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新入社員が水をかけてあげようかと言われた話

じょうろを見ると思い出す話がある。

新入社員の時の話だ。入社間もない頃、旅行会社で私は仕事を覚えるのに必死だった。失敗も多かった。大きな失敗もした。

ある日、上司が私の横に椅子を持ってきてデスクに肘をのせ、頬杖をつきながら真顔でこう言った。

「ねえ、ねえ。優谷ちゃん、お水をかけてあげようか」

え? 私また何かやらかした? やばっ?
オロオロする私に上司が今度は笑顔になって続ける。

「いやー、早く一人前の戦力になるようにさ!」「水も肥料もかけてあげたい気分なんだよ」

うわ~。びっくりした。

本当に心底驚いた。そういうことかと思いながも、もっと他に表現のしようがなかったのかと思った。てっきりまた何かやらかして、頭冷やしてこい!というバケツで水をかけるほうをイメージしてしまった。

今でこそ、訪日する外国人旅行客は一年を通して多いが、当時は春と秋が繁忙期だった。桜や紅葉を見に、気候的にも過ごしやすい時季に訪れる人が多かった。

だから、4月入社の新入社員を手取り足取り指導している暇などないくらい忙しかったはずだ。それなのに、仕事は一つ一つ丁寧に教えてもらうことができた。

外回りするときも一緒に連れて行ってもらって、上司はクライアントさんに必ずこう言うのだ。

「今度入社した、うちのエースです!」

この決まり文句で紹介されるたび、私は自分の顔が瞬間湯沸かし器にでもなったような気持ちになった。ぼっ!と赤くなるのが自分でわかった。

全然仕事ができないのに、エースって紹介されたら頑張るしかない。でも、そんなにすぐには成長しない。そんな私を見て、上司は早く一人前になってほしいと思っていたのだと思う。

先輩の話によると、外国人旅行課に新入社員が配属になったのはなんと6年振りとのこと。久しぶりに新入社員が来るということで、課内はちょっとした騒ぎになっていたらしい。

けれども、ふたを開けてみれば配属されたのはエースとは程遠いのろまな亀社員。期待に沿えないもどかしさと、失敗も続いて表情は暗くなるばかりの使えないヤツだった。

ある日、落ち込みながら残業しているときに、先輩が声を掛けてくれた。

「最初から全部できる人なんていないよ。俺たちは、何年も同じことやってるからできて当たり前だし、はやくできる。焦るな!」

先輩の言葉は心に沁みた。

一つ一つできることからやればいいのか、と落ち着くことができた。
それからは、「水をかけてあげようか」とは言われなくなった。


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