見出し画像

私は空気を読まない

周囲の言動を洩らさず見聞きする。
幼稚園から帰ったらその日の全ての情報を
一言一句正しく、登園から時系列順に
母へ報告する。そんな幼児だった。


私は虚弱体質でおとなしかった為、
比較的お家柄の良い友達が多かった。

母は元から人付き合いが下手で
ママ友ネットワークに迎合出来なかった。
元ヤン、バツイチ、高校中退の母に
お家柄の良いママ友など以ての外である。

ただ、自分の娘に同じ轍を踏ませまいと
頑張ってママ友に迎合しようとした方法が
娘本人に情報収集をさせることだった。

友達とおままごとをしながら
相手の家庭事情を推察する。

友達の家へ私1人で遊びに行けば、
友達とお庭で遊びながらも
ママ友達のティータイムの世間話を
盗み聞いて、ママ友勢力図を知る。

そして帰宅すると母から
事情聴取並みの質問攻めに合い、
少しでも曖昧な回答をすると叱責されるのだ。

ママ友ネットワークを自らの手を介さずに
手の内にした母は、幼稚園・小学校と
ママ友付き合いを上手いこと攻略した。
私もお家柄が良い友人達と交流することで
自動的に優等生扱いを受けた。


そんな生活は中学1年生まで続いた。
美術部に所属し、部活動の顧問が
たまたまクラス担任であった。

先にも記述したが虚弱であった為、
外で遊ぶよりも本を沢山読み、
勉学に励んでそれなりの成績を収めていた。
また、黙々と絵を描くことも好きだった。

何が言いたいかと言うと、
クラス担任兼、部活動顧問から
露骨な依怙贔屓を受けていた。
そこからはイジメのオンパレードである。

帰宅後の母への定例報告会は
自分の成績、教師達の情報のみで
イジメに関しては隠していた。

盗み見、盗み聞いた周囲の言動は
全て自分への嘲笑に聞こえ始めた。

そして、耐えきれなくなり
母へカミングアウトして
周囲の言動を見聞きすること一切をやめた。

そこからの私は自由奔放であり、
イジメもクラス替えと一緒に消えた。
空気を読むことを敢えてやめた。


ただ、大人になった今でも、
キャハハという笑い声がすれば
自分が笑われているのでは無いか?
コソコソと話されては
自分の陰口を言われているのでは無いか?
と疑心暗鬼になる日々を過ごしている。

この記事が参加している募集

自己紹介

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?