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美味しいものは、やっぱり美味しい

【さんちゃご!!】
 イベリア半島の最北西部ガリシア地方に位置するサンティアゴ・デ・コンポステラ。

 この町の名を聞いて、すぐに「巡礼」という言葉が思い浮かぶ人もいるように、9世紀初頭にキリストの12使徒の中の一人、聖ヤコブの墓がこの地で発見されて以来、ローマ、エルサレムに並ぶカトリック教の3大聖地の一つとされている。

 ローマ時代にはガリシア最大の都市として繁栄し、当時の城壁が世界遺産として保護されている歴史あるルゴからサンティアゴ・デ・コンポステラへ突き進む道のりは、毎年、世界各国から30万人を超す人々が通過する巡礼街道である。

 ところで、サンティアゴという名なのだが、聖ヤコブの墓がこの地で発見された後、イスラム軍勢との戦中にキリスト教軍が窮地に達した際、白馬に跨った正義の騎士サンティアゴが颯爽と登場し、戦いを勝利に導いたという伝説が人々の間で深く浸透したらしい。
 キリスト教徒達の頼みの綱となったサンティアゴ。嘘か誠か、日本のキリシタン天草四郎も出陣の際には「さんちゃご!」と叫んだそうだ。

 ちなみに、聖ヤコブはスペイン語ではサンティアゴになる。フランス語ではサンジャック。つまりフランスでいうと帆立貝の呼び名となる。

 どういう訳で、聖人の名前が帆立貝になってしまったのかというと、古くは、巡礼を無事終えた証拠として巡礼者たちが帆立貝の貝殻を持ち帰ったのが始りで、後になって、巡礼者だという目印として体のどこかに帆立貝の貝殻を身につけるようになったと言われている。

 そういうこともあって、御当地サンティアゴ・デ・コンポステラでは、帆立貝の料理はレストランには欠かせないメニューとなっている。


 料理書の中でとても古い帆立貝のレシピを見つけた。ここでは貝の身を玉ねぎとパプリカで調理したシンプルな調理法になっているが、町で見かけるものはトマトソース仕立てのグラタンになっていることが多い。
 ただ、グラタンといってもチーズがトロリというのではなく、あくまでも、帆立貝の優しい甘みを消してしまわないように最小限の手しか加えられていない。素材を重視するガリシア料理らしい。

 ***

 
 街の中心に位置する大聖堂から四方に続く細い街道には、気のきいたレストラン、そして、街道の石畳の脇にはバールが立ち並んでいる。
 
 雨がシトシトと降り続くことで有名なガリシア地方。巡礼者のみならず、旅のリズムを崩してしまう雨は、旅行者にとっても、あまり嬉しいものではないのだが、その雨でさえ風情あるものに変えてくれる独特の雰囲気がこの町にはある。

 洞穴のように軒が深く奥入っている建物の一角は、夕暮れになるとカテドラルの灯りとバールの店先に吊るされたカンテラの灯りが見事に調和してなんとも言えない美しさがある。雨も悪くない。そう思わせてくれるのだ。


 今日は、土産物屋のおじさんが「昨日も行ってきたところだよ」というカテドラル脇の細道にある一つの小さなバールへ潜り込む。

 間口が狭く、気を付けて見ていないとつい見過ごしてしまいそうな小さな店。
 内装も質素なもので、席数も少ない。20人も入ればもう窮屈になってしまう店では、店主兼カマレロが一人、黙々と店を切り盛りしている。
 
 そんな彼をそっと見守るように、壁には色褪せたアンティークなビールのポスターが数枚貼り付けてある。
 その中の一枚が、小さなピーマン《ピミエント・パドロン》のポスター。サンティアゴ・デ・コンポステラから少し南西にあるパドロンという小さな町の名前に由来する。

 
 一人前だけ注文すると、高温の油でカラリと素揚げにし荒塩をふりかけたミニピーマンが20個近くも出てくる。
 ここからがお楽しみで、この中に2~3個だけ、激辛が混じっている。まさに、食べるロシアンルーレット。

 一口でパクリと食べられる大きさなので、摘まんでは食べ、また摘まんでは食べる。口の中でそっと辛さを確かめながらも、手は休む間なく次のピーマンに伸びている。
 そのうち辛いピーマンに当たるのだけど、辛さが口に広がってしまう前に冷たいビールでさっと流し込む。

 このままピーマンとビールだけでも充分だと思っていたら、続いて、本日のメイン、《カルド・ガジェゴ》が運ばれてくる。
 大根、インゲン豆にじゃがいもを豚骨スープで煮込んである素朴な一品で、日本の豚汁を思わせるものがある。ガリシアのおふくろの味といったところ。土製の深い器に注がれたカルドを木のスプーンでそっとすくって啜りあげる。

 何だろう……。

 酔った日の夜明け前の豚骨ラーメンのような、胃の中をゆっくりと温めてくれるような優しい味がする。

 琉球には古くから塩漬けの豚を使った料理があったらしい。この辺りの料理の多くはポルトガルから伝来した料理の影響を強く受け継いでいるというから、《カルド・ガジェゴ》が日本の豚汁の母体でないとは言い切れない。

 豚の背肉または前足部分を塩漬けしたものをラコンといい、バカラオ同様、24時間水に浸して塩抜きをしてから調理する。

 しかし、この料理の主役は塩漬け豚なのかというと、この料理には立役者が別に存在する。それは、「じゃがいも」。
 この、「じゃがいも」こそが、ガリシア料理の中で最も頻繁に登場する野菜なのだ。

《今日の歴史メモ》
 コロンブスの新大陸発見以前に、既にチリ北方からペルー南方にかけての地域に「パパ」と呼ばれる、人間にとって非常に有益な植物が存在した。

 スペインにおいては1538年、ぺドロ・シエサ・デ・レオンという人物の書の中で「調理するとやわらかくなり茹でた栗のよう」と記されたのが最初の記述だが、歴史家の説によれば、新大陸発見後の銀の流入に伴ってスペインに伝来し、1570年にセビージャで栽培し始めたのが始まりであったという。

 当初は、主に修道院にて試作的に栽培され、食料としてではなく薬用と考えられていた。
 カルロス5世やフェリペ2世の率いる軍隊がジャガイモを所持していたのもこの理由からだったようだ。フェリペ2世はローマのピオ6世にも体に良いからと献上したという話である。何でも痛風に効くのだとか……。

 その後、本格的に食用として栽培されるのは1620年以降となり、スペインでは、ここガリシア地方が最初の栽培地に選ばれたという。

 

【食の底に流れるもの】


 しっとりと湿った石畳の町をゆっくり歩いていると、街道沿いにある小さな食料品店の店先で、何やら不思議な物体がある。
 黄色味を帯びた円錐状の物体はなんとチーズ。見た事もない形をしたチーズに見入っていると、実は二種類あって、どちらも主原料は牛乳だと店のおばさんが教えてくれた。

「薄い色の方が《テティージャ》て言ってね、中は白くモッタリと濃厚、酸味が少しあるの。
 一塊がちょうど掌を広げたくらいの大きさで、形よくこんもりと盛り上がってるから『迫力おっぱい型』。
 
 濃い色の方は《ケソ・デ・サン・シモン》。ルゴ付近の山岳部で造られるスモークタイプで、こっちは先が尖がっているから『尖がりおっぱい型』。洋ナシみたいな形で……」

店のおかみさんの説明が終わらないうちに、

「うちの奥さんはテティージャさ!」

と聞いてもいないのに、客に一人が横入れをする。

 一気に店の中が和み、空気が一つになる。こういう、本には載っていない情報が、地元の人たちとの会話の中から転がり落ちてくるのが限りなく楽しむ。店のおばさんも、客も一緒くたになって、大笑いするのだ。

 結局、チーズはその場で味見をさせてもらい、ご当地名物のアーモンドケーキ《タルタ・デ・サンティアゴ》もサービス。先ほどのテティージャおじさんが、デザートワインはないのかと囃し、いい加減にしろとおばさんが制す。

 表面に粉砂糖でサンティアゴの十字架の模様が抜いてあるアーモンドケーキ。いつもながら甘ったるいのだろうという予想に反して、中身は意外とあっさりしている。一口食べると、アーモンドの味と香りが味覚と嗅覚を埋め尽くす。
 キリスト教のメッカともいえるサンティアゴ・デ・コンポステラの、イスラム食文化の象徴でもあるアーモンドをたっぷり使った名物ケーキ。幾年もの月日を得て、スペイン菓子を代表するケーキとなった。


 じゃがいもがこの地で栽培されるようになった背景にも、アーモンドがキリスト教の聖地の名物菓子の食材となった背景にも、さまざまな歴史があり、全てが神々しい歴史であったわけではない。数え切れない赤い涙が流され、尊い命が失われてきた。

 その上で、海や陸を渡った食は、多種多様な文化の中で、歴史を塗り替えながら人々に受け入れられていく。

 「食」には潤滑油が含まれているのだと思う。

 美味しいものは美味しい。良いものは良い。そんな当たり前なことを滑らかに伝える潤滑油は、ここガリシアの素朴な食文化の中にもしっかり浸透している。
 
 
 


次の目的地 ⇒ ラ・コルーニャ

おっぱいの形をしたチーズ。
作っていたら偶然、そういう形になってしまったのか、わざと作ったのかは謎ですが、世の中には、面白い形をした食べ物ってありますね。

作った人に「どうしてまた???」と聞きたくなるものもあったり…

そこで次回のお題はこちらです。
『奇妙な形をしたアノ食べ物について教えて!』

あっ!
登場したのが「おっぱいチーズ」だからといって、下ネタに走る必要はありません。

あなたの思い出に残っている「なんであんな形だったんだろう」について教えてくださいね。

お題の回答はいつものようにコメント欄、もしくはTwitterで、#食べて生きる人たち のハッシュタグをつけて投稿してくださいね。お待ちしております。


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