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毒親。皮肉。

こんばんは。
書けるうちに書くぞー!ってことで、3/31の深夜なうです。
投稿時間はズレるかもですが、年度末!あと5分で新年度!!!


◎はじめに

前の記事で、わたしの母親について書きました。彼女は、毒親って完全に言えるほどではないけど、「子どもよりも自分を優先する」点で、明らかに『毒を帯びた親』でした。

類は友を呼ぶって感じで、父親も全く同じタイプ。毒親!ではないけど、強烈に毒を帯びていました。
まず、家事・育児にほぼ関わらない。プラス、自分の機嫌を隠さないタイプで、今で言うとフキハラ(不機嫌ハラスメント)がすごかったです。。

ただ、酒やギャンブルはいっさいやらず、お金もしっかりと稼いで、最低限、家に入れてはいました。


◎具体的にどんな毒を帯びていた?母親編。

前回の記事で母は『子産み教の信者』と書きましたが、かなりひどかったです。
20代前半で長子のわたしを産み、家も狭いのに立て続けに3人も。。当時から、それが嫌で嫌で仕方がなかったです。
家は常に動物園。騒ぐ妹たちに、「いなければよかったのに!!」と、負の感情を覚えたこともありました。

わたしが中学生になった頃か?広い家に引っ越したのですが、忘れもしません。

「家も広くなったし、4人目がほしいなあ」

と、言ってのけました。わたしには常に「長女なんだからしっかりしろ!」と、父の分まで妹たちの世話を押し付けていたのに。。

流石にわたしも絶望して、涙ながらに訴えました。

「そんなことするなら、わたしは家出する!!もうたくさんだ。これ以上、きょうだいなんて要らない!わたしを見捨てるなら、好きにしたらいいよ……」

その言葉が通じたのか、単に子宝に恵まれなかったのかは知りませんが、なんとか4人目は産まれずに済みました。今でも、よかったと心から思っています。


そんなやりとりもあったからなのか?わかりませんが、高校受験を控えたわたしに、さらなる追い討ちをかけた母。

「これからは妹たちにもお金がかかるから、高校生になったら男に頼って生きなさい」

これは、今でも鮮明に覚えています。この時も絶望しました。

それまでは成績優秀で、高校も毎年早慶に行く子がいるレベルの進学校に入りましたが、勉強へのモチベーションが下がり、落ちこぼれました。
成績も単位もギリギリで卒業し、大学受験はしたものの、浪人が許されていなかったので、落ちて専門に行きました。。


そして大人になってから、母に言ったんです。
「母さんの言いつけを守って、あれからずーっと男に頼って生きて、24歳で結婚したよ。わたし偉くない?」
「はあ?そんな酷いこと、言うわけないでしょう!!」

言葉を失いましたね。。
言った方は、その時の経済状況や気分とかで、深く考えずに言うんでしょうね。
思春期の女の子の未来を打ち砕いたのに。。


◎父親編は、またの機会に。。

父は放任主義だったのもあり、わたしの憎しみのエピソードは母に対するものが多いです。

今になって感じたことですが、20代前半でわたしを産んだ=母が女として衰えていく頃に、わたしが大人の女性へと変化していく時期だったので、女特有の劣等感もあったのだろうな……と思います。
だから母は妹たちよりもわたしのことが憎たらしかったのでしょう。

わたしは子どもを産んでいないので、女としての衰えは母よりは全然マシですが、それでも、33歳あたりから色々と変わってきて、落ち込むことも増えました。
女風に出会ってわたしは救われましたが、母の時代にそんなものはないし、何より、仕事と育児に追われて、自由なんてなかったと思います。お金も。


◎でも皮肉なことに、母の教えは正しかった。

2024年現在、Xには『婚活アカウント』が溢れかえるほどに、結婚できずに悩んでいる女性がたくさんいます。

わたしの友人・知人にも、早慶、旧帝大、MARCHなどの高学歴なのに、結婚できずに・または離婚して、わたしよりも経済的に困窮している人が山ほどいます。
日本はまだまだ、女性の昇進や昇給に厳しいことが、この年齢になると痛いほどにわかります。

わたしは母に言われた通り、高校生になってから全力で男に頼って生きたので、彼氏も途切れず(むしろ、常に複数の親しい男性がいました)恋愛偏差値はぐんぐん上昇。
21歳かな?現在の夫(JTC勤務)と出会い、24歳で入籍、その後しっかりゲストも呼んで結婚式をし、ハネムーンにアフリカ周遊というインパクトの残る経験をし、徐々に関係は親友へと変化。
ポリアモリーの概念を取り入れて、離婚することなく今に至ります。


もし、母が育児や教育に熱心で、わたしを突き離さずに育てて大学に進学していたら……今頃、どうなっていたのか。
答えは誰にもわかりません。


◎おわりに

なので、今現在、毒親に悩まされている人も、希望を捨てないでほしいです。
人生は、どう転ぶか本当にわかりません。
人間万事塞翁が馬という、わたしの好きな言葉がありますが、

「辛い経験も、巡り巡って、良い方向に進むこともある」

逆も然り……なのですが、今回はそれは置いておきましょう。苦笑


子どもは親を選べません。なので、義務教育の中学までは、耐えるしかないのかもしれませんが、、誰でもいいから、頼れる人を見つけて、乗り切ってほしいです。

わたしの場合、祖父母や習い事の先生、友達が逃げ場でした。
高校からは、彼氏たちです。本当に、今思うと感謝しかありません。(ストーカーになった人は除く)。

今では夫に一番、感謝しています。親と夫が死にかけていて、どっちかしか助けられないとしたら、迷わず夫を助けます。年齢の順番的にも。苦笑


今回も、読んでくださった方、ありがとうございます。



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