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暫定、人生で一番濃かった1年間

子どもが1歳の誕生日を迎えた。
あの忘れられない出産体験から1年であり、私も母となって1年経つ。

あっという間だね!とよく言われるけど、それはあくまでその人の人生の中で断片的に子の成長を見ているからそう感じるのであって(それが悪いとは言っていない)
全然あっという間ではなかった。
とっても濃密な1年だった。

私は出産するまで、何をするでもなくただ寝て過ごすようなだらけきった休日や、
気分が乗らずになんとなーく個人的な仕事をして食べて寝るだけの平日を過ごしたことが何日もあった。

それは私が自立した大人だからであり、
特にここ数年は大した悩みもなく、パートナーはいれど悠々自適に日々を過ごしていたからだ。

それが出産イベントを終えたその日から、
他の誰でもない私がお世話をしないと生命の危機に晒される赤ちゃんを育てていくこととなったわけだから、
昼からビールを飲んで漫画を読んで過ごすわけにはいかなくなったのである。そりゃそうだ。当たり前だ。

気づいたら夕方になっていた、なんて許されない。
朝早くから寝るまでやることはそれなりにある。
それが大変ということではなく、今まで他人のために朝から晩まで行動をしたことがなかったので
無意味に過ごしていた毎日にしっかりと意味がついた、という感じだ。

自然と、1日のうちにあらゆる行動が求められる。

オムツを替えて、授乳もしくは食事を与えて、
寝かしつけをして昼寝をさせて、
汗をかいていれば着替えさせ、お風呂にいれ、
新しいおもちゃを定期的に仕入れて遊び、天気がよければ散歩に連れていき、赤ちゃん用品を買い、家事なども行う。

数ヶ月も経てば育児にもある程度慣れてほとんどのことがルーティーンになったはなったが、
それぞれのお世話への反応や結果は同じことはない。

オムツ替えにしたって、
じっと黙って大人しく寝転んでいるときもあれば、
ぐりんと回転して下半身丸出しのまま遊びに行くこともある。

仰向けで楽しそうに笑ったままの時もあるし、
寝たくなくてスタンディングスタイルのまま替えられることもある。

初期はしょっちゅううんちを漏らしていたし、
離乳食が始まってからは食べたものがわかるくらいカラフルな時もあるし
水分が足りてなければ草食動物のようなコロコロのうんちをする。

表情も態度も生理現象も同じことはない。
それらを都度、新鮮に感じていた。

これまで散々過ごしてきた、パソコンやスマホを見ているだけで溶けていく時間とは真逆の、新たな生物の観察日記。

たくさん心を動かされた。
たくさん笑った。驚くこともたくさんあった。
悩むことはあったけど、泣くことはほぼなかったな。
母親向きとはいえない、自己本位で適当な私のもとに生まれてきたことを察してか、
あまり手のかからない優しい赤ちゃんだった。

彼はまだ自立しての歩行はできないけど、高速でつたい歩きをし、最近は立派に大人と変わらないような食事も食べられるようになった。
もう赤ちゃんではないんだなと思う。

だから「赤ちゃんだった」と過去形にするのは寂しさもあるけど、ちゃんと成長してくれた証拠なので嬉しくもある。

産まれた直後、こんな小さくてほやほやで、1〜2時間起きに起きないといけないなか、
寝ぼけてベッドから落としでもしたら死んじゃうと、1人でお世話するのが怖くてたまらなかった。

病院にいるとはいえベッドで添い寝するのも潰しそうで怖くて、早く大きくなってほしかった。
でもいざ1ヶ月も経つと想像以上にすくすく成長した赤ちゃんのその重さにびっくりし、
新生児の時の小ささが恋しくなったりもした。

早く成長してくれとか、小さいときに戻ってほしいとか自分のことながら勝手が過ぎると思う。

でも、もう最近は新生児のときに戻ってほしいとは思わない。

どんどん重くなるけど、どんどん感情が豊かになって、わかりやすく甘えてくることやコミュニケーションの手法が増えて、とっても可愛い。
私が自分の子を可愛がるようになるなんて、想像もしていなかった。 
まさか「可愛いねぇ」とにこにこしながら話しかけるなんて。

思ってもみなかったような感情とたくさん出会えた1年だった。

春には育休が終わり、私がお世話する時間はぐっと減る。
もう成長のすべてを自分の目で追いかけることはできない。

それは悲しく寂しくもあるけれど、1年以上しっかりと一緒に過ごせた事実は、これから私が死ぬまですごく大切な思い出になる。
死ぬ直前の走馬灯の8割くらい占めるんじゃないかな。わかんないけど。

何年生きるかわからないけど、人生の節目節目、いや節目と言わずいつだって、この期間のことを思い出して
癒されたり頑張ろうって思えたりするんだろうな。
あの頃に戻りたいって悲しくもなるかも。


妊娠中は私なんかが育児できるのかとか、子どもは無事人産まれてくるのかとか、不安がたくさんあったけど、産んでよかったと思っている。


30才になってもお誕生日おめでとうと言ってくれる、母の気持ちがほんの少しわかった気がした。

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