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への字口が開くとき

 男の子が好きだ。それは昔から変わらない。とくにへの字口で眉を吊り上げて一点を睨みつけてるヤツ。彼は、彼らは僕が視線をやれない遠くを見ている。僕は常に近視眼的にアリの行列を覗き込んだり、畳の縁に並べたミニカーに鼻先をつけて排ガスの代わりの錆びた鉄の臭いを嗅いでいた。彼らはそんなことせずに、ひたすらケンカしている。身体と身体の、心と心のぶつかり合いだ。そこで行われる熱交換は僕にとって何よりも刺激的で魅力的だった。僕もケンカしたかった。でもまず僕は人に触れることが怖いし、触れられるのも怖い。一時期死神や殺し屋に憧れたこともあったが、あれは触れずに殺す魔物としてのものだ。ケンカじゃなくても、スポーツでもそうだ。思いっきりバットを振ったり、ボールを蹴ったり、投げたり、走ったり、そういうことができない。いつもバーの前で、転んだ時のことを考えてハードルを越えられない。ここぞという時に力を入れられない、力が入るのは大事な一瞬が過ぎたあとだ。いつもタイミングがズレている。遅れている。みんなが去った後祭りの会場について片づけの様子を眺めている。近所のおじさんがやってきて、持ってけと、透明なプラスチックの容器に入った焼きそばをくれる。それを家に帰ってばあちゃんと食べる。ついでにかき氷のレモンを食べながら、レモンって甘いんだな、と思う。端から勝負(ケンカ)の場に立ってない。

 不機嫌そうな顔。何か言いたいのをぐっと堪えている口もと。吊り上げた眉は太く、黒々としている。自分より大きなものへと立ち向かう気構えと少しの恐怖と見栄を携えて不格好にそして不自然なまでに吊り上がっている。そして真っ直ぐな瞳は遠くに男を見ている、自分もいつかそうなる男を。

 僕はサリーちゃんだから、魔法ステッキ片手に園服の裾をいっぱいまで伸ばして女の子になろうとしていた。僕はREXと一緒にいる安達祐実で、ピンクレディーで、ウィンクで、飛べないキキだった。

 中学の家庭科の先生に今はなりたくないの、と聞かれてドキッとした。僕は昔話のつもりでしたから、小さい時はそういうこともあるわよ、くらいの答えが返ってくると思っていたのだ。でもその一言で少し気が変わった。今でもなりたいと思っていてもいいのかな、と思った。

 への字口に結ばれた口はいつか開かれる。彼らが口を開くときは牙を剥き出しにして、ニヤアと大きな口で笑うときだ。その口でぼくを喰って欲しい。ゴリゴリと音を立てて骨ごと喰らって欲しい。僕も骨くらいは男らしくそれなりに太くて硬いかもしれない。やっぱり男は不味くて食いづれえなと、べっと、吐き出されたら僕も男だ。

 吐き出された骨はネオンテトラが泳ぐ水槽にゆっくりと沈んでいく。僕に骨なんてないのに。

 

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