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ヴィジュアル系における白塗り文化について 〜その3:歌舞伎〜

その1,その2ではピエロ、コープスペイントと海外由来の白塗りについて考察してきましたが、その3では日本発祥という所に目を向けたいと思います。
日本の白塗りといえば歌舞伎。顔を白く塗りたくり、派手なメイクを施し舞台に立ち、キャラクターを演じる。
ここだけ聞くとヴィジュアル系バンドのライブのことを言っているようにも聞こえます。
即ちヴィジュアル系の白塗りの元祖は歌舞伎なんじゃないか?と思わされてもおかしくないでしょう。今回はその辺りの話をします。

そもそも、日本には古くから高貴な存在の象徴として顔を白く塗る、という風習がありました。
肌が白いことは美しいこと、という意識に加え、白粉が高価だったことから肌を白く塗れる人は高貴な身分であること、平安時代には外光が入りづらく一日中室内が暗い神殿造りの建物の中でも顔がよく見えるように、という理由で白塗りをしていたこともあります。
そんな土台がありつつ、17世紀に能楽をベースとした歌舞伎が産まれました。
一般庶民の大衆文化という形で繁栄してきた歌舞伎。
今で言うテレビドラマのような大衆感を持っていた歌舞伎は、ヒーローが悪者をこらしめる内容のものや歴史上の偉人の活躍を描いたもの、怪談や盗賊をテーマにしたものなど、様々な題目がありました。
中でも主役を高貴な人物、勇ましい人物などを描く際には前述の古くからの価値観になぞらえ、そういった人物には白塗りが施されました。
ちなみに歌舞伎メイクのイメージでよくある赤い隈取(紅隈:べにぐま)は血管の誇張で、勇ましさを表しています。今で言うパワータイプのキャラの血管が浮き出ている表現に似たニュアンスでしょうか。
(ちなみにこれは余談ですが、歌舞伎に登場する全ての人物が白塗りだったわけではなく、高貴な存在ではないポジション、例えば身分の低い町人などの役柄の人物は肌色に近い色で顔を塗っていました。)
ですので、滑稽さや異質さに端を欲するピエロ由来の白塗りと、歌舞伎の世界での白塗りは、そもそもの成り立ちが真逆の所にあると言えます。

じゃあ歌舞伎の白塗りはヴィジュアル系との関係性はどうなのよ?という話。
歌舞伎は冒頭でも述べたように、大衆へ向けたエンターテインメントでした。
今で言うプロからアマチュアの人までが歌舞伎役者として舞台に立ち、自ら化粧を施し(当時は自分でメイクをするのが一般的だったようです)、キャラクターを演じ、観客を楽しませる。
風刺や過激な表現で政府からお咎めを受けることもあれば、 そこから上手く逃れる為にグレーゾーンの表現などで巧みに交わしてみたり。
役者の他にも脚本を書く手腕で著名になった人物もいたり。
人気のある役者は庶民の間でファッションリーダー的な存在として持て囃されたり。
役者だけで食べていくことができないアマチュアの人達は舞台だけでなく実演後にお客さんの前で自身の姿が描かれた浮世絵を販売し、それで身銭を稼いだり。

はい、ここまで読んでいて気付きましたでしょうか。
歌舞伎の在り方というのは、今のヴィジュアル系シーンの在り方と全く同じなのです。
"白塗り"というキーワードからはだいぶ逸れましたが、そして半ば無理矢理なこじつけかも知れませんが、歌舞伎というのは今の日本のヴィジュアル系というエンタメの在り方、精神性の部分での基礎になった、と考えてよさそうです。

ちなみにヴィジュアル系シーンでの歌舞伎メイクの白塗りといえば、ヴィジュアル系の源流の辺りまでいくと歌舞伎をコンセプトにしたロックバンド・カブキロックスが有名な所ではありますが、ヴィジュアル系バンドの括りで最初に思い浮かぶのはやはりゴールデンボンバーの樽美酒研二さんでしょう。
前任ドラマーである天空城団吉さんが白塗りだったためそれを受け継いで、とのことですが、 ゴールデンボンバー自体が遺伝子組換こども会なんかと交流があったことから、歌舞伎そのものよりは先日述べた白塗りテクノ界隈なんかの影響が大きい、と考えるのが自然かも知れません。
もし樽美酒研二さんが自身の白塗りについて語っている文献等をご存知の方がいらっしゃれば是非お教えください。

ところで、ヴィジュアルシーンに純粋に歌舞伎の影響下にある、歌舞伎をコンセプトにしたバンドはいないのか!? と聞かれると、、
実はいます。
2000年代中期に関西を中心に活動していた「激彈ゔぁみりおん」(げきだんゔぁみりおん)というバンドにおいて、 歌舞伎の世界観を取り入れたメイクや楽曲が展開されていました。 面白いバンドでしたよ。

(メンバー様のtwitterよりお写真拝借しました)

以上、ヴィジュアル系における白塗り文化について・歌舞伎編でした。


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