見出し画像

私が日本語教師を目指したきっかけ

今日は、私が日本語教師になったきっかけについて書きます。

新社会人

社会人になって初めての職場は、旅行会社でした。部署は外国人旅行課というところです。今で言うインバウンドです。

観光で訪れる個人や団体の旅行客、国際的なイベントや国際会議、企業のインセンティブ旅行向けのホテルやレストランの手配、旅程管理などを担当していました。

実は、旅行会社に採用が決まり、配属が発表になる前は、漠然と海外旅行部門に行けたらいいなと考えていました。

しかし、入社後の新入社員研修中に、希望する部署について作文を書く日があり、私の考えは大きく変わります。

会社の資料を見ていた時、わずかな情報量しかなかったのですが、外国人旅行課のページから、目が離せなくなってしまいました。

中学生の頃から、外国人の目を通して書かれた比較文化論のようなものを読むのが好きだった私は、海外旅行よりも外国人旅行のほうに興味を持ちました。

日本が持つ素晴らしい文化や風景を海外の方々に知ってもらいたいという思いを込めて、熱く作文を書きました。それが良かったのか、希望が通ったのです。

そうしてこの会社で過ごす間に、私にとって日本語教師を目指すきっかけとなる2つの要素が生まれました。


1つは、酔った時の先輩の話です。お酒が入ると必ずする話の一つに
「○○(海外エージェントの添乗員の名前)は、 日本語が上達しないなぁ。毎年のように日本に来ているのに 未だに「てにをは」がおかしいんだ。『わたし名前○○です』w」と、面白おかしく、話すのです。

私はこの話を聞くたびにいつも、そんなふうにバカにしたように言わないで教えてあげればいいのにと思っていました。

その頃の私は、世の中に日本語教師という職業があるのを知りませんでした。

2つ目は、とある企業のインセンティブツアーに添乗したときのことです。 全米で売り上げの良かったディストリビューターの旅程は、日本国内の旅行の後に、香港旅行も組み込まれていました。

本来であれば、私は国内の添乗で終わりのはずが、訳あって香港にも行くことになってしまったのです。

上司たちに、「ほら、お客さんたちは皆英語ネイティブの方々だから、香港では何の心配もいらないよ。ホテルと、レストランと航空券の予約確認だけしてくれればいいから、行ってらっしゃ~い!」と超お気軽モードで送り出されました。

香港のお土産屋さんでショッピングタイムをとっていた時のことです。ツアー客のみなさんは、用事があれば自分たちで英語を使って問題解決できるので、私のやることはほとんどなく、少々時間を持て余していました。それを見ていたのでしょうか。

突然、お店の若い店員さんに英語で話しかけられます。

「日本人ですか?」彼女は私が日本人だとわかると質問を始めました。

「半袖は、日本語で何て言うの?」
教えてあげるととても喜んでくれて、その他にも色々と聞いてきます。

都度、彼女は熱心にメモを取り、私の日本語をリピートします。しばらくすると満足したのか「ありがとう。日本語を教えてもらって本当に助かったわ。お礼にお店の物何でも50%オフにするね」と言ってくれました。

そのオファーももちろんうれしかったのですが、それよりも、私の心の中にいつもの仕事で得られる感情とは別の、何か満ち足りた気持ちがじわじわと広がっていくのを感じました。

転勤族の妻となる

そして、時は流れ、結婚して子供が生まれます。結婚を機に旅行会社は退職していました。転勤族の夫と結婚したので大体2年ぐらいのスパンで新しい土地に住むことになりました。子供も小さいですし、頻繁に住むところが変わるので働くのは難しいなと思っていました。

転機の訪れ

しかし、転機が訪れます。私の出身地でもあり、両親が住む北海道に転勤になったのです。私は、ママ友を作ってお茶したり、ランチをするぞ!と意気込んでいました。すると母が私にこう言ったのです。

「何か資格を取ったり、やりたいことがあるんじゃないの?やりたいことがあるならサポートするよ!子供の面倒見るわよ。」

私は、はっとしました。そうだ、浮かれている場合じゃない。この先ずっとここにいられるわけでもない。夫のこの転勤は私にとって大きなチャンスだ!でも私は何がしたいんだろう。毎日、考えました。

ある日、地下鉄に乗っているときに一つの吊り広告に目が留まります。

「日本語の教え方教えます」― え?なにこれ。日本語の教え方教えますって。見覚えのある語学学校のロゴが入った広告でした。心を鷲掴みにされました。

日本語教師という職業をここで初めて知ったのです。 日本語教師がどのような職業であるかを知り、私が本当にやりたかったことはこれだったのだと気づきました。

日本の良さを伝えたいと書いた入社時の作文、先輩の「てにをは」の話、香港のお土産屋さんの店員さんとのやりとりが頭に浮かびます。日本語を学びたい人がいる限り、どにに行っても私は働ける!!転勤族でもOK!もう居ても立っても居られません。

その後の行動は、自分でも信じられないほど迅速でした。日本語教師になるために必要なことを調べ上げました。

420時間の日本語教師養成講座、日本語教育能力検定試験。講座にかかる費用、講座終了までに要する時間。開講日、授業スケジュール。幼稚園と小学校が終わった後の子供の預け先・延長保育・児童館・地域の子育てサポーターさんなど。

色々調べた結果、私は日本語教師になるための第一歩を踏み出すことができました。

その後の道のりについては、また別の機会にお話しすることにします。

今回は、私を支えてくれた人たちに感謝の気持ちを表して、結びにしたいと思います。

私を支えてくれた人たちへの感謝

やりたいことがあるならサポートすると言って、私に将来のことを考えるきっかけをくれて、多大なるサポートもしてくれた母。

お母さんも自分の時間が必要ですからやりたいことを見つけて延長保育も活用してくださいと言ってくださった次男の幼稚園の先生方。

毎回快くそして温かく我が家の子供たちを受け入れてくださった地域の子育てサポーターのお母さんとその家族の皆さん。

母のやりたいことのために、小学校のすぐ前にある家に帰らず、遠くにある児童館に行って放課後を過ごしてくれた長男。

入園早々、延長保育をしたり、お迎えがおばあちゃんの日もあるなど混乱でしかなかったけど毎日元気に園に行ってくれた次男。

そして日本語教師養成講座を受講したいと言った私に「いいんじゃない」と快諾して費用も出してくれた夫。

何か一つでも欠けていたら、私は今ここにいないかもしれません。
感謝の気持ちを再度伝えたいと思います。本当にありがとうございました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次は、日本語教師になるまでの道のりについて書きます。
では、またnoteでお会いしましょう!
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?