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未来への変化のはじまりはいつも不意に



どんな未来を生きてゆこう?

今まで考えていたようで考えていなかったし、行動しているようでしていなかった


大切な現在を積み重ねて、ミルフィーユ状になってしまった「結果論」がそこにあるだけの未来?

ビジョンを描いて共に「切磋琢磨」して、「虎視眈々」と丁寧に現実を仕上げて手繰り寄せた未来?


未来は穏やかで楽しくて、空間や時間と一体でいられることを、素直に喜び合える日々であるように

今これから足りない何かを、何処から「意志ある改革」として状況を動かしてゆけるのか


スタートラインに立たずして、未来への変化は1mmも予想外の世界にはみ出さない


わかっていたはずなのに、今を生きることに精一杯で、現状が最適解であると疑うことすらなかった

どうしてここにいるのか?その理由は何なのか?己の意思で導き出した認知なのか?

密かに現状へと感じている鈍痛を紛らわすかのように、適応な気分転換や消費を繰り返した

もう少し頑張れば、きっと出来るはずだった


挙げ句の果てには、それが「人生」だなんて、適当なタイトルを付けてみたりして

あらゆるすべての角度から、自分の立っている場所を客観視して、生きる悦びを360度すべて隅々まで念入りに、自分自身の創造力でクリエイトして、選択したもので埋め尽くせていたら、もっと違うハッキリとした「生命力の感触」が、心身にみなぎるのではないだろうか


きっと楽しかったことも、素晴らしかったものも、手放し難いものも、ここには存在していた

でもそれは過去の遺産の一部でしかなく、己の生活そのものを骨董品を愛でるようなものにしたいか、もしくは生鮮食品や新しい生活や風土の習慣への興味や理解、適応という生の躍動にあふれたものにしたいか、自問自答すればするほどに今ここにある成実していた現実のメッキが剥がれてゆく


もはや答えは決まっている


現実との折り合いをつけるためには、目標が決まったのならば、経験値を活かして運命に問いかけるしかない


イメージできないままでは、チャンスが目の前に転がり込んできたとしても、きっと見過ごしてしまう

失敗を恐れる気持ちはないわけではないけど、もはや失敗の種なんて今の現実にも多数潜んでいる

未来って魅力的だなぁって、そこへと向かうパワーが、生命力の充満とリンクすると信じたい


まだハッキリとしたビジョンは見えてこないけれど、何に違和感を感じているのかということは見えてきたような気がする

衝動的に行動に起こすつもりはなく、しっかりと作戦を考えて、然るべき運の導きを感じられた時に、大きな一歩を踏み出すのだ


最大限のイメージする力を己のそばに置くことを、片時も離さないようにしよう

きっとあの場所に行けると信じて、先ずは生きよう


運命を待っている、そして導きを信じている

素敵な未来に向けて。何度だってやり遂げてきたはずだから

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