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もし、この世界がプログラミングされていたとしたら〜かまいたちの夜から来たインスピレーション〜

こんばんは。Vinoです。
今日は、ちょっぴり不思議な内容の記事になっています。
はじめましての方へ。

時々、もし、全てがプログラミングされていたとしたら?と、考えることがあります。

今、こうやってnoteに記事を書いていることも、次の文字を打ち込んでいるのも自分の自由意志で選んでいるようで、全て仕組まれていたとしたら?と、想像してみると、不思議な感覚に陥ります。

いやいや、そんなことあるワケないじゃない、誰かがプログラミングしているなんて、有るワケないでしょう。

一見すると、こういう否定の言葉が出てきそうです。

ですが、否定するには、プログラミングされていないことを証明しないといけないので、証明出来ない限りは、ないとは言い切れないと思うのです。

「この世界は、自分自身が作っている」なんて言葉を耳にしたことがある方も、いらっしゃるかと思います。

わたしは、この言葉の意味について、ずっと考えていました。

そして、結局、「自分自身」という言葉が一体何を指しているのか、本当の意味で分かる人はいない気がするのです。

何かを定義するためには、もっと大きな枠組みが必要になるというか。

それに、分かろうとした瞬間に、客体化するため「自分自身」は切り離され、外側に置かなければならず、もうそれは「自分」とは言い切れなくなります。

昔、サウンドノベルというジャンルの「かまいたちの夜」という名前のゲームがありました。

スキー場の近くのペンションで起きる事件をテーマにしていて、画面上で文字を読みながら、次の選択を選んでいくと様々なエンディングが現れ、選択によってはゲームオーバーになってしまい、なかなか面白くて好きでした。

ゲーム機を替えて何度か再リリースされているので、そこそこ人気があったのかなと思います。

こちらのゲームの中の一つのエンディングに、とても印象的なものがありました。

ペンションで起きている出来事をテレビで見ている人がいて、そのテレビを見ている人が画面を消すと、今度は、その人をテレビの画面の外から見ている人がいて、またテレビを消すというのが繰り返すものです。

他のエンディングよりも、なぜかこの次々にテレビを消すエンディングが、ずっと頭に引っかかっていました。

それが、数年前、ふと、今、わたしがこうやっているところを誰かが見ているとしたら?自分の自由意志で決めたと思っていることも、どこかに台本があって、プログラミングされたものだとしたら?という発想につながっていったのです。

ゲームや映画などは、この世界の真実をダウンロードして、すぐには分からないようにしながら、民衆に伝えようとしているという話を聴いたことがあります。

そうでなければ、あんなにヒット作には繋がらないというのです。

今、こうやって、このような話を書いているのも、自分で構想を練って書いているわけではありません。

数十分前まで、どうしよう、どうしよう、今日、何を書いたら良いのだろうと悩んで出てきたのが、今回のお話です。

今朝未明は、牡牛座の新月でした。
新月は、宇宙との繋がりが強くなる日だそうです。

今日の内容は、もしかしたら何か宇宙からメッセージが降ってきたのかもしれませんね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!




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