【創作】ボドゥールと満月




東海道本線の1両目の車両に立つ。

運転手の背中のさきには、

ずっとずっと続く線路がのびていて

大人であろうが子どもであろうが、

必ず立ち止まってチラと窓の外を見る。

進行方向の左手に見える、幻の花畑を僕は知っている。


尾張一宮から名古屋へ向かう快速電車に乗ると、

ぴゅんぴゅんと過ぎる景色の傍らに、

向日葵のように背の高い、ボドゥールの花畑がある。


グラジオラスの花弁に似た形のその花は、

図鑑にのっていないし、

香りも知らない。

名前だって僕が勝手につけた。


ボドゥールが見たい。

そう思った日、

僕は快速電車の1両目に乗り込む。

各駅停車のスピードでは見えない。

幻の花は縮尺だっておかしい。

ビルや看板と同じような大きさで、

ググっと線路寄りに傾いて生えている。

大きな花を重そうに支えている幹は、

カサカサとささくれが所々に見られ

産毛のように毛羽立って白く霞んでいる。


ほんの一瞬、その花畑を見るためだけに、

僕は眼球に力をこめる。

あぁ、今日も見れた。

無事に見れた。

時間にして1秒もみたない、瞬き1回分の隙間に、

僕はありもしない花畑をしっかりと焼き付ける。

説明も面倒だし、誰かに話したこともない。

ただ見られるだけで、確認できるだけで、

それはもう満足なのだから。


*


娘が、大きな月を見たという。

どのくらい大きいか尋ねると、

入道雲より、象さんより、パパの顔より、

ずっとずっと大きい月なんだと教えてくれた。

そしてそれが一番好きな月だ。と、

彼女は神妙に告げる。

もしも娘にとってのボドゥールが

その月だとしたら、

何に変えても大切にして欲しいと、僕は思う。

恋した相手とか、数式なんかより、

長く長く心に残りますようにと、

誰にも言わずにこっそりと願う。


2019年7月7日


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