見出し画像

遠く離れて暮らすということ

 先月、86歳だった父が、亡くなった。コロナではなく、持病悪化と老衰によるものだったので、諦めのつく穏やかな逝き方だった。

 実家を離れて30年近くになる。新幹線、あるいは飛行機を使っても、片道5時間。この距離は、近いのか、遠いのか。海外にいたことを思うと「近い」と思うし、年に数回行けるかどうか、なので「遠い」とも感じる。

 これだけの距離があると、「間に合わない」、は、覚悟していた。いわゆる「想定内」である。両親と離れて暮らすようになってから、それこそ会えるのは、年に数日。両手越えるような年は、「孫」たちが幼い頃の数年で、ここ近年は片手、どうかすると2年近く帰らない時もあった。

 それだけ離れていると、こうやって、もう実際に会うことが叶わなくなった今も、実家には父がいるような気がしてならない。記憶の中の父は、いつもそこにいる。そしてそれはおそらくずっと続く感覚なのだろう、と思う。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?