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Musée de Louvre 19:45

金曜日の夜の楽しみ方 として あなたはどんなものを思い浮かべるだろう?
自由な時間が約束された週末の入り口でもある金曜の夕方はいろんなことが可能に思えたりもする。
映画館でずっと見たかった映画を見ようか?
それとも久しぶりに誰かとどこかで夕食でもしようか?等々、何通りもの可能性が頭をよぎった後に、結局は一人で部屋にこもろう( ウーバー・ イーツの夕食とネトフリの組み合わせほど安心で心が休まる過ごし方はないと考える人もいるだろう)となったりする。
かく言う私も、ここ数年はこの最後のタイプ かもしれない。ただ、パリにはパリならではの選択肢があるのも事実。 それは「夜のルーブル美術館を訪ねる」という選択肢である。

ルーブル美術館は、毎週金曜の夜に限り夜9時まで開館しているので少し早めに夕食を済ませてから出かけることもできるというわけだ。
私も過去に一度、 外がもう夕闇に覆われている時刻にルーブルで美術鑑賞をしたことがあるのだが、昼間との決定的な雰囲気の違いにワクワクしたことを覚えている。
スポットライトのみで浮かび上がる古代ローマ皇帝の彫像が窓の外の月を眺めている様子はどう見ても魂が宿っているようで、 時代の境界線すらが曖昧になっていくのを感じた。
それから数年が経ち、この春休み中に再び夜のルーブル美術館に行きたいという気持ちがムクムクと湧き上がってきた。
4月も終わりになると、フランスでは夜8時になっても日が沈まず、 数週間前には想像できなかったほど昼が長くなる。 だからもしあなたがパリの夜7時頃にテラスで食事をしたら、小鳥たちの囀りをBGMに青空の下でのディナーとなるだろう。

私は帰宅してから夕食にすることにして、夕方6時半頃家を出てルーブルへ向かった。
入り口で飛行機に乗る前みたいな物々しい荷物検査を済ませてから入場すると、まだ結構な数の人々が中にいることに驚く(なるほど!今はどこの国の観光客も金曜日の夜遅くまでルーブルが開いていることを知っているらしい)。
さて今回はどの部門を観ようかなと3方向に分かれるエスカレーターの前で考えていると、私の頭の隅っこであのモナ・リザが微笑んだ。 モナ・リザ といえば 初めてその絵を見た時、考えていたよりもずっとサイズが小さかったことに驚きを覚えた。

作品よりはるかに大きなガラスケースで覆われた(今は展示方法が違うようである)、こじんまりとしたサイズの絵の周辺に黒山の人だかりができている様子はどこか滑稽で、作品を鑑賞する気が失せた。このようなアートの差別化はフランスらしくないなと思っていた時、ふとこの作品をさもありがたそうに見上げている中国人やアメリカ人観光客の表情が作品自体よりも気になってしまった。
そこで作品の反対側に回って彼らの口の開いた表情をカメラに収めたのだが、予想通り誰も私に注意を払う者はなかった。

まだあの絵はガラスケースの中に入っているのだろうか?と想像したらまた変な興味が湧いてきた。となればもう行き先は決定だ。
ドゥノン翼に入ると「モナ・リザはこちら」という標識があちこちに立っている。それを頼りに歩いて行っても、なかなか絵は姿を現さない。
これが山だったら絶対に遭難しているはずだと訝しく思いながらも、次々と目の前に現れる素晴らしい作品の前で時間を過ごした。
アングルのグラン・オダリスク 、マンテーニャの聖セバスチャンの受難、そして カラヴァジオのいかさま師にナポレオンの戴冠式といった錚々たる作品群が次々と目の前に姿を現す。
これらの作品群は、不思議なことに毎回こちらに初めて見るような衝撃を与えるのだが、これらを観賞する方にもまた、同じくらいのエネルギーを必要求してくる。 完全に時を忘れて鑑賞していた私には、なかなか目の前に現れないあのモナ・リザを探す体力がなくなってしまった。

出口を探しながらホールの端まで行くとまたしてもあの 「モナリザはこちら」 という標識が不思議な暗号のように私の前に現れた。
ところが 今度はその標識は近い場所に2つあり、 それぞれが別々の方向を指していたのである。

私はモナ・リザに試されているのだろうか?

それとも 前回 私が頑張って観賞しようとしなかったのでちっちゃな仕返しをされているのでは?

などと考えながら私はそっと心の中で「彼女」に別れを告げ、そそくさと大理石の階段を降りて夜の帳が降りる直前のルーブルの出口へと向かった。




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