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アルボンディガス争奪戦【レシピ小説】

「今夜、早く帰るから待ってて。一緒に食べよう」

 妻の胡桃が珍しく会社からメッセージを送ってきた。話したいことがあるらしい。

 話の内容は実はお見通し。彼女の昇進報告だ。彼女はブライダルプランナー。正確には、今までは既存のプランに沿って準備に走り回る体力勝負の仕事内容だったのが、先月の仕事を無事に終えたら、チームリーダーとして実際にブライダルプランの提案を任される、と僕の親友で彼女の上司でもある澤井が漏らしたからだ。

 わざと素っ気なく「いいよ」とだけ返信する。お祝いしないわけがないじゃないか。

 お祝いメニューは『アルボンディガス』。スペインでいうミートボールのことだ。新婚旅行にスペインに行って以来、何かにつけてスペイン料理が食卓に登場する。

 何しろ僕たち夫婦ときたら、年甲斐にもなく『カリオストロの城』に登場する「ミートボール・スパゲティ」に目がない。ルパンと次元のごとく、大皿から取っ組み合いをしながら取り分けていると、トマトソースの匂いに乗っかって、付き合いはじめた頃の不思議な親近感や緊張感、不安や羞恥を一緒くたに煮詰めたような甘酸っぱさが蘇ってくる。

 さっそくミンチ肉を捏ねて丸める。刻みパセリや松の実も忘れない。丸ごとでは口に入りきらないくらいにデカイのがいい。小麦粉を薄くまぶして高温でサッと揚げ、肉の旨みをギュッとミートボールの中に閉じ込める。

 ミートボールにはここで休憩してもらい、続いて別鍋で、ニンニク、玉ねぎ、にんじんを炒め、香りが立ったらパプリカ投入。パプリカがフツフツとなったらトマトピュレを加える。

 ここからミートボールも一緒に圧力鍋で煮込むことたったの20分。ミートボールは口の中でホロリと崩れるほど柔らかく、ソースもトロリと煮詰まっていい感じ。

 そうだ、スパゲッティーを茹でる間に、とっておきの赤ワインの栓を抜いておこう。酸味の程よいふくよかなメルロー種がいいな。オーク樽の匂いが香ばしく香って秋らしいエレガントなのがいい。今日は特別にデキャンターも使ってしまおう。

 付け合せはグリーンサラダなんてどうだろう。色と味わいが微妙に異なる数種類のフレッシュな葉野菜だけのサラダを、香りの良いエクストラ・バージン・オリーブオイルとシェリー・ビネガー、塩だけで和える。程よい苦味のルッコラは外せない。テーブルが一気にクリスマスカラーになって余計にワクワクする。

「ただいま。ごめんね、電車一本、逃しちゃって」

 ちょうどワインが空気に触れてふんわりと開いた飲み頃に、玄関のドアが開く。彼女の頬がちょっと赤い。走って帰ってきたのか?そう言えば、熱っぽいから医者に診てもらうとか言ってたけど。

「わお。アルボンディガス。美味しそ!」
「すぐに食べられるよ」

 話があるのは彼女のほうなのに、テーブルに着くなり落ち着かない僕。デキャンターからワインをグラスに注ぐトプトプという音が僕の鼓動と重なる。ふっと鼻先をかすめるイチジクのようなワインの香りが僕の緊張に優しく寄り添う。

(やっぱり本人の口から先に報告したいたいよな……)

 逸る気持ちを隠すようにミートボールの一つにフォークをつき刺して口に運ぼうとした時、彼女がようやく決心したように鼻からすっと息を吸い背筋を伸ばした。


「あのね……できたみたい…………赤ちゃん」


 フォークの先を上に向けておくべきだった。下を向いたままのフォークの先からミートボールがゴロンと転がり落ちて、飛び散ったトマトソースがテーブルクロスに花火のような赤い模様をつけた。

 プロポーズの時に、妊娠は難しいという話は聞いていたが、もし可能性があるならばと始めた不妊治療。実際には、身体的よりも精神的なプレッシャーが想像以上に強く、心から血を流しながら生きるより、二人で自由に生きる人生も選んだ。

 本心から、彼女さえいれば十分だと思っていた。不妊治療を中止し、仕事に専念する意味もあって、彼女がフルタイムでの勤務をスタートしたと同時に、広告デザイナーとしてフリーで仕事をする俺が家事の担当することに決めたのが今春の出来事。

 排卵不全が分かってから何年もの間、産めない自分に対する劣等感に押しつぶされそうになりながらも、新しい人生を切り開こうと前向きに踏ん張ってきた彼女。仕事もようやく起動に乗りはじめた今のタイミングで妊娠だなんて。

 産後の社会復帰は容易ではないのは分かっている。妊娠から出産、育児を通して女性へのしかかる社会的負担は非常に大きく、働く母親に対するフォローは全く足りていない。生んで欲しいなんて僕の口から簡単には言えない。

 普段は底抜けに明るく人一倍泣き虫な彼女が、小さく震えながら俯いている。


「おまえ、自分は不良品だから無理とかって“嘘つき”だよな」


 僕の手が吸い寄せられるように彼女の頬を伝って髪の毛の中に潜り込む。手から伝わる僕の体温で、今までの長く辛い時間が涙になって溶けていく。わざと“嘘つき”だなんて言ったところで、“愛している”にしか聞こえない。僕の手の平に彼女の頬の重みを感じながら、ゆっくりと唇を重ねる。 

「きっと何か大きな理由があって『今』私たちのところにやってきたんだよ。仕事は他にあっても、授かった命は一つしかないよね……」

 握った手から伝わる心の温度を確かめ合う言葉のない二人の空間に、真綿色の温かい光がゆっくりと注ぎ込む。

「……せっかくのワイン、おあずけだね」

 赤紫色に揺れるワインに目をやる彼女はいつの間にか母親の顔になっている。僕はというと、既に三人のミートボール・スパゲティ争奪戦が待ち遠しくて仕方ない。

 料理もすっかり冷めて、ワインもおあずけ。

 あぁ、なんて散々で最高の晩ごはん。

 やっぱりミートボール・スパゲッティは僕らにとって特別な料理。


本日のお持ち帰り用レシピ
スペイン風ミートボールのトマト煮 – Albóndigas con tomate

材料
(ミートボール)
ひき肉             500g
ニンニク         1かけ
牛乳に浸したパン   80g程度
卵                                             1個
塩            少々
刻みパセリ                          適量
松の実(ドライ)                    適量

(ソース)
玉ねぎ         大1個
にんじん          大 1本
ニンニク                   2かけ
トマトピューレ缶      大2缶弱(1.2~1.5キロ)
パプリカ                大匙1    
オリーブオイル        100cc + 揚げ用    
小麦粉                                適量
塩                                       少々
砂糖                                      少々
ローレルの葉                     1-2枚



作り方
①ひき肉にパセリ、松の実、牛乳に浸したパン、卵、みじん切りのニンニクを加えて充分に練る。

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②30g程度の大きさに丸め、薄く小麦粉をつけて高温の油で揚げる。(オリーブオイルでもサラダオイルでもどちらでもよい)
《ここでミートボールは保存しておく》

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③圧力鍋にオリーブオイルを熱し、みじん切りのニンニク、好みの大きさに切った玉ねぎとにんじんを加えて、玉ねぎが透明になるまで炒める。

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④パプリカを加え合わせ、香りが立ったらすぐにトマトピューレを入れる。
⑤先に用意したミートボール、ローレルの葉、塩少々、砂糖を加える。
⑥圧力鍋にかけ、つまみが回り始めてから20分。
⑦蓋を外して、ソースを煮込む。

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コメント
スペインではトマトの酸味を消すのに砂糖を使うが、ピューレそのものに酸味が少ない場合は入れなくても大丈夫。ピューレによって水分量がかなり違うので、初めて作る時にはソースを煮詰める時間に注意する。野菜の量は、ニンニクと玉ねぎ以外はオプションで応用できる。野菜不足解消にセロリやマッシュルームを入れても美味しいデス。

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