メンヘラの夜は長い

 誰かに相談するって感覚がよくわからない。いつからそうであったかもハッキリ覚えていないけど、もっと小さいころは「母親」という絶対的味方であるはずの存在に悩みを話すことが多かった。
 気付けば今、自分の考えを隠さず話せる人間は居ない。友達を信頼していないわけでもない。ただ、こちらの一方的な都合により相談ができない。文章で思いを書き連ねることは可能だけれど、言葉に変換できない。だからTwitterやブログなんかで不特定多数の人間に向けて悩みをゲロのようにぶちまけている。このほうがお気楽でいい。
 病院のはなし。
 先日あたらしい精神科に行きました。結果、惨敗。道路にポタポタ涙を落としながら帰り道を辿ることとなりました。
 私のこれはただの思春期こじらせのようで、「誰もが通る道」「薬じゃ治らない」と言われました。でも、皆こんなに死にたくなるのをどうして我慢できるのかしら。不思議でなりませんね。やっぱり私が弱く劣っているせいですか。ハァ。だったら尚更死にたいんだけど。リーゼでいいからくれや。
 医者曰く、「あなたは辛いことから逃げてるだけ、まずは目を背けるのをやめる」だって。これを言われた瞬間に、そんなことできたら苦労しないぞと怒り狂いましたが、冷静に考えてぼくがいつも自分に言い聞かせてることと変わらない。他人に言われてここまでダメージを受ける理由は、言い聞かせがまったく意味をなしていないのと、図星だからってことであられます。ここで、やっぱり自分はただ逃げているゴミクズではやく死んだほうがいいんだ……と思うことすらも逃避。自分の否定と罵倒こそが逃げることに繋がっていたのだ大発見。晴天の霹靂。
 結果わたくしはどこまで言っても健常ですべてから逃げた醜いいきものなのでした。ちゃんちゃん。そうしてここで死というハッピーエンドを迎えたいところではありますが、実際死ぬことは臆病者にはなんだか難しいようで。確実に死ねる方法があったら苦労しないのですわ……。
 さて、思春期をこじらせた女、これからどうするか。どうするもなにも、言われた通りに辛いことと向き合うべきなんだな。この字面だけで吐き気がこみあげますが。けど思います、そうまでして正しい道に戻りこれから生きていく意味はあるのかと。今この文を書いた瞬間なぜか涙ぐみましたが、即ち私が一番疑問に思ってることだという話であって。だからこそ頻繁に死を願っているのでしょう。
 十数年間生きた結果出た答えに生きる意味を見つけられなかった。ヒトが生きるのは自分のためです。私にいる推しも、友達も、私の生きる意味にはならない。だからこそ死への欲望を抱きつつ今日までなんの味気もない人生を歩んでいるのです。
 たとえ私が医者のいうとおりにできたとして、それでどうするつもりなんだろうか。これから「やりたいこと」がひとつもない。強いて言えば自殺。絶対に三十歳までに死にたいって中学生のときから思っている。これから生きていくことにひとつの価値も見いだせません。これが皆通る道ってことなんですか。私の思春期はいつまで続くんですか。乗り越えられた大人のひとに相談もできずにどうやってひとりでこんな最悪な人生を立て直せばいいんでしょうか。
 私だって不登校になるまえは絵を描きたいだとか、美大に行きたいだとかちょっとはありましたよ。今は絵に熱中する意味もなんだかよくわからないし、美大はもう無理でしょうから。知りませんけど。とにかくさっさと死んでしまいたい。やめたい。人生に終点を贈りたい。それが逃げなら逃げでいい。死ねればいい。
 とは言いますが、死ぬ勇気も私にはないので、残された道は自分を見つめ直すことだけみたいです。最悪だ。やめさしてもらいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?