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人はその時の気持ちに合わせて言葉を選んでいる、スゴイ生き物。

高校生の頃、夢や目標もしっかり持たずになんとなく学生生活を送っていました。一応、声優になりたいという夢はありましたが、本格的に動き出したタイミングが遅かったんです。

・「ある日に感じた絶望」

【音楽の授業が嫌いになった理由】

歌うことや、音楽の歴史を学ぶことが(得意ではありませんでしたが)好きでした。黒板の前でカリカリ勉強しているよりも、実技的なことの方が好きだったから。それに、堂々と声を出せる環境ってなかなかないじゃないですか。カラオケにでも行かないと。それを実質タダでできるし、声を出せば出すほど評価してもらえる。自分を見てもらえている感じがして好きだったんです。

ある日、音楽の先生から

「合唱部に入らない?」

と、声をかけていただきました。その頃にはもう声優養成所に通っていたりアルバイトをしていたので、嫌だったわけではなく、物理的に時間を割けなかったのでお断りをしました。

それまでは「5」だった音楽の成績。それが、「4」になった。

タイミングがたまたま重なっただけかもしれません。歌が下手だったり、授業態度がよくなったり。でもわからなかったんです。下げられた理由が。

「え?いつもと変わらないのになんで落ちたの?」

先生に思い聞きに行ったんです。すると

「あーごめんごめん、他の生徒と間違えちゃった。でも、もう変えられないから許して!」

“アーゴメンゴメン、ホカノセイトト、マチガエチャッタ?

じゃあ今までの僕は誰だったの?何を見ていたの?成績を下げられたことではなく「ちゃんと見てくれてなかったんだ」ということに苛立ちました。歌うことも音楽も嫌いになった。

それからは完全にボイコットをしましたね。音楽の授業が始まると「すいません、具合が悪いのでトイレに行ってきます」と言ってずっとこもってる。

音楽が嫌いになったのではなく“先生が嫌いになった”のに、音楽が嫌いになったんだと、勘違いしてしまっていたんです。

そのときの音楽の知識は、その先生が全てだっ“あ、もーだめだ。”と、思ってしまった。だから、常々「一つの知識をいろんな人に学んだ方がいい」と言っているんです。その人が全て、基礎になってしまうのは危ないから。


【言葉を伝えることの責任】

教えさせていただく立場になって意識しているのは、僕の伝え方のせいで、お芝居やナレーション、広く言うと“表現”を嫌いだと感じてもらわないようにすることです。

僕がこのお仕事を目指せたのは、先輩方がこのお仕事を残してくれたから。これからこの世界を目指す人に対して「え、有野みたいな人がいる業界なの」とは感じてもらいたくない。

たまに「厳しくしてほしい」と言う方もいらっしゃいますが、学ぶ目的は「うまくなること、それをお仕事にすること」であって、「厳しく言ってもらうこと」が目的ではないんですよ。

リアルを伝えた結果、厳しい言葉になることはあっても、最初から“厳しい言葉で伝えてほしい”と思ってしまうのは、本質的ではない。

教える人は、その人の未来・将来を担っているので「とりあえず厳しい言葉を並べる」ことは、やめてほしいなーと思うんです。一人一人をちゃんと見る、聞く。

あとこれは完全な好みの話なんですが、あなたとか君と言うんではなく“名前”で呼んであげてください。「有野さん」と苗字だけでもいい。それだけでも「あ、自分を見てくれている」と感じられるからです。でも、欲を言えば名前で呼んでほしいなぁ。


【ナレーターと名乗る不安】

僕は喋り家です。原稿を読んだり、フリートークで表現をしています。BGMはあっても、音に合わせてリズムをとるとか音程がどうとか〜と、いうのはありません。音に合わせて〜(ようは歌)は正直、苦手なジャンル。

歌うことは好きなんですよ。でも、顔を見られるのがあんまり好きじゃなくて。人前で歌うとなると、歌ってるときの顔を見られる訳じゃないですか。

歌には励まされることもありますし、感情的になることもありますし、また聞きたいなぁーと良い思い出を作ってくれることもあります。

声のお仕事の収録中、基本的に顔は見られません。表現はしたいけど、表現をしているときの顔は見られたくない。僕にとって、とても心地よいお仕事です。

今では“ナレーター”と名乗っていますが、ナレーターと名乗るのも、まだちょっぴり不安で。

声優を目指して学校に通い、声優事務所に一年所属しました。それ以降はフリーランスでやってきましたが、多分僕は、声優にもナレーターにもなれないんです。

これはネガティブな意味ではなく、結局は“有野優樹(ありのひろき)”しかできないんだろうなと思っているからで。有野優樹を通して、お芝居やナレーションなどをやらせていただいている。声優と書かず“聲優”と書いていたこともあったり、言葉のDIY職人と言っているのも“ある種のコンプレックス”なんですよ。

なにかになれないなら、自分で作るしかない。

みんなのようには読んだり、書いたり、表現することができない。上手い人って、いろんなジャンルにピタッと当てはめられるんですよ。それができない。

普段あまり触れない表現に触れることはすごく刺激になりますね。またnoteを読んでくださると嬉しいです。


次回「いじめられるのは、きみのせいじゃない」



ナレーター
有野優樹(ありのひろき)

noteを通して書籍出版を夢に!(シリーズ記事)

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