ストレスのバランス
とくに疲れているときは、そんな文章が読みたくなるんです。読みたくなるってより「なにかには触れていたいけど、考えながら読まなくちゃいけないものは(頭を使うから)読めない」って感じ。
ラジオもそうかな。ただただ雑談だけのラジオ。為になる話でもいいんですけど、良い意味で一生懸命聞かなくてもいい話、どこから聞いてもついていける話、そんなのを聞きたいんです。聞いてる途中に他のことを考え始めてしまったり、ボーッとしてしまったりするので、ついていけなくなると「あー」ってなってしまうから。
聞いてたところまで巻き戻すのも億劫。お仕事をしていたり、緊張することが続いていたり、人の顔を伺う時間が続いていたりすると、その人のことが嫌いなわけじゃなくても、必要最低限以外のコミュニケーションを取りたくなくなってしまうもの。
noteを書いたり、ゲームをしたり、本を読んだり「向こうからリアクションが返ってこなくて、こちら側が一方的に触れられる媒体」だけに時間を使うようになる。
たぶん、それでストレスのバランスをとっているんだと思うんです。
何かをするのは楽しい。でも疲れる。コミュニケーションもそうです。基本、話すのや聞くのは楽しいんですよ。でも疲れる。疲れたら寝るように、喋り(聞き)疲れは1人の時間を過ごすことで回復する。
優しい人ほど、寄り添おうとする人ほど疲れやすい気がしています。話を聞いてくれる人はいっつもニコニコしている。でもその裏では(というと性格が悪いように聞こえるけどそういうことではなく)ちょっと疲れている。娯楽と休むのは違うんです。娯楽は楽しいんですけど、それなりに疲れるんです。お仕事とは違う疲れ。たとえば気を使うとか、思っていることが伝わらないもどかしさとか、笑い疲れとか。
SNSを見ててもいいねをしない理由は、悪いとかつまんないって意味ではなくて「一方的に見ていたい」から。
回復モードのときにリアクションや連絡が来てしまうとちょっと「うっ」てなる。でも来たからには返さなくちゃいけない。またその返すタイミングも今じゃないなーって思ってしまい「あー、連絡ためてるなー」とそれもまた気になってしまう。気にすると、とことん気にしちゃう。
それを気にしなくてもいいくらいの人が自分にとって心地よい人だったりするんですけど、相手からすると「冷たい」と思われてしまいがちなので、自分が興味を持つ前に離れられてしまう。都合のいいことを言っているのはわかっているんですけど
「違うのぉぉぉぉ、むしろいつでも話したい人だからこそなんだよぉぉぉ(よーよーよー)」
と心の雄叫びをあげてます。
タイミングが今じゃないなーとおもっても、話しかけられたらなんやかんや話してしまうんですけどね。だって蔑ろにはできないし、話すモードになっちゃったから。家にいると基本は誰とも話さないじゃないですか。すると1人モードになるんですよ。そこから電話なり連絡なりがくると「人と話すモード」にならなくちゃいけないので、その切り替えがなかなかできない。話したくないとか嫌いとかじゃないんですよ。布団に入っちゃったらトイレに行きたくてもなかなか出られないじゃないですか。そんな感じ。
外にいるときは基本誰かと話すモードなので、誰から話しかけられてもそれなりに話せますけど、外にいても1人モードのときはあるんです。喫茶店で本を読みに行こうとしてるときとかね。そんなときくる連絡も(見てるけど)なかなか返せない。
あ、もちろん緊急の場合は別ですよ。そこまで自分のモードを優先はしません。あくまで日常の場合です。
別に嫌いじゃない人でも「1人モード」のときに来られると「1人モードのときにすっごい話しかけてくる人だ‥」から「自分のことをわかってくれない」となってしまって距離を置くように心がけてしまう。
何かされたとかそういうんじゃないんです。むしろ何も悪くない。こっちの気分ですしこっちが悪いくらい。でもまた、こっちから話しかけにいくんです。だってそのときたまたまタイミングじゃなかっただけで、話したくないわけではないから。
すいません、ほんと。ここまで読んでくださったかは「えっ、めちゃくちゃ自分勝手やん」と思われるかもしれません。えぇ、でもその通り。
好きな人に対しても、寄り添おうとしすぎたり話を聞きすぎると疲れちゃいますよ。それに他の人とも話したいですし。いろんな人と話していて結果、特定の人に好意を寄せるので、その人“だけ”とコミュニケーションをとりたいわけでわけではない。
好意を寄せるのは“心理的安心感”からなんです。
いつ話しかけてもいい、言っても言わなくてもいい話ができる、「ねーねー、やっぱなんでもなーい」みたいなことも言える。
頼りになる?経済的に余裕がある?かっこいい?かわいい?それも魅力でしょう。でも、心理的安心感を得られる人はなかなかいない。だから好きになるんです。ドキドキとか青春みたいなキュンキュンではないんですよ。んー、関わっていたら気づいたら‥ってパターンでしょうか。
ごめんなさい、まだちょっと続きます。
学生時代、毎日のようにすぐ眠れていました。好きな人がいて、頑張っていること(勉強)があって、それなりに人と話して楽しんでいたから。
大人になってからは自ら関わりに行かないと人と話せないですし、仕事柄何もない日は何もないので疲れもしませんし(ジムとか勉強とかして疲れさせたりするし)、なんとなく過ごしてしまった日なんかは「何か為になることを少しでもやろう」と夜更かしをしてしまう。今だってそうです。noteを書いているのは、その日何かしらしたという証を残すため。だからこんなことを書いてる。
疲れすぎるのを抑える為に感情を動かすことをしなくなる。すると何に対しても不感症みたいになってしまうんです。何かに気づきそうでも、テンションが上がりそうでも、逆に落ち込みそうなことがあっても抑えてしまう。気付くまでに時間がかかってしまう。わかった後にはもう遅くて‥。
子供の頃かなんなのか、比較的若い時に傷ついたことがいっぱいな人ほどそうなってしまう気がしています。だって、ぼくがそうだから。いじめられていたときは辛かった。だから感情を動かすことをやめたんです。無にした。それが傷つかない方法だったから。でもそれをやってしまうと全部にそうなってしまうんです。嬉しいことも悲しいことも好きなことにもむじゃきに反応できない。
一度なってしまったら戻すのに結構時間がかかる。それをゆっくりでも解放してくれる人、そんな人が落ち着くんだろう、たぶん。そんな人に出会えても「もしかしたらいずれそのときが来るかもしれない」と思うとなかなかひらけない。深く仲良くなりたいと思う人ほど時間がかかってしまう。その間にも「あれ、こんだけ時間がかかるってことはもしかして、そこまで仲良くなりたくないのかも」なんて思ってしまったりして、様子見期間もあり、また長引く。
ひらききったときに傷付いたらこれはもう、結構どころかだいぶ時間がかかってしまうんです。そんなことになるんだったら最初から程々でいる。
ぼくだって嫌ですよ、傷つくのは。でも、傷付いたとしても開ききって仲良くなりたい、そう想えることがありました。でも焦らずに。いきなり来られるのは怖いですから。
“だらしなく居られる人
大人になってからの好意はここなんじゃないかな、究極。極論かもしれませんけどね。ぼく、一度想ったことはなかなか変えられませんから。だからダメなんだろうなー。もっと柔軟にねっ。
ドキドキしてる?
有野優樹(ありのひろき)
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