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ヘラルボニーCOOが経産省官僚・海外トップMBA・マッキンゼー・マネーフォワードを経た転職で見出した、女性ならではの「connecting the dots」なキャリア

(官⇆民の越境キャリアを支援するVOLVEのnoteです)

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VOLVEキャリアフォーラムの詳細

ヘラルボニー執行役員COOの忍岡さんは経産省出身。MBA留学中に多くの女性リーダーたちと出会い、母とキャリアの両立に関する考え方がガラッと変わったという。マッキンゼー、Money Forwardといった大きな企業で活躍してきた忍岡さんが、今なぜ50人ほどのベンチャーに飛び込んだのか。そのキャリアの変遷を紐解くと、すべての官僚と働く女性へのエールが聞こえてきた。

<プロフィール>
忍岡真理恵さん
2009年経済産業省入省、同年司法試験合格。在任中は民法(契約法)等の改正に従事し、留学を経てマッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社で事業戦略などに携わる。その後、株式会社マネーフォワードにて事業開発、社長室長、IR責任者を務める傍ら同社のESGやダイバーシティ活動を推進。2023年秋より「異彩を、放て。」のミッションに惹かれ株式会社ヘラルボニーに入社。米国ペンシルベニア大学ウォートン校MBA(経営学修士)修了。プライベートでは一児の男子の母。

ーご就任おめでとうございます。
12月にヘラルボニーの経営企画室長・執行役員COOになりました。事業全般をみる役割で、バックオフィス全般の管理本部長をしながら他の事業をサポートする、いわば「何でも屋」です。
ヘラルボニーは「異彩を、放て。」をミッションに掲げる会社で、福祉実験カンパニーという名乗り方もしています。「アール・ブリュット」とも呼ばれる知的障害のある方が描いたアート作品をデザインプロダクトに落とし込んで販売したり、企業とコラボレーションすることで、作家さんにロイヤリティをお渡しするのがメインのビジネスです。福祉でありながら、あくまでもビジネス。寄付やクラウドファンディングではなく、また福祉プロダクトだからといって安く売るのでもなく、あくまで一人のアーティストとして障害のある方の活躍を後押ししているところが特徴だと思います。

ヘラルボニー 公式HPより

この仕事については、まさに「念願叶ったり」。全力投球できる仕事をずっと探していて、“事業を作る“ということをずっとやりたくて。官僚として頑張ってきた行政周りのこと、MBAで学んだビジネスのこと、前職で社長直下で経営を見て市場と対話してきたこと。今までやってきたいろんな”dots”を全部出せる。40代になってやっと、「自分が色々やって集めてきたピースがハマりそう」と思える仕事に出会えました
でも、ここまでの歩みは、自分でも「大丈夫かな…」と思っていたくらい、色んな道を通ってきたんですよ。

官僚は「自分には専門性が足りないのではないか」「労働市場で価値がないのではないか」と悩んでしまいがちだと思うんです。私自身もそうでしたから、わかります。でも、今こうして天職と思える仕事に就いて感じるのは、官僚の経験が本当にビジネスに役立っているということです。多岐に渡るステークホルダーをまとめ切る経験をあれだけの量こなしたことがある人は、世の中にそうそういません
官僚の皆さんには、「もっと自分のキャリアに自信を持って!」と言いたいです。こと女性はライフプランや家族との兼ね合いもあって悩みが多いかと思います。自身の経験がどなたかの参考になったら嬉しいなと思い、インタビューを受けさせていただくことにしました。

ー改めてご経歴を教えてください。
ロースクールを卒業後新卒で経済産業省に入省し、総合職でリーガルを担当していました。海外MBA・マッキンゼーを経てマネーフォワードに入社し、事業開発・事業部長・社長室長・IR担当を歴任しました。

私は4歳から9歳までアメリカで暮らしていて、帰国した際に日本人が日本を好きではないということに大きなカルチャーショックを受けました。アメリカって自国への誇りを持つ人がすごく多いですよね。子供ながらに、「日本人が日本のことを好きだと思える国にしたいな」と思ったことを覚えています。妹がいるせいなのか生来リーダー気質なところがあり、「(そのような社会に)自分が変えたい」という気持ちがありました。小さい時は「総理大臣になりたい!」などと言っていましたが、国の制度を考える“官僚“という仕事があるらしいということを中高生の頃に知ったのです。
当時はあまりにもピュアで、「自分だったらできると思う」と思っちゃっていたんですよね。当事者意識が強い子供だったとも思います。「大人たちはみんな文句を言っているけど、そんなに文句があるなら自分がやればいいじゃん。誰かがやらなきゃいけないんだから、自分が動いて世の中を変えに行ったほうがいい」そんな価値観でした。

法律は“獣道を舗装する“役割。誰かがビジネスで最初の一歩を切り開いている

ですから、大学受験を考える時点ではすでに「将来は官僚か政治家!」とイメージしていました。親は「女の子は資格を取って手に職を」という意味で、弁護士になって欲しかったみたいです。私自身も途中で「本当に私は官僚に向いているのか?それとも弁護士としてしっかり一件一件弱い立場の方を助けたほうがいいのか」という迷いが出て、結局ロースクールまで行くこととなりました。
というのも、東大法学部にはすっごい”政治マニア”みたいな人がいるんですよ(笑)。「自民党の〇〇さんはさ…」みたいな話をしている人たちをみて、「この人たちには追いつけない…。私には官僚になるような知識がないから、ここでは戦えない!無理!」と。一回、シュンとしてしまったんです。
いざロースクールに行くと周囲はみんな4大法律事務所への就職を目指す雰囲気でした。私はというと、「弁護士という仕事は、弁護士を雇える(ような経済力がある)人の権利を守っているという側面がある」ということに気づき、「もっと世の中はこうあるべきだとか、正しいことは何なのかを語り合える職場に行きたい」と思うようになりました。検事や裁判官といった職業で司法知識を活かすことを考えた時期もありましたが、「ダイナミックに社会を変えていくにはやっぱり官僚だ」と、色々ぐるぐると思い巡らせた末に考えついた感じでした。ロースクールに経産省の人がいて、話をしてみたらすごく楽しくて。スケールが大きいし、そこで議論している自分にとてもワクワクしたんです。

経産省 商務課時代

経産省では特許法・商品先物取引法・原子炉等規制法といった各種法律に関わり、120年ぶりの民法改正という一大プロジェクトのメンバーになる希望も叶いました。配属に際してはロースクールを出ていたことが結果的に役立つことになりました。
このプロジェクトで感じたことは、ビジネスを知る人たちの発言のパワーです。結局経団連さんや一大企業のトップの発言は強いですし、新しく法律を作るにしてもある程度ベンチャーがグレーゾーンを走ってからの方が議論が進みます。経産省が何もないところに入っていっても、机上の空論になってしまうリスクがあるんです。獣道を後からアスファルトで舗装するのが法律、でも獣道は誰かが勢いよく走ってくれないと作れない。後追いで舗装することもとても大切な仕事なのですが、私は獣道も作ってみたいな、と思うようになっていきました。

経産省ではある程度の年次での留学はキャリアに組み込まれていました。公共政策なども検討しましたが、「ビジネスがわかってこそ世界を本質的に変えられる」と感じ、世界のエリートが集まる、できる限り著名なMBAを目指したいと思いました。
当時はあくまでも「帰国後は経産省にビジネス知識を還元する」という気持ちでいたのですが、いざトップMBAに行ってみると、あまりにも世界に多くの選択肢があるということに気付いてしまい、女性としての人生とキャリアを大きく見直すきっかけになりました。

女性は子どもを産んだら9時5時でキャリアをセーブしないといけない、という幻想

ーどのようなきっかけがあったのですか。
まずキャリアの面でいうと、そもそも帰国後の転職先がMBAの先輩の会社であるというコネクションの意味もありますが、ビジネスで活躍している女性の先輩たちに出会えたことと、みんなで悩みを共有できたことですね。
MBA出身の女性のネットワークがあり、いろいろな背景を持つ方とお話する機会もありました。その中で初めて追いかけたいと思える女性の先輩にも出会えて。
当時子供が生まれて母としての自分と仕事人としての自分とのギャップで悩んでいたのですが、アメリカに行ったら「なーんだみんな悩んでるんだ」とわかったんです
子連れでMBAに通っている人も何人かいましたし、結婚も妊娠もしていないメンバーに向けて”就活中に妊娠したらどうするか”というようなテーマのディスカッションの場が持たれていたこともありました。”Woman in Business”というテーマで、露骨に話し合おうという雰囲気がありました。正面からみんなで、女性としてビジネス界でやっていくことの難しさを話し合ったんですね。シェリル・サンドバーグさんのような著名な参加者もいらっしゃいました。それで世界中の女の人たちが仲間なんだなと思えて。孤独感が薄れ、心強かったですね。

Warton の母たちの会

日本にいる女性はどうしても、子どもを産んだら9時5時ペースで我慢してしまうケースが多いですよね。高学歴な友人たちも多くが我慢しています。その中にいると自分も「我慢しないと」という意識に引きずられてしまうのですが、海外に行くといろんなチャレンジをしている女性がたくさんいて、日本の中だけにいたらとても考えられないような選択肢があったんです。当初は「帰国後は経産省で、子どものために5時に仕事を上がって、子どもが大きくなったら管理職を目指して」という既定路線をイメージしていましたが、留学を経ていい意味で野心を持つようになりました。
せっかく、一度きりの人生なんです。「もっと自分の人生をフリーハンドで作っちゃっていいのではないか」と視界が開けました。経産省にはいつか戻れるような予感もあり、一度出てみようと決心したんです。本当はすぐにでもベンチャー企業でチャレンジしたい気持ちもありましたが、それまでのキャリアがあまりにも法律一本で即戦力になれないと思い、コンサル会社のマッキンゼーに転職しました。
マッキンゼーでは「絶対に最高レベルの仕事を提供する」という矜持と、世界で最高レベルとも言える合理化され洗練し尽くされた働き方を知り、本当に勉強になりました。

マネーフォワードへの転職時はMBAの先輩であった社長からのお声がけでご縁をいただきました。
最初はどうしても事業の現場に行きたかったので、頼み込んでtoCのサービスづくりを担当させてもらいました。自分ひとりのところから、デザイナーを採用し、国外に開発部門を立ち上げて。その後事業部長、社長室長を歴任させてもらいました。最後の2年間はCFO直下のIR部門で投資家の対応をしていました。事業を作ることに関してはもっとできる人がいるな、自分のバックグラウンドを考えたら経営企画方面の方が強みが生きるかなと思って転向させてもらったんです。英語も出来るし、経営も見ていたしサービスも作ったことがあるし、ということでIRはどハマりしましたね。楽しかったです。

ーどハマりしていたのに、なぜご転職されたのでしょうか。
40歳になる時、「このまま40を過ごしてしまったら、多分一生マネーフォワードに居続けることになるだろうな。新しい挑戦をするなら今やらなきゃ」と思ったんです。当初EdTechやFemTechの会社を見ていましたが、なかなかピンとくる会社がありませんでした。そんな中ヘラルボニーを見つけてしまったんです。しばらくはファンとしてストーキングしていました(笑)。それで、「今ならまだ経営企画人材がいなさそうだな、今行けば神輿をかつげるんじゃないか」と突撃しました。もし新しいことをやるからには真ん中の方で入りたいなと思って。今を逃したら絶対他の人が経営企画室長とかをやって、それで「上場しました」なんて見たらめちゃくちゃ悔しくなるだろうなと思ったんですよ
当時経営企画室として募集が出ていたわけではなかったのですが、思いの丈を綴って他のポジションの募集に応募したら面接していただくことができました。

官僚からコンサルになる人はたくさんいますし、コンサルからベンチャーに転職するケースも聞きますが、そこからさらにホップする人の例はあまり聞いたことがなくて。転職する際には転職エージェントの方とも話していましたが、転職エージェントさんの多くは私のことを「何をできる人として売り出していいのかわからない」と悩んでしまうような状況でした。大手企業のIRポジションの依頼もいくつもいただいていましたが、私自身は一生IRをやりたいわけじゃないなと逆に意識するようになりました。じゃあ何なんだと、自分自身も自分をどう使っていいのかわからない状況でした。
ベンチャー企業のCOOというポジションは何でも屋に近くて、なんでもやりたかった自分としてはすごくハマったと感じています。まだきっと自身のキャリアへの悩みは続くし、ヘラルボニーが大きくなった時に自分がどこにいるかはその時にならないとわからないですけどね。
以前こちらのインタビューを受けていた川内さんは昔から後輩かつ友人でもあって。川内さんがユーグレナのCEO室長になられた時は、「いいなー、うらやましい…」という気持ちで見ていたんですよ(笑)。自分のタイミングが来る時というのが、それぞれにあるんだと思います。

目指すのは「ポスト資本主義の経営」。これまでの全ての経験を糧に

ーCOOとなるのに役立ったと思う経験やスキルはなんでしょうか。
特定の知識だとかハードスキルだとかではなく、それぞれの場所でいろんなことをかじってきたことが融合して、今の自分のCOOとしての判断で時々で出てきている気がします。何かを相談された際に、「これはマネフォ時代に似たケースがあったな、経産省ではこうだったからこうじゃないか」みたいに、いろんな場所に所属したからこそ多くの回答例を持てていると感じます
キャリア論ではよく「20代で何かの頂点になると決めて、山を決めて登るべし」なんて言いますよね。でもそんなふうにうまく人生行かないですよ。その時その時、自分にベストなキャリアを選んでいったら、40歳くらいでなんとなくまとまってくるんだなと感じます。

その中でも官僚として多様なステークホルダーをまとめた経験は未だに活きていますし、国の動き方の仕組みを理解していることも自身の大きな価値になっていると思います。官僚の人たちには「そんなに自分を卑下しないで!スペシャルなスキルが身についているから自信を持って!」と言いたいです。

ーヘラルボニーで今後どのような挑戦を描いていますか?
ヘラルボニー自体がすごく挑戦的な会社だと思っていて。アートを活用したビジネスを成功させるというのが第一で、それを海外でやっていきたいという思いもあります。でもそれ以上に重要だと思っているのが、「新しい時代の経営ってこういうことだよね」ということを模索できる場所であることです。
ヘラルボニーでは障害者雇用ではなく一般社員としてろう者のメンバーが事業開発をしていたり、ECチームのマネージャーは車椅子ユーザーだったり。本当に完全にその方のビジネスの才能を活かした働き方をしていただいています。今はまだ、周囲が手話で話せなかったり、車椅子ではビルの施設が使いづらかったり、ということもあります。でもこれからの時代、そういう方々が普通に働いていくことがすごく大事ですよね。ヘラルボニーメンバーにはお母さんも多いです。今までの会社なら営利企業として取りづらかった選択を積極的に取っている会社だと思います。
これが本当に成功したら、”ポスト資本主義”みたいな概念を打ち出せるのではないか。「これがこれからの会社です」って言えるものが作れたらかっこいいなあと思っています。そういう会社にしていきたいんです。

ヘラルボニーはファウンダー含め30代前半の人が多く、これまでいた大きな組織とは全然違う会社です。母として、女性としての鬱憤を全部ぶつけて、いい会社にしたいんです(笑)。今までの男性社会に逆転ホームランを打ちたい。スコーン!って。

ー官と民、大組織とベンチャーを経験してきて、今後のキャリアビジョンをどう考えていますか。
経産省があったから今の自分があることは確かで。「もっと官と民が混ざり合ったらいいのに」と思っています
私もIT企業にいなければ「プロダクトを作るってこういうプロセスなんだ、こういう苦労があるんだ」ということは知り得ませんでした。でもそれを知らずに政策を作っているのって本当は変だなとも思うんです。国家公務員制度の改革で官庁でもミッションを策定するなどやっていますが、それが血肉となってワークしている企業の中に入ってみると、理解の濃度が全然違います。今官庁では若手メンバーが中心となってベンチャー企業にも一所懸命ヒアリングしてくれていますが、本当は審議官や次官のような決定権者こそがベンチャー含む民間企業に出向したらいいんだと思います。本当に民間企業の方が、働き方は圧倒的に進んでいます。IT活用も進んでいて、合理的。

あくまでヘラルボニーが成功した後のことですけど、私自身もまた公共に戻る選択肢も全然ありえると思ってるんですよ。やっぱり官僚はロマンがある仕事ですから。


【編・写:大屋佳世子】


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