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残すなら何

寝たいのに眠れずに布団の中でこれを書いている。
電気は完全に消して真っ暗な部屋の中、本の山脈に囲まれた盆地に横たわりながら。
こうしていると現実に解決しないといけない問題が、今考えてもどうしようもないこと含めて、頭を巡っていく。
仕事のこと、学校のこと、資格のこと、冬服のこと、アイデアノートのこと、哲学のこと、などなど悩みは尽きないが優先順位をつけるなら今は4月から再開する学校に向けて準備をするのが一番だろう。
僕はすぐに目の前のことに夢中になって、とくに現実逃避できるものなら尚更そうなのだが、大局的な視野が欠損する。というか損じさせてストレスを軽減しているのだろう。実際にはこの方法では一時凌ぎにしかならないので長期に同じ要因のストレスに晒されてジワジワと弱っていく、というのを繰り返している。
心療内科でもらっている内服薬も悪くはないが、多少は気持ちが安定する程度で、睡眠不足や気圧の変化、冬の寒さで簡単に精神の安定は崩れる。
不規則な夜勤シフトも大きい。とはいえ学費を稼がないといけないのである程度の収入は確保しなければならない。その点で夜勤手当は大きい。自分の怠惰で職業訓練給付金は途中で打ち切りになったので、学費を満額稼がないとならない。
まだ他の生活費の一部を家族に助けられているのでなんとかなっているが、一人暮らしではキツイだろう。
いや、実際のところちゃんと計算して節制すれば一人暮らしで学校と仕事の両立も不可能ではない。分かっている、これは僕の甘えだ。今の生活は先のことを考えなければまあまあ楽だ。でも今後ここを出て一人でやっていくことを考えているならこのままではダメだ。
資格を取るまでは、という条件付きで自分にも周りにも納得してもらって今の生活があるのにそれに甘えて無駄遣いをしている。お金も時間も。
あと2年、あと2年だけストイックに頑張ればいいんだとは母の談だが、ただ率直にぼくはこれ以上ストイックにはなれないと思う。ストイックになろうとして失調するより、のらりくらりとテキトーにギリギリで乗りこなしてなんとか資格さえ取れれば御の字、というのが正直なところだ。
もうそれを情けないと感じる感性も消えてきた。これは良いのか悪いのか分からないがまあ、自分との付き合い方が分かってきたというように捉えておく。これまでこうした自分のダメなところに対して極度に自罰的になったこともあったが、結局罰したことで許された気になって現実は何も変わらないのだ。
自身を変化させるのは決意ではなく習慣の創造だと思っている。ここら辺は國分さんの受け売り。正確性を欠くだろうけどどこかでそのようなことを言っていた気がする。やっぱドゥルーズかな。
そう、随分遠回りしたがここでタイトルの件にようやく到達する。思考の海に漂いながらふと思いついたこと、今この瞬間自分の所有物を一つを残して全て処分するなら、こういうとき津波で流されていった家の映像が過るのだが、何を残すか。
今なら、そうね、檜垣達也の『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』(ちくま学芸文庫、2019)かな。第一部はちょうど一年位前に読み終わって、今第二部のⅢの「マイナーサイエンス/マイナーテクノロジー」を読んでいる。第一部だけでもドゥルーズが何をしようとしていたのかその一端が、ぼく程度の頭でも垣間見えて興奮するので、興味のある方は是非読んでほしい。
テーマに対して結論が刹那的すぎると思われるかもしれないが、ぼくは、ぼくという存在はそんなもんだと思っている。人生の最後に今読んでる本がともにあったら、しかも読みかけだったら最高じゃないか。それこそ死んでも読んでると思う。まあなるべく死ぬ前にさっさと読み終えて次の本に行くか、あるいはもう一度読み直したいけどね。
混迷の時代に近視眼的になるのはある種の生存戦略なのかもしれないが、そんなときに哲学は常に遠くから響いてくる微かな襞を逃さずに、千年万年の単位で現在を相対化して、全く別の世界を考える可能性を提示する、強くて弱いナイフとして視野を切り拓いてくれる。だから好きなんだ。
というところで今日は終わり。

また明日があることを祈って。
おやすみなさい。

イトマキエイ千広

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