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ブラジルと出会ったのはアフリカルーツからだった(Brasil)

ミネアポリスの白人警官による黒人男性死亡の事件をきっかけに、改めてアメリカの根深い人種問題が浮きぼりになりました。

ものすごく根っこが深い話だと思います。私には想像が追いつかないほど。

アフロカルチャーで育ったと言える部分も多いのですが、だからこそというものでもなく、なんという表現をすればよいのかもわからず、静かに胸を痛めています。

この方のツイートがもっとも自分の感覚を言い表してくれていました。

日本に住む日本人である自分としては、今目の前にある自分の世界とどう向き合ってくかを、日々の生活の中で懸命に表現していくだけです。

でもこのことをきっかけに、アフリカルーツのカルチャーや音楽には大きな影響を受けたなと、改めて過去に思いを馳せました。

中学3年生の卒業間近に地元浅草のソウルクラブに遊びに行ったのが初クラブ。そのときソウルのダンスを教えてもらって、オーナーにDJMIX のカセットテープをもらいました。

ノーテン打ち砕かれてそれこそ伸び切るまで聞いたそのカセット、今思えばほぼ2/3が PARLIAMENT、FUNKADELIC、スライだったような気がします。

カセットケースの中の白い用紙に、黒く筆圧の高いフェルトペンの文字で書かれていた英語のタイトル達が、私を新しい世界に連れて行ってくれるような気がしてワクワクしながら日々テープを流していました。

高校1、2年からヒップホップやレゲエ方面を聞くようになり、流行りのクラブに通い、「音楽と夜遊び」という新しい誘惑にふわふわ漂う、あぶなっかしい数年もありました。

ここでなぜ「音楽」や今やってる「歌うこと」だけに傾倒して行かなかったかは私のそれまでの経験やメンタルに大きく関係しています。

それは復讐と逃亡。

ここはまた追い追い書いていくかな。


さて、HIPHOPフリークの友達も増えNYに数回遊びに行き、MIXテープを毎回たくさん買って帰ってきた、遊び場が広がったような20代。

ブラックコミュニティに友達もたくさんいたし、ソウルやR&Bなど歌うことに少しずつ心を開き始めていたので、(それまで逃げていたからね)色々勉強もして、大学四年の時の卒論テーマも黒人差別に関するものでした。

そこでなにかの文献を調べていた時にちらりと出てきたキーワード。

「カポエイラ・・?」

アフリカから奴隷として連れてこられた人たちがルーツとなったものということだけはなんとなくわかった記憶があります。

なぜだか強く心にひっかかったものの、当時はネットなどですぐ調べられるような環境ではなかったので、忘れることもないけど特に思い出すこともなく引き出しの奥底に放って置かれていました。

それから8年も経った頃、とある女性雑誌の格闘技特集で紹介されていて「・・・!!あああああ!!!これだあああああ!!!」と繋がり、そのカポエイラ教室の体験レッスンに行ったのが最初のきっかけ。

今は所属の団体が変わったし細々だけれど、続けています。

日本では「奴隷貿易」という悲しい歴史を学ぶ時にはアメリカでのそれが基本となっているし、中南米に連れてこられたアフリカの人たちを想像することはなかなかありません。

連れてこられた先がどこにせよ、悲しいかな、だからこそ生まれてきた多くの人を魅了する音楽や文化がある。上で紹介したツイートの通り、それが差別をしてはいけない原因ではもちろんないんだけど、こういう時に余計、普段そこからいただいている豊かな恵みを実感してしまいます。

自分が好きなもののルーツをたどると、どこかでふと繋がることがあります。ブラジルとアフリカのつながりもものすごく奥が深くて、まだまだわからないことばっかりだけれど、歴史やその成り立ちを知るのは思いもよらない出会いがあるものですね。

ー今日のポルトガル語勉強 2ー 

Brasil ブラジル
Eu não sei qual país que tem variados aspectos como o Brasil!
ブラジルほど多くの側面を持つ国を私はしらない。

またね!Tchau, até mais!

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