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父の果てしない夢

こんにちは。利喜弥です。
父が宗教狂い過ぎてヤバいという記事を中心に
書こうと始めたこのnoteですが、
一番わかりやすく父の宗教ガチ勢度合いが
分かるエピソードを記します。
バーで働いていてお客さんと家族話になったら
よく話すんですが皆さん口を揃えて
利喜弥のお父さんはヤバいって言います。

約3年前、俺が30歳の頃。
コロナ禍が少ーしずつゆるくなり始めたあたり。
多少の規制や警戒を敷かれつつも割と自由に
行き来が出来るようになってきた年のこと。

・お誘い

夏の終わりに父から連絡が入り、
「近々、飯でも行かないか」と。
ただでさえ何はなくとも父と会う機会は基本的に
希薄なのに、コロナ禍がいつ終わるやも知れぬ
現状で父が予定を空けてくれるならここは
会っておいた方がいいと思った。
会えるうちに会っといた方がいいかなぁと。

・再会、そして異常な近況報告

待ち合わせ場所に行き、コンビニ前で煙草を
吸っていたらようやく父が軽ミニバンに乗って
迎えに来てくれた。

黒の軽ミニバンの外装は全体的にうっすら土っぽく汚れていて、そこは流石、60代半ばでもバリバリに
現役で土木の職人をやっているだけのことはある。
昔は1トン車に大小様々な工具をミッチミチに
詰めて積載していたものを乗り回していたので、
今この軽ミニバンに乗っている彼にほんの少し
違和感を覚えた。まぁしばらく会わなかったしな。

父が目当てにしているレストランに向かう道中、
「利喜弥は元気しとったんか?
世の中こないなって大変やなぁ、特に働いとる
バーやらの飲食店みたいな所はなぁ」

まぁ久々に会ったもんだから会話の糸口なんて
こんなもんだろう。

___この時既に、父の驚愕の近況報告の
カウントダウンは始まっていた。


「…みたいになって、店にホンマにお客さん
来んしさ、けどまぁどうにかやってるわ!
しんどいけど。父さん最近どうなん?」


Three,

Two,

One…


Zero.










「俺な、宝くじ当てる修行してんねん」

















…ん?

……え?うん、ん?

は?????????????


「s…しゅ…ぎょう?ぉほう、修行?」

「せや、宝くじ当てる修行してんねや、
恩師(教祖さん)について相変わらず頑張らして
もろてな、宝くじ当てる修行してんねや」

「へぇ〜〜〜〜〜〜ナンカスゴイナァ……」

「けど恩師は凄いで、いつでも当てられるんや!
当てたいんですぅて言うてきた人に何日に買え!
やら◯◯の方角の売場で買え!や言うたら
凄いで、1500万当てさした言うとったわ!
恩師はごおっつい神通力を持っとるんや!」

秒を追うごとに俺の頭の中は整理され始めたが
教祖さんが凄いっていう話は毎度毎度口から
はみ出る位幼少期から食わされてるからもういい。
宝くじに関する恩師のポテンシャルがどうせ
凄いのは全然知ってる。うんうん凄い凄い。うん。

修行の仕方の具体的な内容を訊くのを
忘れてしまったのが悔やまれる。結構心残り。

てかさ、宝くじ当てたい=お金が欲しいという
名目で修行してるって何なんだ。
よく分からんが修行っていうのはもっとこう、
ストイックにやるやつなイメージがあるんだけど
“大金を手に入れたいからする修行”って邪念雑念しか
ないじゃんか。俺の考え方が仮に合ってたら
ものっそい矛盾じゃない?

さらに父は続ける。

「もうちょっとで当てれそうやねん」


…お前は何を言っているんだ。


宝くじに向かってその態度はなんだ!言ってみろ!

俺は別に普段宝くじを買う訳ではないから
全然知らないんだけどさ、うん、

…宝くじ界隈に“もうちょい”っていう概念は
存在するのか?


高額当せんが過去にどっさり出たといわれる
全国有数のラッキーな売場に並び何百枚と買って、
スピリチュアル的にも物理的にも宝くじを当てる
確率をぐんぐん上げようと超必死なガチ勢
みたいな人をTVで昔見た。

何百枚も買ってるっぽい感じでもなく、
修行とやらにだけかなりウェイトを傾けて頑張って
もうちょいで当てられそうって
マジで意味分かんない。

宝くじって、当たるか当たらないか。
白か黒か。どっちかしかないだろ。


一方、まぁこういった思考が脳内に飛び交って
いたんだけど、同時に、いつもの俺の父が
いつもの様にそういうことを口走っていて
通常運転だなーって思った。
コロナ禍というものは各々の人生を大なり小なり
変えてしまったものだ。父の何かが何かになって
“宗教をやめた”等と言っている方がビックリだ。

・使い道

父が運転する車内、絶好調な父の近況報告を
聞きながら呆れる俺。

ただ最後に、気になるというか宝くじの話に
なったらとりあえずする質問。してみた。

「もし宝くじ当たったら何に使う?」


高額当せんなんて夢のまた夢だ。
億だよ億。億ですってよ。
けど当たった時の一般的な回答なんて
みんな割と似たり寄ったりだ。
かくいう俺も似たり寄ったり側だ。
というか、当てたい!と強く願うような
俺をふくめた庶民なら湯水のように金を
使いたいと思うのは必然だ。
“人の意”と書いて 億 だよ。
俺?とりあえず買い物だよ。
えーと……服と靴かな。まずそっから。
余談だけど昔からギャンブルはしない。

ただ、俺のイカしたDaddyは違った。

Three,

Two,

One…


Zero.
















「ぜ〜〜〜〜んぶ恩師に持っていく」








うんうん、どうだろう。どう見る?
「ぜ〜〜〜〜んぶ恩師に持っていく」。

億単位のお金を

「ぜ〜〜〜〜んぶ恩師に持っていく」。


理解できるかな?
父はコレをさも自分の夢かのように平然と、
むしろ微笑みを浮かべながら言い放つ。
捧げちゃうんだって。
ぜ〜〜〜〜んぶ。高額当せんを。

分かる分かる。理屈ではね。
反射的に「勿体無っ、お前アホやんwww」
と咄嗟に出るほど他者の気持ちを慮れない訳では
ないし、何より宝くじで獲得した金は自分が一番
納得のいく使い方をしたい。理屈な。

俺の内心は正直違う。もう少しだけでいいから
欲深くいこーぜ。ゲスい感じじゃなくても。
もう齢六十も大台、老後に備えるとかさ。
母と離婚して独り身じゃん。
本当に体が資本の仕事だし、いつそうなっちゃうか
分からない。あとさ、今は見当がつかないけど、
俺をまだ育ててくれていた頃、アンタと母で
借金がどうのこうのみたいな話がよくあったよな。
仮に今も同じように抱えているのであれば
それをササッと解決しちまえよ。
まぁ色々あるじゃん。ゲスくない方向性の
使い道だって本当に色々ある。

いや別にね、
「ぜ〜〜〜〜んぶ恩師に持っていく」のが
ゲスい使い道とは一切言わない。
言うつもりは断じてない。
要はお布施でしょ。自分の信仰する宗教に
清い心でもってお布施をしたいってハラだよな。
素晴らしい使い道だ。
けどさ、けどさ、俺のnoteだから好きに
書かせてもらうけど、

せめて自分に一旦金を使って、

その差額をお布施にしてもよくない?


とは思ったけど、
ところが

「ぜ〜〜〜〜んぶ恩師に持っていく、
一切その金に手をつけへんのに
意義があるんや!!」


流しそうめんの最後のザルの所にしゃがんで
「あー有り難い有り難い!」って
言いながらすすってた様なお前が言うな。
あんまり関係ないけど。

信仰心の限度、お布施も限度額はない。
高額当せんさせてくれた教祖さんに、
その莫大なお金に一切手をつけず、自分の為に
使うことなく、お布施という名の恩返しを
真心でしたいんだね。きっとそうなんだろう。
宝くじを当ててお布施をするのが
父さんが大金を手にしたときに叶えたい夢だ。
だからこうして教祖さんのもとで信心深く
修行を重ねて、その暁に手にしたお金で
お布施を納めるのが父さんの幸せだ。


あれ?ちょっと待って。

教祖さんっていつでも宝くじ当てられるん

じゃなかったっけ?もう全部意味なくない?
修行とか全部意味なくない?


信者にラッキーを起こさせる意味とは?
もし自分で億単位のカネを生み出したいなら
信者に修行をさせて、もうちょいだ何だって
言ってる進捗状況で当たるかどうかよく
分からんのに修行っつって頑張らせる
必要性は正直感じられないかな。
まぁ俺は入信してないしその真の意義たるやを
知る由もないからよく分からんけど。
知らなくてもいい。
あと、私利私欲のために使わない、お布施の為の
お金を手に入れたいって欲も何かもう気持ち悪い。

待ち合わせをし、車に乗り込んでほどなく
異常なドン引き近況報告を聞かされたものの、
父が行きたいと言ったレストランだったが
2ヶ月前に彼が誕生日だったので遅ればせながら
せめてものお祝いにとメシを奢った。

・現在どうだろうね

それから丸3年近くになる。
いつから始めた“宝くじを当てる為の修行”かは
全然知らないけど、個人的な俺の時間感覚やら
熱心さの度合いからみて、「もうちょい」って
言ってたし、そろそろ今年中には
当たるんじゃねーの。

知らんけど。


あまり話をこう言って終わらせるの好きじゃない
けどここは最適な使いどころだと思う。

ではでは。

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