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「量子論×場づくり」を考えてみる2日間

量子論×場づくり

先週末は、村松大輔さんの2daysセミナー@大阪

最近自分の中で、量子論のパラダイムから場づくりを紐解き、それを「人の可能性がひらいてゆく場づくり」につなげていきたいというのが、ホットなテーマの1つ

そういう意味ではむちゃくちゃ楽しみにしていた2日間は、ほんとに濃ゆいいい時間だったな~  

今回の学びの備忘録&投稿見てくれる人とのわかちあいメモとして、このnoteを書いてみようと思います

といっても、わたしの解釈フィルターを通しているので=セミナーの内容というより、セミナーを通して私の中に生まれたことという感じで読んでみてください。(ベースの内容も事実もあれば仮説段階のものあり)

量子論的世界観で世界を見る

セミナー時のメモ

まず量子論的世界観の前提をいくつか

同じものを、物質的世界観で見るか、量子論的世界観で見るかによって、まるで違う世界として認識できる。

そして、世界観の違いによって自己認識が変わり、自己認識が変わると意識が変わり、意識が変わると現象が変わっていく

セミナー時のメモ

物質的世界観から見れば、動くはずのないものや、変わるはずのないものが量子論的世界観では動くし変わる。

たとえば物質的世界観では無から有は生まれるとは俄かに信じがたいし、時空を超えて同時に多数の場に存在することなど無理という認識だが、量子論的世界観で見ると、そのどちらも起きている

素粒子レベルでみると”わたし”は隙間だらけでスカスカww
物質的にみれば”わたし”はギュッと詰まっていて自と他の間に境界があるように思えるが、 素粒子レベルで見れば実は自と他の間に境界はない

また素粒子は振動であり波動、ゆえに周波数を持っている。 

私たちは素粒子であり、その素粒子はあらゆるところに遍在している高次のエネルギーフィールド=ゼロポイントフィールドから生成しそこに消滅していく生成消滅がものすごい速さでなされている。

エレクトロン・クラウド(イメージ)

それがわたしであるならば、わたしとはすべてとつながっていて、個のわたしであると同時に全体がわたしでもある。(このあたり人間の認知の限界を超えているので、実感湧きづらいかもwwでも量子論的世界観でいうとこうなんだよねって話ww)

素粒子は観測する(=意識を向ける)と粒(=物質化)になる。それまではあらゆる状態になる可能性がある。これが「重ね合わせ」という概念。 ゼロポイントフィールドにはあらゆる周波数帯、あらゆるデータがあって、”わたし”という存在はあらゆる周波数帯の中からいずれかにつながって、そして他の誰かではない”わたし”=個となる。

セミナー時のメモ

素粒子は今発見されているもので17種類あるといわれている。

素粒子の1つにフォトン=光子がある。
文字通りフォトンは光で、そしてこれは人間のDNAにも存在しており、それはバイオフォトンと呼ばれている。

バイオフォトンについて、ドイツの生物物理学者のフリッツ・アルバート・ポップ博士はこんな仮説を唱えている

意識とはコヒーレント(共時的)な光(フォトン)。脳内だけで起きるものではなく体のあらゆる部分(全細胞)で生じる全体現象”

つまり意識とは、その人の存在すべてから発する光であり波動なんだという仮説。いい感じの状態の人を「キラキラしてる」って言ったりもするけれど、あれってあながち比喩じゃなくリアルにキラキラしているのかも?!ww

場は波動が共鳴し増幅していく

ここからは、これらのことを踏まえながら、「場づくり」ということに絡めて書いてみよう。

場とは相互作用が生じるエネルギー場
という定義があり、これは場を人と人とが関わるあらゆる場面としてとらえても当てはまると思う。

場とは増幅装置のようなもので、特に人と人との(エネルギーの)相互作用によって、そこにいる一人ひとりの可能性や、その集合として共同体の可能性が、ひらきもすればとざされもする

増幅装置としての場(鵜川作成)


セミナー時のメモ

同じ周波数帯の波動は共鳴し広がっていくが、違う周波数帯のものは共鳴しない。

つまり場は、そこに生まれている意識=波動を増幅していて、その波動のエネルギーが同じ周波数帯のもの共鳴し、波動干渉して増幅しているともいえるんじゃないか?

これは感覚的にもすごくしっくりくる。互いが自己防衛モードであればそのエネルギーが増幅していくし、自己開示モードであればそれが増幅していくし。


自己防衛モード
自己開示モード

ちなみに周波数の高低は波の密度の違いで、「1秒間に振動数がどのくらいあるのか」を表しているのがHz(ヘルツ)という単位

周波数は高いほどエネルギーは大きく、 よろこびや感謝などは高い周波数帯をもち、逆にイライラや無力感や不安感は低い周波数帯をもつらしい。

人はこの周波数帯がコロコロ変わりやすいし、周りからの影響とか、過去の体験からどうしても低い周波数帯の意識になってしまうみたいな感じってあるんだと思う。

だからこそ、この高い周波数帯でいられるトレーニングとかってむちゃくちゃ大事だよねって思う(セミナーではありがとう瞑想や、”せいで”を”おかげで”に変える思考習慣とかを教えてもらう)

いろいろ試してみることで、「わかる⇒できる」に変わっていく

ちなみに、低い周波数が悪いとしてしまうのもまた少し違う。たとえば愛の周波数は、これらの様々な周波数を全部含んでいるという。

それは、様々な経験=様々な周波数帯を体験しているからこそ、真の受容や共感、見返りを求めずともよろこびで満たせる感覚をつかむことなどができるようになっていくという(これもすごくピンとくる)

大事なのは、ダメはないという世界観、ジャッジのないあり方なのかなと思う(これは心理的安全にまさにつながることでもあるよな〜)

「解決しよう」を手放す

セミナー時のメモ

人は日々様々な現象に向き合っていると思う。いろんなことが起きるよね~

そして、起きている現象を「望ましくない」とジャッジをしたら、解決しようとするのは当然のことだと思う。

しかし、量子論的世界観から見ると、実はこの「解決しよう」を手放すことが大事なんじゃないかというところに思いが至る。

「解決しよう」というスタンスは物質的世界観で、今起きている現象にフォーカスが合っていて、それをなんとかしようという意識=波動になっている。それは同時に「なんとかしなければならない問題がそこにある」という意識=波動を生んで問題を出現させているとも言える。(このニュアンス伝わるかな~ww)

「解決しよう」を手放すという感覚は、そこにあらわれている現象はすべて必要なことの表れとして捉え今「この場に現れたがっているものはなんだろう?」ということに敏感になり、それが出てくることを抑えないことでもある。

と同時に本来そうあってほしい望ましいイメージにフォーカスを合わせ、自らがそのイメージにふさわしいあり方でいるという感じ(このニュアンスも伝わるかな?!ww)

わたしが強く影響を受けている言葉

その場に生まれる波動(=素粒子(の一種であるフォトン)=意識)が共鳴し、より大きなエネルギーがその場に広がり、現象に影響を与えるという構造がそこにあるのだとしたら、まさにガンジーさんのこの言葉は、量子論的世界観からみた「その場に変化をもたらす本質」を語っているように思う。

「学習する組織」を提唱しているピータ・センゲさんはこんなことを言っている

「創造すること」と「問題を解決すること」の根本的な違いは簡単である。問題を解決する場合、私たちは望んでいないことを取り除こうとする
一方、創造する場合は、本当に大切にしていることを存在させようとする
これ以上に根本的な違いはほとんどない

また、オットー・シャマーさんが提唱するU理論では、今囚われている様々な観念(Downloading)を保留し、ジャッジや皮肉あきらめ、怖れを手放していくと(let it go)、本当に大切なものが現れるのを迎え入れる準備が出来る(Let it come)ということが語られている。そこにプレゼンシングが起きる。

Uの構造と自己防衛モードor自己開示モード(鵜川作成)

「解決しよう」を手放すとはつまり、ダメはないという世界観、ジャッジのないあり方でその場に関わろうとするということであり、量子論的世界観からすれば、逆に「この手放すモードじゃないと、むしろ解決難しいよね」とすら思うww

因果と縁起

セミナー時のメモ

結果にはその直接的な原因があることを「因果」と言う。

しかし現実はその因果があってもそうはならないことがある。
その結果になるには、無数の「おかげ」があってこそ。その無数のおかげを「縁起」という

人には素晴らしい可能性があるからこそ、その可能性がひらき素晴らしいことが生まれるという因果があるのだが、それがひらくも閉ざすも縁起によるのだとすれば、場とはまさにその縁起なのだと思う

本来、一人ひとりのも、またその集である共同体も、素晴らしい種を持っていて、ゆえにそれが発芽し開花し、素晴らしい花や実が生まれるという因果を持っていると、わたしは信じている。

にも関わらず、意識=波動の低い縁起に囲まれることによって、花や実が生まれないこともある

誰かが、その可能性を感じて信じて、意識=波動の高い縁起を”発振”することが、まさに場をいい感じの縁起にしてゆくことなんだと思う。

天命に生きるって?

セミナー時に書いた「地球に何しに来たの?」の問いから出てきた言葉

この2日間の学びの後半に、天命というキーワードが出てくる。天命に生きるとは、つまり量子論的世界観でゼロポイントフィールドとつながり生きるという感覚。そこに自他の境界はなく、自らのエネルギーが同時に誰かや世界を動かしていくような感覚

わたしなりに解釈したのは、それをすることが楽しくて(よろこびのエネルギー)、ゆえに見返りなど求めていなくて(愛のエネルギー)、でも結果自分も誰かもよろこんでいる(感謝のエネルギー)ので、物心両面で満たされてゆくのが、天命に生きるようなことかな

「あなたはこの地球に何をしに生まれてきたの?」という問いに、この時出した答えはこんなフレーズだった

まるで遊ぶかのように自らの創造性を解放し、自由に生きる姿を体現し、この世界はもっと楽しんでいい場所なんだということを知らせるために生まれてきた。

そうなんだよな~、だからわたしは場づくりをしているんだろうし、そういういい感じの場をつくれる人、場を人の可能性がひらいてゆく方の増幅装置に出来る人が増えてほしいから、場づくり講座をしているんだよな~という思いを新たにした時間になった

これを書いている今、わたし自身の波動はきっとむちゃくちゃ高い周波数帯にあるんじゃないかと思いますww

2日間の学びから得たキーワード集

ここに書いてあることとかぶるのですが、この2日間から得た学びのキーワードを箇条書きで書いてみたので、こちらもよかったら覗いてみてくださいね


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