灯 ✞

✦ エッセイ、掌編など気ままに更新します ✦ お読みいただきありがとうございます🩰𓍼

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最近の記事

──なんという甘美だろう。深海のように茫洋とした夜空に星々が瞬いて、天はまさに二人の晴れ舞台だ。白昼の暑気をふり払う圧巻のミッドナイト・ブルーに魅せられた織姫は、追い風に羽衣を浮かべながら彼の人を想う。河岸にシルエットが揺らいだとき、幾久しい再会の蜜月の幕が開きはじめるのだ。

    • 列車を待つ間、乗り場はざわめきと沛雨の雑音に包まれていた。忙しなさに身じろぎすれば、うっかり泥水を踏んで濡れたローファーからぐじゅ、と不快な音が鳴る。三面鏡と格闘しながら巻いた黒髪はとうに重たく垂れ下がり、前髪が額に張り付いて気が塞ぐ朝だ。蝙蝠傘から溢れた雫はドロリと澱んでゆく。

      • さほど暑くはないが、涼しいとも言い難いもったりとした風が肌を撫でる。錆ついたジョウロから滴る水が石灰混じりの砂を濡らした。曇り空で濾されたような青紫色が視界を潤して、雫を乗せた葉が揺らめく。水気を含んだじとつく空気に性急なチャイムが響いたので、私はスカートを翻して駆け出した。

        • ふと気づくと、雨滴が地面を打つ音が止んでいた。パレットナイフで塗りたくったような灰色の雲の縫い目から眩い空の梯子が降りてきて、徐に世界が広くなった。窓を開ければ土の香りが沸き立ち、色濃くなった翼をはためかせる鳥がはらはらと雫を降らせてゆく。濡れた紫陽花が爽かにきらめいた。

        ──なんという甘美だろう。深海のように茫洋とした夜空に星々が瞬いて、天はまさに二人の晴れ舞台だ。白昼の暑気をふり払う圧巻のミッドナイト・ブルーに魅せられた織姫は、追い風に羽衣を浮かべながら彼の人を想う。河岸にシルエットが揺らいだとき、幾久しい再会の蜜月の幕が開きはじめるのだ。

        • 列車を待つ間、乗り場はざわめきと沛雨の雑音に包まれていた。忙しなさに身じろぎすれば、うっかり泥水を踏んで濡れたローファーからぐじゅ、と不快な音が鳴る。三面鏡と格闘しながら巻いた黒髪はとうに重たく垂れ下がり、前髪が額に張り付いて気が塞ぐ朝だ。蝙蝠傘から溢れた雫はドロリと澱んでゆく。

        • さほど暑くはないが、涼しいとも言い難いもったりとした風が肌を撫でる。錆ついたジョウロから滴る水が石灰混じりの砂を濡らした。曇り空で濾されたような青紫色が視界を潤して、雫を乗せた葉が揺らめく。水気を含んだじとつく空気に性急なチャイムが響いたので、私はスカートを翻して駆け出した。

        • ふと気づくと、雨滴が地面を打つ音が止んでいた。パレットナイフで塗りたくったような灰色の雲の縫い目から眩い空の梯子が降りてきて、徐に世界が広くなった。窓を開ければ土の香りが沸き立ち、色濃くなった翼をはためかせる鳥がはらはらと雫を降らせてゆく。濡れた紫陽花が爽かにきらめいた。

        マガジン

        • ✯ ささやかなエッセイ 🕯˖ ࣪⊹ ⋆
          8本
        • ✯ まどろみのエッセイ 🕯˖ ࣪⊹
          3本

        記事

          骨は鋭し殺せよ乙女

          鰻の骨が喉に刺さった。 鰻の小骨は調理の際に取り除くのが難しく、喉を抑えながら耳鼻咽喉科に運び込まれる憐れな犠牲者が後を絶たないという。たかが魚の小骨と思って侮るなかれ、光にかざせば透けてしまうほどちっぽけなそれが私の喉に突き刺さり、じくじくと痛みを伴って存在を主張している。無意識に外傷部(内傷部?)をさするがもちろん効果は無い。あの時迂闊に飲み込まなければ──と後悔したところで時既に遅し、甘んじてこの痛みを受け入れる他無い現状が恨めしい。 「うがいせよ、さすれば小骨取れん

          骨は鋭し殺せよ乙女

          淡雪を撫でる

          車窓が切り取る斜陽に瞼を照らされて、ふわりと意識が覚醒した。微睡みを誘う揺らぎが景色とともに私の背を通り過ぎて、俯きに耐えきれなかったらしいリュックの肩紐がずり落ちる。時計を覗けば目的の場所には未だ遠いことを知り、再度荷物を抱え込んで座り直した。右隣のトレンチコートが立ち上がり、荷物棚からショッパーを降ろす。停車駅は満員──所狭しと肩を寄せ合う乗客は一様に手を擦り、ドアが開くのを待ちかねている。出来るだけ小さく体を丸めて、リュックの前で指を組んだ。 年を跨いでも記憶と変わら

          淡雪を撫でる

          窓辺と振り子時計

          結露した窓ガラスが外灯を曇らせて、霧が路面と空気との境界を滲ませている。マホガニーの木枠からこぼれ落ちた雫が床を濡らした。遠くの森で歌を転がした鳩が、ゆったりと羽ばたき市街へ向かっている。ほとんど消えかかった影が私の足元でくるりと踊り、中途半端に閉められたクローゼットが心を波立たせた。珊瑚色の爪がじわりと冷える朝はどこか忙しなくて、こんな時に限って掛け違えた襟元のボタンは無造作に巻いたマフラーで誤魔化すことしか出来ない。 メトロノームの遊錐を六十の目盛に合わせ、深呼吸してス

          窓辺と振り子時計

          吐く息が雪色に染まる早朝だというのに、カシミアのマフラーはぎゅうと鞄に押し込められてしまった。肩越しの景色が待ち遠しくて、廊下を蹴るローファーを拍動が追い越してゆく。鏡の中でリボンがいじらしく揺れるのがくすぐったい。胸の奥で無邪気な蝶が羽ばたいて、どうしようもなく瞼が熱かった。

          吐く息が雪色に染まる早朝だというのに、カシミアのマフラーはぎゅうと鞄に押し込められてしまった。肩越しの景色が待ち遠しくて、廊下を蹴るローファーを拍動が追い越してゆく。鏡の中でリボンがいじらしく揺れるのがくすぐったい。胸の奥で無邪気な蝶が羽ばたいて、どうしようもなく瞼が熱かった。

          静謐な暗がりの中で、灯火だけが不規則に揺らぐ。曖昧なシルエットに底冷えする憂鬱がまとわりついて、身じろぎすら躊躇われる宵闇だった。時計の針は深更のカーテンを切り取って進むけれど、窓外の景色は天井画のように揺るがない。気まぐれにそよぐ熱がいつか消えてしまいそうで、そっと瞼を閉じた。

          静謐な暗がりの中で、灯火だけが不規則に揺らぐ。曖昧なシルエットに底冷えする憂鬱がまとわりついて、身じろぎすら躊躇われる宵闇だった。時計の針は深更のカーテンを切り取って進むけれど、窓外の景色は天井画のように揺るがない。気まぐれにそよぐ熱がいつか消えてしまいそうで、そっと瞼を閉じた。

          アプリコット色に悴んだ指先をそっと湯気にかざす。鼻腔を満たす香りはとろりと甘くて、しんと澄んだ空気によく馴染んだ。うっかりソーサーまで濡らしてしまった甘露を拭い、ウィンザーチェアを引く。頭上から床を照らす光は次第に淡くほころびて、壁を飾る額縁を浮かび上がらせていた。

          アプリコット色に悴んだ指先をそっと湯気にかざす。鼻腔を満たす香りはとろりと甘くて、しんと澄んだ空気によく馴染んだ。うっかりソーサーまで濡らしてしまった甘露を拭い、ウィンザーチェアを引く。頭上から床を照らす光は次第に淡くほころびて、壁を飾る額縁を浮かび上がらせていた。

          列車を降りた頃、空を覆っていた真っ白な雲はすっかり風に流されて、濡れた石畳がきらりと光るだけだった。歩を進めるごとに輪郭を濃くする影に、仄かにこぼれた光が歪に揺れては溶ける。雫をのせたイチョウが視界の端で空気を反射して、露が瞼を撫でた。ペトリコールは白煙と混ざってもうわからない。

          列車を降りた頃、空を覆っていた真っ白な雲はすっかり風に流されて、濡れた石畳がきらりと光るだけだった。歩を進めるごとに輪郭を濃くする影に、仄かにこぼれた光が歪に揺れては溶ける。雫をのせたイチョウが視界の端で空気を反射して、露が瞼を撫でた。ペトリコールは白煙と混ざってもうわからない。

          丸襟のブラウス

          学校指定のブラウスに、ウールのセーターを着込んでジャケットを羽織る。私の学校は駅から少し遠い場所にあるから、自転車を漕ぎながらうっすらと汗ばむぐらい暖かくして行かなければいけない。大通りは早朝からたくさんの車が行き交って、信号が切り替わるのを待てなかったらしいノースフェイスが私を置いていく。流行りのコーヒーチェーン店に手を擦りながら入って行く人を横目に、マフラーを口元まで引き上げた。──冬の朝は、驚くほど静かで薄暗い。遅れてやってきた一人が教室の重い扉に手をかけた頃、ようやく

          丸襟のブラウス

          ご挨拶、および錫色のカーテン

          記念すべき初日らしく、澄み切った快晴──とは行かなかったけれど、雪のように真っ白な雲が空一面を覆い尽くしていて、不思議と外は暗くない。レースのカーテンは遮光性の高いものを選んだから、自然光特有の目が眩むような明るさは感じない。父親から譲り受けたアンティークのデスクランプがわざとらしい乳白色で私の左手を強く照らして、時折ジリジリと耳を焦がすのが心地よかった。 文字を綴るのは苦手じゃない。 かと言って、「徒然なるままに」と、漫然と過ぎゆく日々に心を動かされるほど日頃から情緒を嗜

          ご挨拶、および錫色のカーテン