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原口智生が語る、写真資料の意義【連載第四回(最終回)】

こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。

先日動画でも発信させていただきました、原口智生さんインタビューの模様をこちらの活動報告でも公開いたします。

原口さんは特殊メイクアーティスト・造型師として映像作品に携わり、特撮でも平成ガメラシリーズや仮面ライダーシリーズなど多くの作品に参加されてきました。さらには『さくや妖怪伝』『ウルトラマンメビウス』などでは監督・特技監督としても活躍されました。
またATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人であり、近年は過去の特撮作品のミニチュアやプロップを修復・復元する活動をされています。

原口さんはかつてピープロ特撮の撮影現場にも参加し、『快傑ライオン丸』のリメイク作品として2006年に放送された『ライオン丸G』でも、特撮ディレクター・造形を担当されています。今回はその原口さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際に見ていただき、ピープロに関する思い出や作品への熱い想い、写真資料を残していくことの意義についてたっぷり語っていただきました。

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──今回発掘されたのは、かつて児童向け雑誌「冒険王」のために撮影されたフィルムです。その「冒険王」をはじめとする、多くの児童向け雑誌で特撮に関する情報が発信されていた時代に、原口さんもそういった雑誌文化に触れられていたのでしょうか?

原口 「冒険王」は、もう当然買っていました。当時は「週間少年マガジン」とか「少年サンデー」など、他誌でも特撮作品がグラビアで結構紹介されていましたけど、「冒険王」の特色って付録がすごく豪華なことなんですよ。組み立て付録だったり、単行本化された漫画が付録で付いていたり、グラビアもカラー写真が非常に多くてね。自分が『電人ザボーガー』で実際に現場に行っていた頃も、「冒険王」はまだ買っていましたね(笑)。

──「冒険王」がグラビアに多くのカラー写真を載せていたというのは、これだけ膨大な量のカラー写真のポジフィルムが現在でも残っている事実に繋がっていますね。

原口 今回発見されたポジは、もう間違いなく出版社がそのグラビアを作るためにカメラマンを現場に派遣して、その方たちが特写を撮った結果として残されたものだと思うんですね。ちなみに当時、ピープロ作品をメインで放送していたのはフジテレビで、そこの宣伝課にもスチールは多少残っているらしいですけど、撮影枚数は非常に少なかったそうです。でも今回発見されたフィルムの写真は、「冒険王」から派遣された専属のカメラマンが現場に行ってちゃんと撮っているものなので、やはり色々なカットが有りますよね。とてもバラエティに富んでいるし、アクションカットなんかもある。それに『風雲ライオン丸』ではスタッフなど裏方を写している写真もあって、非常に貴重だと思います。

『風雲ライオン丸』より。
第3話に登場するドカゲとの空中アクション。完成映像では、最初に飛び上がった際にライオン丸のキックがドカゲの顔面に炸裂するカットがあり、おそらくその瞬間を完璧なタイミングで捉えた一枚だ。以降もつばぜり合いをしながら地上に降下するなど、迫力の吊りアクションが拝める。

原口 自分が昔、特殊メイクの仕事をやっていた時期に、昨年亡くなった崔洋一監督の作品に何本か携わらせていただきました。その崔監督から生前、「『風雲ライオン丸』の助監督をしていた」という話を聞いていまして。自分は『風雲』の台本を持っているんですけども、その演出部の欄にも崔洋一監督のお名前がちゃんと入っているんですよ。生前の崔さんとお酒をご一緒した時に聞いたこととしては、『風雲ライオン丸』はやはり時代劇ということもあって、御殿場でのロケが非常に多かったらしいです。「非常に朝早くに出発して、陽のあるうちに撮り切って帰ってくる。肉体的にも結構大変だった」っていうお話は聞きました。
今日見せていただいた中では、スタッフが写っている、いわゆるビハインド的な写真も数点見受けられました。その中に崔さんも写っているかどうかも、綺麗にスキャンして良い画質で見ることさえできればわかるかもしれない。制作当時の息吹が本当に伝わるような、貴重な写真だと思います。

『風雲ライオン丸』のフィルムを収納している箱から発見された一枚。待機中なのか打ち合わせ中なのか、裏方であるスタッフを被写体として写しているのはこのフィルムのみである。背後に幌馬車ビックリ号が見えるため、『風雲』の撮影であることだけは間違いない。

──原口さんは認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人として、特撮に関する資料のアーカイブ活動をされております。今回発見されたような写真資料をアーカイブし、将来に残していくことの意義はどのように捉えていらっしゃいますか?

原口 現在では映像自体の原版が失われている作品もあるみたいですけれども、ピープロ作品の場合は原版が比較的残っているみたいで、DVDやブルーレイも何回か商品化されています。そうやって「作品自体を映像として観ることができる」というのが、やはりイの一番だとは思うんです。
でもその次は、撮影当時にどういうふうに制作されていたのかが知りたくなる。これだけ鮮明な写真をさらにクリーニングすれば、怪人が作られた当時の造形の風合いだったり、ミニチュアのディテールだったりもすごくよくわかるようになるわけです。
今回は『電人ザボーガー』のヘリキャットやマウスカーといったミニチュアの写真も何点かありましたが、この2つはヒルマモデルクラフトというミニチュア専門の会社が当時作っていました。そういったミニチュアの材質とか、「こうやって作っていたんだ」ということを写真から鮮明に解析することができる。僕は現場でそのミニチュアも見ていますが、このポジが無くなったら後世の人はもう見ることも知ることもできなくなっちゃう。
逆に残すことさえできれば、作品がどのように作られていたのかを誰もが知ることができるようになる。それが重要なんだと思いますね。そういう意味でも、今回発見されたポジって本当に貴重なものだと思います。

『電人ザボーガー』より。
ザボーガーの頭部に鎮座するヘリキャット。収納時にはブレードが折りたたまれており、飛行時には展開するようになっている飛行メカだ。その折れる箇所をはじめ、ミニチュアのディテールを克明に記録した一枚。

──最後に、今回このクラウドファンディングに協力していただいている方々に対して原口さんからのメッセージをいただければと思います。

原口 『冒険王』という雑誌で撮影されていたカラーポジが、これだけ出てきた。これまでも作品の映像自体は観ることができていましたが、そこに映っているもののディテールやアクション、そしてそういったものがどうやって撮られていたのかという証拠や記録が、このフィルムなんですよね。これはとんでもないものなんですよ。作品が撮影された当時に現場で撮った、まさに本物の写真ですから。まずは、最高に綺麗な状態で見てみたいですよね。
そのためにも、ひとつ皆さんのお力を借りて、フィルムをちゃんとクリーニングした上でスキャンする。その作業が完了したのちには、ちゃんと残していけるようにしたい。これだけ魅力的なピープロ作品と、その歴史が後世に残せるように、自分も協力できることはしたいと思っています。

聞き手・構成:馬場裕也


クラウドファンディング
「『ライオン丸』『タイガーセブン』『ザボーガー』昭和特撮フィルムを後世に残したい!」
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原口智生 プロフィール

1960年5月26日生まれ 福岡県出身
幼少期から東宝撮影所や円谷プロ等に出入りし、1975年に最年少で特撮映画研究団体「怪獣俱楽部」(主宰 竹内博)の一員となる。自主映画、人形作家の川本喜八郎の美術助手などを経て、『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)で映画界デビュー。特殊メイクアップ、特殊造形として『帝都物語』(1988年)『異人たちとの夏』『ソナチネ』(1993年)『HANA-BI』(1998年)「平成ガメラシリーズ」(1995~1999年)『陰陽師』(2001年)『パコと魔法の絵本』(2008年)など数々の映画を担当。
映画監督としてビデオシネマ『ミカドロイド』(1991年)でデビュー。以後『さくや妖怪伝』(2000年)『跋扈妖怪伝 牙吉』(2004年)『デスカッパ』(2010年)を監督。特技監督、監督として『ウルトラマンメビウス』(2006~2007年)『ウルトラマンギンガ』(2013年)を手掛ける。
2012年、東京都現代美術館で開催された『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』では、展示コーディネート、修復師として活躍。現在、「認定NPO法人 アニメ特撮アーカイブ機構」(ATAC)発起人も務める。
「BAR KAIJU-CLUB HATAGAYA」店主。

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