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難聴と目眩と神経性疼痛とストレス

耳鳴りの薬が、なくなってきたので、処方してもらおうと耳鼻科へ行ってきた。
前もって、今の耳の状態を聞かれ、血圧を計って診察台へ。
難聴による聴力低下も回復したのと、めまいもほぼ収まったのと、耳鳴りはこれ以上よくならないだろうとの診断と、アレルギーによる鼻の詰まりはスプレーを使っていたほうがいいと言われ、一旦、耳関連の投薬は終了。

処方箋をもらい、薬局へ行ったら「今回は、鼻の薬だけなんですね」と言われる。そうだ、この薬局でずっと難聴の薬を処方してもらってきたんだった。
薬剤師さんは、目眩と難聴治療の経緯を知っている。
とりあえずは、よかった。

めまいが酷くなったのは、確か今年に入ってから。
回転性ではなく、ふわふわと地に足がつかない感じの浮動性のめまいで、夜、布団い仰向けになるとグワァ〜んと始まり、しばらく落ち着くまでじっとしていなければいけない。それがほぼ毎日続いた。

難聴になったのも、ほぼ同時期。
母が体調を崩して入院した頃だったような…明らかにストレス。

めまいはの方は、神経性疼痛の痛み止めのせいと思い込んで諦めていたけれど、
耳鼻科の先生が、三半規管が弱いことよって起こってる可能性があると診断。
最初の丸薬、粉薬はあまり効いている感じがなかったが、次に処方された、シロップなのにものすごく苦い薬をしばらく飲んでいたら、少しずつ効果が現れてきた。

同時に、聴力のほうも、難聴になった時は、ヘッドホンで音が採れず、骨伝導じゃないと聴こえなくなっていたのに、少しずつ変わってきて、聞こえるようになってきた。

昔から、耳がいいことだけが取り柄の私にとって、聴力低下は致命傷だ。
しかも聴力は、一度落ちるとなかなか治らない、回復しないと以前から聞いていた。
もし、このまま聴力が戻らなかったらどうしよう…不安が重くのしかかる。
しかし、今は、主治医を信じて、薬を飲むより他ない。


きちんと毎回、薬を飲んで数ヶ月。それが功を奏したのか、聴力が回復してきた。
特に、左耳は数年前から耳鳴りが始まり、聴力も右耳よりは落ちて、二度と戻らないと諦めていたのが、なんと「右耳より、よいくらいだ」と言われた時は、驚愕した。
こんなことってあるんだ…まさか、聞こえる右耳より、よくなっているとは…
正直、いまだに信じられない。
いつかまた、左耳の聴力は落ちるのではないか、そんなことを思いながら、生活している。

数ヶ月苦しんだ難聴とめまいが、よくなってくるのと反比例して、脚の痛みが段々酷くなってきた。

この脚の痛みを感じ始めたのは、数年前。
名古屋に勉強に行っていた頃からだった。
大学病院で診てもらい、向こう脛の神経に異常が認められたと言われ、痛み止めの投薬治療が始まった。
諸事情から、最初に見つけてもらった大学病院から、紹介状とCDをもらい、今までずっと通い続けている大学病院に転院することに。
実は、転院した大学病院には、私のような症状を診る、専門のセンターが設置されている。
そこで、色々説明を受けたが、主治医の話によると、たとえ手術をしても、痛みや身体機能低下は改善しないそう。手術である程度改善するにはするが、場所が場所だけに、万が一うまくいかなかった時は、車椅子になるかもしれない。そう言われて、このまましばらく痛み止めの投薬治療を継続することになった。

昨年1月、亜急性甲状腺炎になったとき、一時的にステロイド剤を処方されて飲んだのだが、信じられないことが起きた。脚の痛みが消えた。
びっくりして、それを脚の主治医に話したところ、ステロイドを飲んだせいと言われた。ステロイドを服用したことで、脚の痛みが消えたのだろう…と。
ただ、ステロイド剤を飲むのは、最後の手段、安易には使えないと念を押された。
それまでは、通常の痛み止めで我慢するしかないとも…
飲んでもあまり効かなくなってるけれど、それでも飲まないよりはまし。
最後の手段て何?どうなったら飲むの?と一瞬確かめたくなったが、訊くのをやめた。訊いたところで、どうなるものでもない。

神経性疼痛というのは、身体のある部分の神経が異常をきたし、痛みを生じさせるものらしい。
私の場合は、向こう脛の神経が、異常をきたしているそうで、最初に主治医から、神経性というだけあって、ストレスが大いに関係するので、気をつけるように言われた。
でも、これだけはどうしようもない。
この2年8ヶ月は、ストレスとの闘いだった。
父がインフルエンザで緊急入院した、ほぼ同じ頃、脚の痛みが始まった。
よく、母に「痛い、痛い」と泣き言を言っていたことを思い出す。
あの頃は、まだ母も肺に腫瘍は抱えていても、自覚症状もないこともあり、元気だった。だから、私もついつい泣き言を言っていたのだけれど…

腓返りと同様の痛みを抱えながら、父の入院、退院、転院、そして公的な諸手続きなど、すべてを任され奔走していた。
退院しなければいけない期日が迫っていたのに、転院先が決まらず、入院していた大学病院の相談室で、ソーシャルワーカーさんに泣きついたことを思い出す。
まるで綱渡りの状態だった。
幸い、転院先の病院が見つかり、胸を撫で下ろしたけれど、あれから今も、その大学病院の相談室の前を通ると、胸がギュンと締め付けられ、ふっと泣きそうになる。
それだけ追い詰められていたのだろう。
転院してからも、銀行やその他諸々、問題が発生するたびに、奔走したり、踏ん張ったり、拗れた案件は一つもなく済んだけど、本当にキツかった…

いざとなると、一人っ子は強い。
弱々しく見えるけれど、ここ一番という時は、決して引かない強さを持っている。
子供の時から、兄弟に庇われたり、守られたりしたことなどなくて、常にひとりだった。誰からも守ってもらえず、一人で立ち向かわなければいけない境遇は、自然にストレスに晒されやすいのかもしれない。

最初は右足の向こう脛だけだったのが、左足も痛みを感じるようになり、以前は夕方からだった腓返りの症状が、今では四六時中起こるようになり、範囲も前面と側面に数ヶ所起こるようになった。
注射や筋肉痛など、痛みには慣れていると思っていたけれど、ここまでくるとやっぱり痛い。
でも不思議に「痛い痛い痛い」と大騒ぎしなくなった。
母に泣き言を言っていた時よりも、はるかに痛いのに…
言ったところで、痛みが軽くなったり、消えるわけじゃない。
言ってもしようがないと諦めているのかもしれない。

ストレスをかけない生活をしたいとは思うけれど無理な相談だ。
普通に生活している限り、きっと痛みは収まることはないだろう。
これからこの痛みと、ずーっと付き合っていくのだろうか…それを思うとうんざりする。
そして、この先何年、十何年も付き合っていけるのか、ちょっと心配だ。

できるだけ、好きなこと、楽しいことをしていこう。
それが、私にできる唯一の、ストレスをかけない生活につながるはず。
そう思って、毎日を生きようと思う。



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