上級者『徒然草』会読

昨夜の『ソクラテス』に続き、今日午後は、音読高段者向けの『徒然草』の会読会だった。

教科書では、吉田ならびに卜部兼好と紹介されると思われるが、1400年代において、卜部家は「吉田」とはるかに離れた系譜であり、小川剛生氏の、吉田家の兼倶が自家系譜の盛り上げのために捏造・添付したとの説が正しいと思われる。
兼好は、1283年生れとされる。
1320年前後に出家か。京都東部に庵を編んだと思われる。この頃ほどしばらくして『徒然草』「執筆」開始か。故恩師富澤は、この一方で『増鏡』を執筆と推測していた。
1333鎌倉幕府滅亡。南北朝時代突入。
兼好没は、1352年頃ということなので、当時としては、割と長寿であったと言える。
『徒然草』が最終的にまとめられたのは死の直前の49年ごろと思われる。
有名な「序文」が書かれたのはこの時ではないか。
この毛筆で書かれたと思われる冊子を、一体何人が読み書写したのか。
その一つが正徹(1381〜1459)で、その写本が今日の『徒然草』の元である。
これ以外のこれより以前の写本がないことから、これが現在の『徒然草』の姿ということになるが、そこに正徹の「加筆」があったかどうかはわからない。
初めに、第32段までが40歳までに書かれたものであることを示し、これが下級貴族の若者への人生教訓書のニュワンスが濃いものであることを解説した。社会的地位、仏門、死生観、倫理や性欲、季節に対する感性、こうしたことは後代の若者に向けての「伝言」としか考えられない。だからこそ、一般にも受けたのである。
若者への「メッセージ」ー兼好は若者に向けて書いた。
でもそれはある程度人生を生きなければ知られぬことだった。
押し付けがましいことは言うまい。
でもわかりきったことがある。
それに気づかせたい。
これはソクラテス的善意である。

会参加者はすでにこの音読を知ったウハウハの達人領域目前の人たち。
もっと、知りたくてたまらない人たち。
もっと「深さ」を感じたい人たち。
「高まり」と言うものが、自分から求めて実践した時にこそ得られると悟った人たち。
「教師」としての自分の自覚を持った人たち。
一気に第20段まで全文音読直解解説した。
吸収力の極めて高い集団を導く仕事は強い快感である。
参加者に礼申し上げる。


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