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新卒で農水省の理系官僚、商社の経営企画職に転職。「伸びる事業は面白い」

(官⇆民の越境キャリアを支援するVOLVEのnoteです)

西本Wismettacホールディングス株式会社で経営企画をリードする北口さんは、一貫して"日本の食"に従事してきた。農水省で初めての理系法律職として新卒キャリアをスタートさせ、食品安全や輸出促進に携わるうち、「自分自身が現場で動いてみたい!」と思うようになったという。今は組織作りから社内インフラ整備、M&Aなどの戦略業務まで全てに携わる立場で、「日本食というコンテンツの世界への輸出」を担う。そんな北口さんが歩んできたキャリアを振り返ってもらうと、官僚組織の意外な柔軟性も見えてきた。

<プロフィール>
北口 善教さん
新卒で農林水産省に入省し、食品表示規制や日本の農林水産物の輸出促進などに従事、その後、戦略系コンサルティングファームに転職。より食品業界の現場に貢献したいと考え、新規事業や課題解決のプロジェクトに取り組める西本Wismettac(ウィズメタック)ホールディングスの会長室に入社する。
※内容や肩書きは2023年取材時点のものです。



農水省で初めて、理系バックグラウンドを持つ法律職に

ーこれまでのキャリアを教えてください。
食品の専門商社で会長室のシニアマネージャー、いわば副室長をしています。会社のインフラ、システム周りから、人事、M&Aを含む戦略全般、会社の経営に関わるほぼ全てにタッチできる立場です。農水省で食品安全や輸出促進に関わる仕事をしていて、もっと現場側でやりたい!という気持ちでこの仕事に転向しました。
Wismettac(ウィズメタック)は日本食の商社で、アメリカ・ヨーロッパを2大マーケットとし、水産物や調味料をはじめとした加工食品などを卸しています。「日本食を海外に広げる」という仕事自体が楽しいんですよ、みんなSUSHIが大好きじゃないですか。「日本食というものを海外にもっと知ってほしい」というところに収まらず、「日本食の前に世界が平伏すところを見たい」という、ある意味、邪な気持ちで(笑)、楽しくやっています。

中高生の頃から「日本の役に立ちたい」と漠然と思っていました。「理系なのでエネルギーか食料問題かなあ、化学より生物が好きなので食料問題かなあ」と選択肢を絞り込んでいきました。
大学では遺伝子組換えを研究していたのですが、ある時ふと「箱に閉じこもって遺伝子組換えの研究をしていても、課題解決にはならないな」と思ったんです。「日本社会に役立つことを目指すのに、このまま研究していて良いのだろうか」と研究室の先輩に相談したら、「国家公務員になるのも一つの手だよね」と教えてもらったんです。これが官僚になる最初のきっかけでした。せっかく官僚を目指すなら技術職より事務系の職種を目指せとその先輩に唆されて、研究室に入りながらダブルスクールし、法律を学んで公務員となりました。理系バックグラウンドを持つ法律職は、当時農水省で初めてのケースだったと聞いています

入省後は食品安全や食品表示など加工食品の分野を中心に担当しました。農水省のキャリアの後半は、輸出促進に関わっている時間が長かったです。一次産業のイメージがある農林水産省の中では、少し異色だと思います。また内閣官房の地域活性化を推進する組織に出向していた期間もあります。出向中の印象的な仕事では、北海道でたぶん史上初の、合法な公道でのカーチェイスを実現したことですかね。

ー内閣官房でカーチェイスですか?
特区という制度があって、札幌市を中心に、北海道での映画ロケに関する規制緩和をしようという取組でした。ちょうど「探偵はBARにいる2」という映画のロケが北海道であったので、どうしたら正式にカーチェイスのための道路使用許可が下りるのか、というのをフロントに立って交渉していったんです。実はそれより過去に公道でカーチェイスを撮った作品があったのですが、正式な許可を取らずに火薬を爆発させまくったらしく、以後、許可が一切下りないようになっていたんですよ(笑)。どのような条件をクリアすれば許可をもらえるか、というところを警察庁や北海道警察と詰め、最終的には「住民の皆さまの協力を得られるなら」ということで道路使用許可に漕ぎ着けました。

0:39〜 実際に実現したカーチェイスシーン

農水省に帰ってきた後、留学の機会をいただきました。今一度、理系キャリアを巻き直そうと思い、フードサイエンスを学びにイギリスに飛び、大学で研究していた遺伝子組替えとはまた違う領域に専門性を広げることができました。学んだ内容は本当に幅広く、食品工学、食品化学、微生物学、食品安全、栄養学、臨床栄養学から食品のイノベーションまで、食品に関するありとあらゆるサイエンスを詰め込んだような学科でした。学年末テストは死ぬかと思いましたね。
留学の時に身に着けた専門知識は確実に帰国してからの業務に役に立ちました。農水省に戻ってからは食品の輸出に関する業務に就きました。食品の世界って実は規制が多くて、日本から輸出できる食品ってほとんどなかったんですよ。たとえば当時、日本からEUには、卵や牛乳などの動物性原材料を使った食品は一切輸出できないルールになっていたんですが、日EU経済連携協定の交渉に乗じて輸出ルートを開けてもらうことに成功しました。規制を読み込んで、日本のサプライチェーンでどんな対応をすればEUの要求をクリアできるか検討をし、農水省や厚生労働省の関係課に協力をお願いしにいきました。こういう時に、食品科学の専門知識と、規制を正確に解釈できる法律の知識が同時に活きるんです。本当に誰よりも詳しいので、関係課や交渉チームの方々も「しょうがないな」と協力してくださいました。政府組織の人たちって、スイッチが入ると本当に能力が高いんだなと実感する出来事でもありましたね。
一生懸命、国で仕事をしていると、業界やマーケットの構造、国内外の規制の状況に詳しくなってきて、自分でビジネスをやりたくなっちゃったんですよ。それが転職のきっかけです。農水省を辞める際、まだ留学を終えて二年半しか経っていなかったので、留学費用は半分国庫にお返ししました。

「死にそうなくらい勉強した」イギリス留学


「飛び抜ける釘を打たない」官僚の世界

ー率直に言うと型破りというか、異端児のような印象を受けます。新卒時、他の就職先の方が肌に合うということはなかったのですか?
他の就職先は一切検討していませんでした。農水省一本狙いです。同期入省14人の中で、評価は14番目だったと言われました(笑)。農水省に忠誠心のない生意気なやつという印象だったのだと思います。農学部で技術的なことも知っている上に、農業経済の学部にも一年いたので、ほかの学生よりも、農林水産省の施策の良いところも悪いところも、いろんなことを知っていた面もありましたから、「もう知ってるよ」というような態度が透けて見えたのかもしれません。入省後も、分かりきったことを詰めて聞いてくるような上司がいると、「この人は私を訓練しようとしているのか、本当にわからなくて聞いてるのか?」と探りを入れてしまうような、今思えば舐めた態度の若者でした。評価も気にせず、やらなければいけないこと、やりたいことを突き詰めてやるという働き方は、スタートアップの人とマインドは近いんだろうなと思います。
でも、農水省でも、出向で所属した内閣官房でも、国の政府機関のよいところは、そういうふうに動いている私を止めなかったことです。異動させて止めさせる、というような文化ではない。飛び抜ける釘を打ってこないんです。

ーちょっと意外です。役所にはもう少し堅いイメージを持っていました。
今、役所はそういう文化になってきているんじゃないでしょうか。世間のイメージとはちょっと違うかもしれませんね。純粋に「やらなきゃいけない」と思ったことに対して走り回っている分には、積極的には協力してはこないにせよ(笑)、止めたり邪魔したりしてくることはあまりありません。
今思い返しても、想いを持って働く人にとって、霞ヶ関の環境は良かったと思います。大変なこと、文化の固い部分はありましたが、辛いと思ったことはなかったですね。偉い人の中には思想が合わない人もいましたけど、考え方が違うだけだなと感じていました。すごく面白い職場でした。

ー霞ヶ関で、特に印象的だった仕事はありますか。
新卒2年目で、食品表示の監視をする課に配属された経験ですね。食品表示が間違っていたり、偽物を国産と書いているような偽装を監視する業務です。違反事例に対してどう罰則を与えるのか、法律に基づいて、内部基準を作って運用していました。日本の食品表示のルールを自分が握っていたんですよ。その際に行政指導から刑事告訴まで、一通り全部経験しました。公務員試験で習った「公権力を運用するというのはこういうことなんだ」というのを、実感する経験でした。規制を適用することが正義じゃないといけないし、正義のためには適切なプロセスを踏んでアカウンタビリティを果たさなければならないんです。そんな”行政というものの本質”を理解できた仕事だったと思います。
役所、国にはさまざまな役割がありますが、国民の権利を制限する規制の運用は、最も大きな役割であり、存在意義でもあります。その運用を2年目で学んだのは大きな経験でしたね。

その後、内閣官房で様々な規制緩和に関わった際も、EU政府との規制緩和交渉の交渉戦略を作れたのも、規制というものがどのように運用されているかを理解し、行政官が何を指摘されるのを恐れているか、実体験として知ってているからできたんだと思いますね。相手が何を言われたら嫌なのか、わかっちゃうので、規制の運用という行政法分野に関しては、弁護士よりずっと強いかもしれません。(笑)


戦略コンサルも官僚も、「ストーリーを作る仕事」

ーそして農水省を卒業されて、今のウィズメタック社に入社されたのですか。
いえ、ダイレクトに食品業界に転職をしたかったのですが、役所から利害関係者には直接転職できないルールがあります。ビジネスの勉強をとも思い、一回ボストン・コンサルティング・グループという戦略コンサルに入社しました。そのBCGも1年3ヶ月で辞めてしまったので、BCGの人事には「職歴ロンダリングだ」と怒られました(笑)。短い期間でしたが、戦略コンサルの自分を追い込むような仕事の仕方と、ビジネス戦略を学ぶ上で、とても濃密で重要な機会でした。
実は今の会社はBCGと同じビルに入ってるんですよ!「40m下に転職した」なんて言っています(笑)。共有スペースでは元同僚にもよく会うので、「コロナ禍だったとはいえ、まだ送別会してもらってないよ〜」なんて冗談を言い合っています。
コンサル業界では、パブリックセクターの仕事が増えているんじゃないでしょうか。私もいろんな人脈を繋いだりしています。そろそろ2回くらい大きなディナーをご馳走してもらってもいいはずなんですが(笑)。

ーすごくいい関係性ですね。転職後の業務も順風満帆だったのですか。
いえいえ。妻からは「あの時は死臭が漂っていた」と言われますよ。
最初の1ヶ月でアサインされたトライアル案件で、たくさんの事業領域を持つ企業の中期経営計画プロジェクトにアサインされまして。事業を跨いだ財務三表を作って、成長シナリオを分析するモデルを作れといきなり言われました。できるわけないんですけど、中途ですから求められるレベル感は高く、仕事の仕方も、プロジェクトの全体像も見えない中、本当に苦労しました。二つ目のプロジェクトではBCGでの仕事の仕方をしっかり教えてもらい、以降はあまり苦労なくできるようになりました。コンサルに限らず、どんな会社にもやり方があると思います。新しい環境に行ったらまずはそれを学ぶのが一番楽な方法ですね。

ー全く経験がない業務へのアサインで苦労されたわけですが、入社自体は難しくなかったのですか。
BCGは割合、評価軸がシンプルなのではないかと思います。論理的な思考ができること。また、教科書通りの話をするのではなく、自分の頭でちゃんと考えていることを示せる人が好きみたいですね。私はこういう性格なので、もともと教科書そのままは嫌ですから(笑)。ケース面接も、フレームワークに頼らず、自分で考えて「こうなんじゃないか」と話したのが良かったのかも知れないです。他のコンサルファームは落とされたところもありますので、よく拾ってもらえたなとは思います。当時コンサルの中で「専門性を高めよう」という流れが出てきた時代だったので、食品領域を深めた経験が面白がられた部分もあったと思います。

結果的に、戦略コンサルは役所に近い部分もあると思いました。どちらも「ストーリーを作る仕事」なんですよ。スピード感は全然違いますが、仮説を出して、それを検証して直しながら結論を導き出していく作業工程は似たものがあります。BCGの仕事と役所の仕事は、コミュニケーションをとる相手のレベル感という点でも似ています。BCGのプロジェクトでお話しする相手は社長、取締役、本部長などのハイレベルの方が多いです。官僚は、政治家や企業の重役と議論をするVIPコミュニケーションの機会が多いので、対話の仕方や視座はよく似ています。役人出身者には、戦略コンサルは、意外と入り込みやすい仕事かもしれません。オペレーションまで入り込んでいくような、いわゆる「BIG4」をはじめとした経営コンサルの方が、馴染むのは大変かもしれませんね。その分学びも多いかもしれませんが。
30代半ばの転職として、最小限の時間で、今後どのようなキャリアにおいてもバリューを出せるスキルや考え方を学べたのは本当に良かったです。

ーどのような流れで今の会社に辿り着いたのですか。
食品業界に転職するという強い気持ちはBCGへの転職当初からありましたから、早い段階で2、3社の転職エージェントに登録し、いい案件がないか探ってもらっていました。今の会社で募集していた役割は、経営企画の業務の中でも、現場に近いところで事業運営や新規事業にも携われるということでしたので、魅力的に感じました。
役所でも輸出に関わっていたので「海外に日本の食を広めること」をやりたいという目的意識は明確でした。海外への輸出事業に力を入れている企業は、実は食品メーカーには多くありません。商社がメインなんですよね。今の会社は実は役所にいた時から知っていたので、明確に輸出に関われることがわかっていて、転職に躊躇はありませんでした。

それで今、会長の直下でグループ全体の経営戦略を作って運用しています。プロジェクトによってはオペレーションの下の方までハンズオンで触りながら、改善に取り組んでいます。商品管理のオペレーション支援システムを作るプロジェクトではプロジェクトマネージメントを担当し、オペレーションの担当者と一緒にワークフローを書いて要件定義するところも、自分で手を動かしてやりました。現場から「役に立たないのに偉そうなやつら」と冷たい目で見られる組織ではなく、ハイレベルな議論と現場へのハンズオンでの落とし込みの両方ができる機動的な組織にしたいと思い、チーム構成をしています。私自身も現場に入り込むのが好きですが、現場の信頼を得られるようなメンバーが増えてきた実感があります。

ー実際に現場で食品の輸出に関われていて、何が1番面白いですか。
創業110年の歴史がある会社なのですが、2017年に上場したばかりで、上場会社としては本当に若く、組織マネジメントや仕事の仕方はもっと成熟させる余地の多い会社です。にもかかわらず業績が伸びる。それで伸びるって、人と事業がいいとしか言いようがないんですよね。日本の産業は、どの業界にいっても、他国の競合が強力だったり、ボトルネックだらけで、世界での成長の道を探すのはほんとうにたいへんです。そんな中で、「事業がいいので世界で伸びてます」って言えるものが、どれほどあるでしょうか。俄然、やる気がでますよね。
トップライン(売上)も2,700億円あるんです。すでに人も世界で2,000人、支店も海外に約50ヶ所あって。ビジネスマンとして、これだけの大組織を構築し直すという経験ができる機会はほとんどないですよね。この会社を本当の大企業にしていく。市場も成長していて、会社も成長している中でそれができるのが、本当に楽しいです。役所を出るときに求めていた「自分でビジネスを回す」ということを、まさに実行できています

ー今後どんなキャリアを描いていますか。
農水省を退職した当初は、「15年くらいしたら役所に戻るかもしれません」なんて言っていたんですけど、もしも戻ることになったとしても、もう少し遅くなりそうだなと感じています。実はこの会社に入ってから、役所とのつながりもまた増えたんですよ。例えば国が輸出戦略を書くときに有識者として呼ばれるなどの機会もあり、ビジネスをやりながら、政策面でも役所と良い関係で関われていて、満足しています。
私個人の目標は、単に日本食を輸出するのではなく、"日本の食"というコンテンツが圧倒的に面白いということを世界に知らしめたい、ということで一貫しています。今の会社では、海外で活動する機会もあると思いますので、より一層現場で”ビジネスを回す”経験を積んでいきたい。そうしてトップラインが倍くらいになるころには、事業運営がもっと洗練されていて、従業員も誇りをもって楽しく働いていて、まだあんまり日本でも知られていないウィズメタックという会社が、若い人が憧れる会社になる、そんな感じになったらよいなと思います。そんな風に会社を作ることができたら、私のビジネスマンとしてのスキルも十分に満たされているのではないかと思いますし、「5,000億円の会社を作った」と言えたらかっこいいですよね。何歳の時にそれが達成できるか、その先どうするかは、その時また考えるかなって感じです。

【編・写:大屋佳世子】


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