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完全にロストしてます。

今の子供たちというのはデジタルへの親和性がすごい。高校生の娘は「友達との近況連絡は全部インスタのストーリー」だというし、娘の友達で絵が上手な子は絵の投稿にTwitterアカウントを作ったりしてどんどん自分の才能を世に発表している。

私の世代は絵や漫画を誰かに認めて欲しければ、白いケント紙(クソ高い)をバラで買って、ペン先とペンとスクリーントーン(クソ高い)を買って、親に隠して描いては、りぼんの新人賞に応募したりしていたものだ(←黒歴史)。それが今の若い世代はTwitterやインスタグラムにデジタルで描いたものをポンポンと投稿すれば世の目に留まり、あわよくば出版社からお声がけして頂いて出版したりという世界が割とすぐそこにあるのだ。

友達との近況連絡がインスタ―のストーリーであるということの意味はといえば、12時間で消えてしまうので後々証拠としてスクショされたり漁って晒されたりする可能性が低くなるんだとか。

若い世代はなんと賢いのだろうか…。

私は昔、デジタルマナーを全く知らないままに失礼なことをTwitterで呟きまくっていたら、あれよあれよという間にフォロワー1万人のそこそこ巨大アカウントになった。と同時に、ネットの巨大掲示板に晒され、さらに息子の幼稚園を特定されて嫌がらせの電話までかかってき、大変痛い思いをしてTwitterを去った黒歴史がある。あれは適切なネット仕草を知らなかったゆえの大失敗である。その後、ショックが長引いて四年ほどTwitterに戻れなかった。

今はSNSをやるにも「適切なネット仕草」を常に意識しながら書くようにはしているし、万が一巨大掲示板に晒されてしまったらさっさと逃亡する程度の思い入れしか持たないようにしている。自分の経験があったが故に子供たちがSNSをすることには少々(というかかなり)抵抗があったわけだが、その辺りはSNS黎明期に育った私たちよりも子供たちの方がよっぽどしっかりしていることが分かった。

そして、うちの子供たちは自分たちのスマホやPCを使って、続々とSNSに参加し始めている。(※息子については年齢制限に引っかかるので、父親管理のアカウントでインスタとYouTubeをやっている)私は自分の親兄弟からSNSをフォローされると即ブロックしてきたのだが、子供たちは「インスタ始めたからフォローして!!」と一番に言ってくれる。これからどうなっていくのか分からないが、素直に嬉しい。

だがしかし

子供たちがフォローしていると思うと妙に投稿がしづらくなったのも事実である。「ママ、今日俺のこと〇〇って言ってたね(・∀・)ニヤニヤ」などと息子から突っ込まれることも多く、「嗚呼…無理すぎる…」となる。

さらに子供たちは私の名前を検索かけて、noteも探し出して読んでくれているようだ。非常にやりづらい。やりづらいのだ。

そろそろ子育てのことをnoteに書くのも終わりが近づいているのかもしれない。今のところ子供たちからクレームは出ていないのだが、西原理恵子の娘さんとの騒動を思い出すに、そろそろやめておこうかなと思い始めている。

と、同時に…。子育て以外のネタというのが、恐ろしいほどないことに寒気を覚えている。それほどまでに、子育ての不安+楽しみは私の人生の全てになってしまっていたのだろう。なるべくそういう風にならないように、自分の趣味や仕事を大切に生きてきたつもりだったのだが。

次は、私は何を書けば良いのか。子育てのことナシに、私はnoteでの執筆を続けられるのか。

人生、ここからが本番なのかもしれん。

今私は、人生の主軸に何を据えれば良いのか、完全にロストしてしまっている。そして例え次の主軸が見つかったとしても、それは私にとって言葉にしたためるほどの盛り上がりのあるモノなのかどうかも分からない。

そうか、それでも人生は続いていくのだな。そうだ。何もネットに書けることがなくなっても、私の毎日は訪れるのだ。

とりあえず今日はnoteのことは忘れてコーヒーを淹れよう。

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