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小学生のとき書いた『空気を読んでしまった読書感想文』を未だに後悔している

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読書感想文の話を見て書いている。
僕にはどうしても忘れられない読書感想文がある。

↑※この記事の文脈には一切触れていませんのであしからず

空気を読んで捻じ曲げた読書感想文

小学生の頃の記憶で、当時の状況はぼんやりとしか思い出せない。

おそらく、母親と一緒に国語の宿題を解いていたのだと思う。

僕が書いていた読書感想文は『スーホの白い馬』だったことは覚えている。

小学生低学年の頃か中学年かそれもわからないが、
登場人物だかの気持ちとか、あなたはどう思ったかとか、そういう類の感想を書いていた。

僕はその頃言葉にするのが苦手だったから、母が代わりに「こう思うけど、どう?」みたいなことを言ってくれた気がする。

その感想のひとつに自分の中でも非常にしっくり来るものがあって、僕もおそらく「それだわ」と思ったはずだ。

(しかし僕はここで、今27歳になっても後悔し続けるような行動を取ってしまった)

僕はその感想をノートに一度書いた。だが、そのあと消した。

「どうしたの?」と聞く母に「これは、みんなと違う感想な気がする

そう言ったかそう思ったのか、ぼんやりしているけれど、確かに僕はその感想を書くことを止めた。

真に僕の感想だったのかと言われると違うかもしれない(母から出た言葉なので)が、少なくとも僕はその感想を一度は「わかる。いいな」と思ったはずだった。

でも書けなかった。
自分がもし、人と違う感想を書いて発表したら?

恥をかく?咎められる?笑われる?
先生が欲しそうな感想じゃないかも?

そういう想像を幼いながらしたのかもしれない。

僕は自分(と母)が抱いた感想ではなく、僕が褒められそうな感想を書くことに決めた

きっと一生の後悔を背負った

先生は何人かの感想を聞いた。

僕はやった、と思った。

なにせ、僕と同じ感想の人が他にもいた。
ほらきっとこれが正解だったんだ、と思った。

しかし、先生が最後に放った言葉で、僕は後悔を背負うことになった。

「みんな良い感想だね。けど、こういう感想があっても面白かったかな?たとえばxxx(僕と母が抱いた感想に酷似)とか。これをもし書いていた人は、きっと感性が豊かな人。大事にしてね」

記憶が曖昧のため、このセリフの内容は少しだけ補正してある。
だが、痛いところを突かれたことだけははっきりと覚えている。

・最初に抱いた感想を正直に書けば、ちょっと目立ったかも(不純だ)
・先生が欲しそうな感想を書くという目的(やはり不純だ)を、捻じ曲げなければ達成できていた

小学生が抱く小さなプライドだと、今ふりかえれば思う。

このことを僕が未だに忘れられない理由は、
「自分を信じてやることができなかった後悔」に他ならない。

自分を信じてやることができなかった後悔

「自分が感じたことや考えていることは、実は唯一無二かもしれない」ということを知らなかった。

その人の感性フィルターを通した時点で、全く同じ感想を持つ人はそうそういない。

自分はこう思った。で?あなたは?

どうしてそれができなかったんだろう。自分があのとき捻じ曲げた読書感想文が未だに胸に引っかかって残っている。

自分が感じたことを大切にしてあげられなかった。

自分に嘘をついた。

一緒に共感してくれた母の感性までも否定してしまったような痛みがある

この記憶が定かではなくなっても、その後悔だけは残り続ける。

「あのとき僕は空気を読んで読書感想文を捻じ曲げた」という事実が、消えることはない。


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