無本番・練習日記2021年3月15日~3月21日

2021年3月15日(月)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
 ここ数日ケースから出せていなかったバロックヴィオラの音出し。時間もあまりなかったため、ジェミニアーニの9番を使って、ガット弦とバロックボウの感覚を思い出すための練習時間とする。数日弾いていないと、やはりモダンに比べて日の浅いバロックの方の感覚は簡単に抜けてしまう。忘れなくなっただけマシになったと言えるけれど。
 持ち時間のうち半分は、出てくる音はまるきりモダンの音だった。「バロック弓では弓の毛の張力の関係により、弓の圧力は使えないこと」「最初は音が出せれば良しとすること」など、一つ一つ思い出しながらモダンヴィオラとの距離を詰めていった。感触が思い出せてきたところで時間切れ。明日はもう少し早く思い出せるだろうか。

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2021年3月16日(火)
音階(C-dur ,)
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
 結果的に今日の練習もバロックヴィオラのみ。カール・フレッシュの5番の音階と、久し振りにテレマンを取り出した。前回どこまで弾いていたか忘れてしまったので、番号は適当に、手薄そうな12番を選択。一定期間以上離れていると、音楽が形にならなくなってしまうのがこの曲の難しいところ。しばらく藻掻いて一昨日公開レッスンで耳にした「楽譜を模様として見る」「演奏の都合で音楽を歪めない」など一連の先生の言葉を思い出し、ようやく形が見えてきた。どの言葉も管楽器の人達へ向けたアドバイスだったが、恐らくどの演奏分野にも通じることなのではないだろうか。記憶が新しいうちに、14日の公開レッスンで取ったノートを読み返すことにしよう。
 「付点8分音符+16分音符」の組み合わせが難しい1楽章Moderatoで手間取り、2楽章と3楽章は残った時間に軽く通した程度で終わってしまった。

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2021年3月17日(水)
他用のため練習お休み。

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2021年3月18日(木)
他用のため練習お休み。

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2021年3月19日(金)
音階(C-dur)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
音階(C-dur , a-moll)
クロイツェル:42の練習曲
ヘルツォーゲンベルク:『受難』ヴィオラパート
 バロックヴィオラから練習開始。しかしこの順番を、やがて今日は悔いることになる。
 音階を弾いてジェミニアーニは9番。バロックヴィオラは2日しか間を開けていないはずなのに、とても久し振りに楽器を触っている気がする。頭の中では「演奏の都合で音楽を歪めない」ことへの意識に端を発し、「何はともあれまずは現状把握」の方向へ考えが切り替わる。今は耳が鈍っている状態なのであれやこれやを考えるよりも、「今」を把握することが音楽の形を掴む上での一番の近道になる。弾きながら考えているうちに「『スマホ持ってます』っていう演奏しないで」という言葉の意味が飲み込めたような瞬間が突然やって来て驚いた。当時の状況が思い出せないくらい前の講習会で聞いた小林道夫先生の言葉。時間掛かったな、何年越しだろう。
 バロックヴィオラの練習の後はモダンヴィオラ。先週の公開レッスンから一週間ケースを開けていなかった。楽器を持ったらずっしり重く、身体への負荷をいつも以上に感じる。しまった、先にモダンをさらうのだった。
 音階を弾いた後、クロイツェルの8番。指の準備運動はバロックヴィオラである程度できていたので、いよいよ来週23日(火)に迫ったヘルツォーゲンベルク『受難』のヴィオラパートを見る。本格的な合わせに入る前の思い出し練習といったところか。なかなか思い出し作業には弊害が多く、ようやく楽器演奏のペースを取り戻しかけたのは練習も終盤の頃だった。
重要なのは、何で弾くのかではなく、何を弾くのか。
最初から上手く弾けるなんて思わない方が良い(自分でハードル上げすぎない)。
過去や未来を考えるのではなく、「今」を感じる。
ヘルツォーゲンベルク、明日はいよいよ合唱とソロが入って本格的な合わせになる。本番開催が半ば絶望的となった状況から早一年。コロナ禍がなければこの作品には出会わなかった。思い入れのある本番の一つになるだろうか。

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2021年3月20日(土)
ヘルツォーゲンベルク『受難』全体合わせのため個人練習お休み。
 (余談)ヴァイオリン時代から度々聞かされてきた「調弦で全てバレる」という話は、年を重ねるごとにより大きな実感を伴ってくる。音の出し方の傾向から共演者及び周囲に対する気配り、音符の扱い方に至るまで、全て調弦での印象から大きく外れることはない。演奏そのものよりも本性を現している場合があるので、面白いやら怖いやら。
 ヘルツォーゲンベルクは独唱と合唱が入っての練習。オケのみの練習とは必要な音量が異なり、加えて本番会場は場所が変わり響きも距離感も変わるであろうことが予測され、今回は最低限のボウイングだけを書き込み、残りは臨機応変に対応するのが吉と判断。1パート1人では和音を分業で弾けないのは不便だけれど、こういうことに関しては気が楽だ。演奏の都合だけで無暗に弓を返せば音量と引き換えに音楽の雰囲気そのものが壊れてしまうし、できれば楽譜の長いボウイングを活かして弾きたいところ。
 合わせの最中、「アンサンブル」を身近なものに置き換えるとしたら何になるのか、ずっと考えていた。周りに合わせるニュアンスで使われることが多いけれど、今一つ具体的ではない上にどうも違う気がするし。各パートが音楽を持ち寄って一か所に集う辺り、「持ち寄りパーティー」が近いだろうか。2人ならサシ飲み、5人くらいまでなら気楽な食事会。だとしたらアンサンブルは、やはり楽しい。

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2021年3月21日(日)
音階(C-dur , a-moll)
カイザー:36の練習曲 Op.43
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番(Prelude , Allemand)
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing on the Violin
 曲は嫌でも明日明後日と弾くことになるので、基礎を中心に。音階を弾き、カイザーの24番~28番。楽譜の印刷がやや薄いため明かりの状況に見えづらさが左右されるのが難点ではあるものの、色々な演奏の要素を一度に練習したいときなど、やはり有難い。
 今日の練習は昨日の合わせの反省を踏まえて、楽譜が弾けるようになることよりも、目で見た音符に対して身体を反応させることを目的に練習を進めていった。同時に音符一つ一つの「足元」を認識しているかも確認していく。レッスンの予習も兼ねたバッハの無伴奏チェロ組曲も同様。段々チビッ子の話を一人一人順番に聴いている気分になってきた。これによりPrelude・Allemandともにかなりの時間を費やす。ここ最近怠り勝ちな練習内容だったため疲れるが、効果は場面を限定せず、覿面に現れる。
 バロックヴィオラはジェミニアーニの9番。モダンで大分感覚を取り戻したつもりでいたものの、バロックでは音符に対して更なる踏み込みの必要があるらしい。楽器と頭と体のチームワークのバランスが取れず、練習中はずっと四苦八苦のし通しだった。

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