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クソみたいな飲みの場でも良いことは言われる

私の母は人がよく、失礼だったりマウンティングしたりしてくる、他の人が距離を置くような友人でも長いこと仲良くしています。
本人曰く、「乗せておけば良いだけだし私そういうの得意だし。こっちがお世話になることもあるし。」とのこと。情けは人の為ならず…
でもそういう人とご飯行ったり話聞いたりするのしんどくはないのか?と聞いたところ、こんなことを言っていました。

「どんなに嫌な相手でも、”この人の話から今日は1つだけ何か盗んで帰ろう”という気持ちでいれば大体のことは面白く聞こえる」

正直それを意識していたわけでは無いのですが、先日大変不快な思いをした飲みの場があり。でも1つだけ確かにそれは覚えておこう、と思うことを言われてそこで母のこの言葉を思い出しました。
(ちなみにこんなタイトルにしておきながらどんな不快な思いをしたかはここでは書きません。聞かれたら答えるけど気になる人も別にいないと思うので…)

前の職場が一緒だった人とのサシでの飲みだったのですが、
「自分に対する評価は正しく把握しておいた方が良い」と言われました。(ありがたいことにその人は私の人柄だったり能力だったりを認めてくれている人でした。)

私はもともと自己肯定感が低く、それは生い立ちだったり過ごした環境からの暗示だったりするのですが(家庭環境は良好です。念の為。)確かにこの歳になってからの周りからの評価ってそれとは全く別物で。今のままだと自分の能力通りの評価をされても「高く評価された」、逆に低く見られても「そんなもんか」と思ってしまうので、どういう人にどう見られてるか把握しておくために褒め言葉とかの評価は素直に受け取れるようになった方が良い、と言われて、私はそこが確かに足りていないなと感じました。

周りの友人を見ていると、他人を巻き込んで一緒にプロジェクト立ち上げたりガンガン表に出していったり、そういう人たちも少なくなく、かっこいいなぁ!と思いつつ私にはやりたいことがあっても自信がなくて細々とこうやって1人で発信していくのが精一杯だったりするのです。1人で完結させちゃっているので周りからどう思われているか、ということも受け取る機会も少なく。人徳も築けていない…。笑

なんでこんな話になったかというと、私は他人と食事に行く時いつも「心のATフィールドを感じる」「壁が分厚い」「緊張してる?」と言われることが多く、今回も「本音が見えない」と話始めてしばらく経ってから言われていました。
正直緊張はしていないのですが、相手にそう簡単に本心見せようとしないところは自覚があり、他人からの褒め言葉とかも相当仲良く無い限り疑ってかかってしまうことがある、結果あまり褒められない、という話をしたのが発端でした。

前職の友人たちは、こういった自分の考えや意見を自信持って発信できる人が多くそういったところがすごく好きです。ただそれが度を超えた人も多かったので私はそれに関しては合わないなぁとは思っていましたが。
みんなにも押し付けはしない大人になって欲しいもんです。

まぁちなみにこの話がその後の”クソみたいな”展開への入り口ではあったのですが。今思うと。
「朝まで飲もうぜ!」のテンションだったのに終電待たずに帰りました。
みんなお酒には気をつけてくれよな!

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この間、このnoteに初めてサポートがつきました。
何を見て良いと思っていただいたのか、リアクションがどこにもついておらずわからなかったのですがとても嬉しかったです。
これも「誰かに何かを届けられた」と言う評価だと素直に受け取り!これからも細々と続けていければなと思います。

応援いただけると嬉しいです。これからも頑張ります。