるいわゆる中道右派に権力をもたらした投票は、連立政党のプログラムの控えめな提案をはるかに超える正確な政治路線への支持を明確に表しました。

このことは、何よりも、この同盟関係の中で、唯一の野党として「本能的に」投票に値すると考えられてきたその政党に有利なコンセンサスの再分配が行われたという事実から明らかです。非常に穏健な野党ですが、現実よりも平均的な市民の認識においては、依然として野党なのです。

いわゆる「反体制」諸政党は、断片化され、国会で議席を認められる3%の壁を乗り越えられると確信していますが、全部合わせても投票者は100万人ほどです。これは、辞職しようとしている政府が選挙集会を真夏に開催することを決定した(決して偶然ではありません)ため、主流メディアによって彼らに与えられた知名度が非常に低いこと、また、彼らのプログラムに一貫性がなく、その信頼性と実現可能性が納得されず、投票が分散する運命にあるように思われたことの両方が原因です。

もう一つの強硬派は棄権派で、約36%を占めていますが、彼らは、一般的な「反対意見」に還元するのが難しい、さまざまな正反対の動機を自らの中に持っています。したがって、棄権を政治的に意味づけして、その代表を幻の無投票政党に帰結させようとするのは、まったく筋違いだと私は考えます。なぜなら、まさに投票に行かないという選択は、政治的代表権を持たないという選択も意味するからです。確かに、棄権者の多くは、他者によってルールが決定される、いわばゲームに参加することを受け入れないという意志を表明しています。しかし、これに加えて、些細な興味から、あるいはもっと単純に、言葉では言い表せないほどふさわしくない腐敗した政治家たちに嫌気がさして、投票しない人たちもいるはずです。この点で、「イタリアの同胞」は、部分的に救われました。なぜなら、野党に留まるという慎重さを持っていて、政権に対して時には協力したりしなかったりでしたが、少なくとも公式にはドラギ政権の外にいたからです。

他方、「民主党」(Partito Democratico、PD)は、十分に拒絶されることは決してない急進左翼の象徴であり、ボスたちに対する階級闘争を、グローバリスト・エリートに煽られた貧しい者同士の闘いにすり替えてきましたが、ここも救われませんでした。イタリアの民主党は、共産主義的集団主義の最悪な部分と消費者的自由主義の最悪な部分を組み合わせて、伝統的な社会構造を破壊することだけを目的に持つパンデミック、エネルギー危機、戦争などの緊急事態を利用して、大金融ロビーに利益をもたらすというアジェンダ(行動計画)の名のもとに、行動しているのです。

「同盟」(Lega)、「フォルツァ・イタリア」(Forza Italia)、その他の小政党が選挙で被った打撃は、彼らに投票した人々をいかに裏切ったかに正比例しています。そして、ルイジ・ディマイオの絶対的な矛盾が再選を逃したことで決定的になったのなら、ジュゼッペ・コンテ【元首相。五つ星運動党首】は市民権収入というインセンティブから――交換投票の限界で――利益を得ることができたことは明らかです。彼の示した無能さは、無関心とは程遠い多くの顧客の投票意思を変えることはありませんでした。

「民主党」が失った票の多くは、「イタリアの同胞」に流れ込み、ジョルジャ・メローニの右翼を、それが何であるかではなく、それが何になり得るか、彼女が「何をする」と言ったかではなく、皆が実際に彼女がすると「期待している」ことをさらに裏付けることになりました。それは、自然な家族の保護、生命の尊重、安全保障、不法移民との闘い、未成年者に対するジェンダーやLGBTQ+の洗脳の廃止、企業の自由、戦略的資産における国家の存在、欧州問題における比重、そして、――天主が許し給うならば!――ユーロからの離脱と国家主権の回復です。

要するに、メローニは、穏健な右翼政党のリーダーのように振る舞うことを期待されているのです。左派からの憂慮すべきレッテル貼りにもかかわらず「急進派」ではありません――確かに「極右」ではありません――が、少なくとも、NATOよりの大西洋主義やドラギ政権の行動を特徴付けた自殺的な欧州主義とは足並みをそろえておらず、文明、文化、宗教、イタリア国民のアイデンティティーの破壊に対する思想的怒りから選出されたわけでもありません。

一部の観察者によれば、新しい運動は――意図的に、あるいは単に体制に利用されることを許して――単に架空の反対勢力を形成し、「イタリアの同胞」に投票することによって「しぶしぶ受け入れる」論理を好むように仕向けただけだ、と言っています。

しかし、真実には、二つの架空の反対派が実際に存在します。一つは体制内部のもので、大西洋主義的で親欧州的なものです。もう一つは体制外部のもので、諸派に分かれており、名目上は反欧州的で反大西洋主義的ですが、新しいプログラムとは矛盾する、と少なくとも言えるような過去をもつ人物からなるものです。これらの反体制運動の候補者の多くは確かに誠実な人々で、その多くは「新人」(homines novi)でした。しかし、彼らの存在が、強い不満のシグナルを出すだけでなく、この不満が短期的には前の2回の議会の惨状を是正するための鋭い決断力をもった政府の行動に結びつくことが急務と考えている人々を説得できなかったことは否定のしようがありません。「同盟」と「フォルツァ・イタリア」は有権者の流出が著しく、その動機は、パンデミックとウクライナ危機に関する指導者と主要人物の失脚にあると私は考えています。マッテオ・サルヴィーニとシルヴィオ・ベルルスコーニは、EU、WHO、NATO、そして世界経済フォーラムの操り人形師の命令(dikatats)に従うことにしました。私たちが見てきたように、この悪しき選択は、投票で厳しく罰せられましたが、アスペン研究所(ロックフェラー財団の一部)のメンバーであり、公然と大西洋主義者で親欧州人であるジョルジャ・メローニもほぼ同じ考えであることに変わりはありません。

要するに、「イタリアの同胞」は、党自身が数週間前から政権を引き受けたいと思わないと宣言した役割を担わされ、有権者と選ばれた議員との断絶、市民と政治家の間の断絶が、いわば「願望」という形で繰り返されているのです。何故なら、「イタリアの同胞」はEUの政策にもNATOや米国のディープ・ステートの目的にも疑問を呈するつもりはないためです。

まるで、平均的なイタリア人が、メローニがドラギの政策と公然と連続しているにもかかわらずメローニに投票することを決めたかのようです。あたかも圧倒的多数の力によって、彼女の手を強制して、彼女を大胆にならせ、彼女が選挙前夜までしないと約束していた手段を取るようにさせるようなものです。

また、メローニが「ファシストのように」振る舞うことを「恐れ」、そのために国外追放の恐れがある民主的緊急事態を叫ぶ人々がいるのと同様に、同じく彼女がイタリア人として、愛国者として、そしてキリスト教徒として振る舞うことを願い祈る人々が――確実に「イタリアの同胞」に投票したすべての有権者が――たくさんいます。

また、彼女がキージ宮殿(首相官邸)に行くために【選挙に勝つために】、現実には、彼女が実際の行動でそれを否定することができるような公約を保証したという事実を、彼らは無視することができるでしょう。残るは、初の女性首相が前任者たちと一線を画すことができるのか、それともディープ・ステートに屈し、イタリア国民を裏切り続けることを好むのかということ、見ていくことです。

一方、民主的な投票が主権者である国民の意思を代表する人々を制裁しなければならないとすれば、メローニ自身が、有権者が彼女に過激な選択を要求していること、また有権者が選挙前の彼女の穏健さを単に「市場」を安心させるための戦略的行動と考えていることを考慮しないはずがありません。「同盟」や「フォルツァ・イタリア」の多くのメンバーでさえ、そこかしこの国会議員や知事によるワクチンや戦争屋的な熱意を別にして、好意的に見るであろう選択です。

サルヴィーニ自身が、投票の数日前に、都市封鎖の承認とワクチン義務に関して反省の弁を述べていますが、これは、指導者らによるこれらの政党の意図的な自殺が、草の根の人々にうまく消化されていないということに指導者は気が付いていることを示しています。

同じことが「イタリアの同胞」でも起こっています。ウクライナへの武器派遣とロシア連邦への制裁に関するメローニの立場は、党内の一部で共有されていません。何故なら、これは露骨に自己破壊的であるからで、また、これは国際的な対話相手は大きな変化なく変わらないという誤った仮定に基づくため、です。

11月の米中間選挙で民主党が権力を維持することも、ジョン・ダーラム特別顧問の捜査によって、バイデンやその家族が他の民主党政治家とともに、現在米国の主流派に浮上しているスキャンダルに巻き込まれないことも、絶対確実なことではありません。そして、ドンバスやウクライナのロシア語圏の市民に対するゼレンスキーによる度重なる砲撃の証拠を前に、、ロシアによる併合を求める住民投票の成功を前に、(対ロシア)制裁が欧州諸国にとって大失敗だったことを前に、欧州連合とNATOのウクライナへの介入政策が変わらないとは言い切れません。

最後に、バイデン政権がキエフと近いということで、バイデンが享受している不安定な選挙コンセンサスがさらに損なわれ、ビクトリア・ヌーランドが望む傀儡政権への支持がなくなり、結果としてこれまで頑なにワシントンによって妨害されてきた和平交渉が可能になるという変化の連鎖を引き起こす可能性があります。そして、トランプ大統領の政治的影響力と米国のディープ・ステートに対する敵対宣言があるため、トランプ大統領がホワイトハウスに戻ることになれば、和平交渉がさらに近づき、さらに永続的になることは間違いないでしょう。今日の政治家に、有権者に約束したことを守る才能がないことを、私たちは承知しています。それでも、次期首相が親大西洋・親欧州の立場を見直し、オルド自由主義(ordoliberalism)と左派ウォウク(woke)の覇権に代わる真の右派の役割を取り戻したいと考えるのは適切でしょうか。

この場合、それによって利益を得るのは有権者であり、自分たちが「裏切られた」と考える人々は、そもそもイタリアの欧州委員会への服従協定を規定する権利がないのですから、その違反を主張する権利はないでしょう。イタリアに敵対する勢力の「裏切り」は、徳の高い行為と言えるでしょう。何故ならそれはエリートに簒奪された主権を回復するものだからです。逆に、エリートに従順で、国民の利益に従わないことは、新政府が政権に投票した人々に対して行う裏切り行為となります。エリートがイタリアをボイコットすることが予想される場合(スプレッド、金利、イタリア国家再建・復興計画(PNRR)の撤回…)、何度目かの裏切りにあい、貧困が拡大し企業や労働者を意図的に迫害する状況にある国民が、苛立ちの結果バリケードや抗議をすることが懸念されます。コストと利益を評価する上で、私が望むのは、メローニ政権はわが国に損害を与えるこの破壊的な作戦に加担しないでほしいということです。

金融寡頭政治が、このような可能性を考慮に入れていなかったと考えるのは困難です。むしろ、パンデミックとワクチン詐欺の面で、また世界経済フォーラム(イデオロギー的理由のため)と中国(経済的理由のため)が強く望んでいるグレート・リセット、デジタル移行、グリーン緊急事態の面で、まさに出口戦略を管理し損害を抑えるためであったと考える方が簡単です。

政府や国際機関の活動に重々しく干渉することのできる超国家的な権力によって、非常に深刻なクーデターが行われていることに、多くの人々が気付き始めているようです。ビジネスと仕事の世界では、まず新型コロナウイルス感染症によって行われ、そしてウクライナでの戦争によって行われた、国家経済構造の破壊という意図的な行動が理解され始めています。ドラギが押し付けたあらゆる決定、あらゆる規則、あらゆる法令が、議会の投票の有無にかかわらず、国民、企業、従業員、年金受給者、学生にとって最大の損害をもたらすために意図的に選ばれたものです。死者、病院の満床、企業の閉鎖、失業率の上昇を避けられるものはすべて科学的に除外され、その代わりに、発表された目標とは明らかに対照的な、最も破壊的な行動を実行することになったのです。

今日、私たちは、大量のエネルギーを消費する何千もの企業が、生産を停止するか完全に閉鎖されるかの運命にあるのを目の当たりにしています。なぜなら、退陣するドラギ政権は、支払い価格が10倍も安いエネルギー価格に対する(イタリアの多国籍石油企業)ENIのスキャンダラスな投機を止めるつもりがないためです。市場は、無批判に支配することが許されていますが、それは、アムステルダム証券取引所が各国の経済を破壊し、多国籍企業を不当に潤して、国連の「アジェンダ2030」に従って技術独裁の確立を迫っているエリートの利益に奉仕できるようにするためです。このアジェンダは、今日では小学校から始まる学校での教え込みの教材であり、PNRRの資金を改革や新たな持続不可能な支出削減に結びつけているのです。

グローバリストのナラティブ(物語)が、特に普段主流派から最も影響を受けている階級の間で沈静化の兆しを見せ始めているとすれば、権力者たち――本当の権力という意味での――は、おそらくすでに次のシナリオを準備しており、必然的に群衆がまな板の上にのってほしいと思う身代わりの山羊をいけにえにする計画を組織しているのでしょう。こうして、もはや役に立たない不都合な共犯者を排除し、人々の正義への渇望を満たし、さらには自分たちを救世主や道徳的権威の役割として提示するのです。選ばれたいけにえは、明らかに、サイコ・パンデミックの最も熱心な使徒たち、利害関係のある「ウイロスター」(有名人の偽ウイルス学者)、いくつかの組織の代表、そして、おそらく少数の「慈善家たち」――エリートが非難することによって最も迷惑な競争相手として排除することもできる「慈善家たち」――でしょう。また、遺伝子血清の支持者であり、新異教グローバリズムの大司祭であるベルゴリオ自身が、カトリック信者の非難のいけにえになることも排除できないでしょう。何故なら、カトリック信者たちは、ちょうど市民が支配者の敵意によって苛立つと同様に、敵として扱われることにうんざりしているからです。

ジョルジャ・メローニは、今のところ、「潜在的な」首相です。「イタリアの同胞」が政治家階級全体に対する本当のまた動機付けのある反対の声であることを期待する人々にとって、またそのような反対の声として、脅かされることを許さないで、彼女が力と決意を持って行動することを期待する人々にとって、彼女は「潜在的な」首相です。他の人々が繰り返し失望させて裏切った信頼を彼女に与えることを決めた人々にとって、彼女は「潜在的な」首相です。これは非合理的な意思表示であり、これを動機づけているのは、国家の運命に対する懸念の高まりと、議会での圧倒的多数が新政府に強い選択をするための行動の安全性を与えているという確信とです。彼女は強い選択をするための有権者の支持を得るであろうし、この支持を民意の表現として対応しなければならないからです。彼女は「潜在的な」首相です。なぜなら、その前の二人の首相は、ウルズラ・フォン・デア・ライエンやクラウス・シュワブやジョー・バイデンの給仕に過ぎず、リーダーとは言い難い存在だったからです。

もしジョルジャ・メローニが潜在的にではなく、実際に首相になりたければ、まず第一に、誰からも選ばれていない――しかし民主的に選ばれた政府のトップが非常に深刻な利益相反に陥るたびに、政治的表看板だというしるしを民主的に選ばれた人々に与える権限があると思い込んでいる――人々に立ち向かわなければなりません。この利益相反は、ウルズラがファイザー社のCEOアルバート・ブーラと交わしたテキストメッセージ(ワクチンの巨大取引の交渉)に始まり、世界経済フォーラムへの世界の指導者たちの参加があり、そしてバイデンがウクライナのNASAバイオラボへの融資やキエフの主要エネルギー会社の業務に関わったことで締めくくるものです。

イタリアは、過去に常にそうであったように、真のアイデンティティー、真の歴史、そして御摂理の計画における真の運命についての誇りを取り戻す方法を学べば、復興することができる国です。何十年もの間、イタリア国民は、他のところで下された決定の結果、損害と屈辱以外の何物ももたらさなかったために苦しんできました。今こそ、私たちは頭を上げ、ただ何もせずに打ち負かされることを求める「回復力」を、軽蔑の念をもって拒否しなければなりません。私たち自身のためだけでなく、私たちの子どもたちのためにも、グローバリズムのディストピア世界を拒否し、それと戦わなければなりません。私たち一人一人が、家族を養うための確かな経済的見通しと平和な未来を、疎外や犯罪を感じずに残していきたいと願っています。なぜなら、私たちを貧しくして日常生活のあらゆる面で支配するという唯一の目的で、虫を食べさせ、強制的に奴隷にしようとする人々が立てた破壊的計画に身をゆだねることは、受け入れられないからです。

しかし、これは――私は牧者として、特にカトリック信者に向けて言いますが――イタリア人が、国家の正義、平和、繁栄は、"キリストが支配し、キリストの法が守られ、個人の利益や権力への渇望よりも共通善を優先させるところでのみ得られる"と認識する場合にのみ可能になることでしょう。主に立ち返りましょう、そうすれば主は、私たちの忠実さにどのように報いるかをお分かりになるでしょう。私たちの天の母である至聖なるマリアに信頼をもって立ち返り、私たちの愛するイタリアのために、御子に執り成してくださるようお願いしましょう。

+カルロ・マリア・ヴィガノ
 大司教、教皇大使

2022年9月27日
殉教者聖コスマとダミアノの祝日

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