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じぶんよみ源氏物語 18 ~なつかしさは勇気~

24時間、闘えますか?

闘う人にはヒーリングが必要です。
人間は闘うようにはできていないからです。
自分を愛するようにできています。

学校では、
「みんな仲良く」と教えられてきましたが、
他者は自分を写す鏡にすぎません。

自分は、他者によって見られています。
自身の視点よりも、客観的に。
それゆえ、
他者にどう見られているかを考えることは、
本来は自己評価の好材料になるはずです。

この意味において、
わざわざ他者と闘う必要はないと思います。

それでも、
自分の思うようにいかないのが、この世です。
人間は自分を愛するあまり、
エゴイズムの罠にハマってしまいます。
必要以上に他者を攻撃する人がいるのは、
このためです。

そうやって、他者から攻撃される時は、
自分も何らかの形で闘わざるを得ません。

相手を打ち負かすためではなく、
愛する自分を守るために闘うのです。

他者からの攻撃に対して闘うことは、
本意ではないから、
ヒーリングがいるわけです。


一つのメルヘン

詩人・中原中也の生涯も、闘いでした。
彼の場合、
闘う相手は自分に降りかかる運命だった、
と言ってもいいと思います。

実家からの勘当、
親友と恋人からの裏切り、
子供との死別、

それでも愛する自分を守るために、
詩の言葉を武器に闘ったのです。

そんな中原中也の代表作に
「一つのメルヘン」があります。

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと差してゐるのでありました
(後略)

この詩、いきなり1行目で、
風景が切り替わります。

作者がいるのは、秋の夜の空間。
現実社会の風景を眺めています。
それが「はるかの彼方に」飛んでいきます。
そして、突如として、
「小石ばかりの、河原」の光景が広がります。
心象風景です。

2行目以降、この五七調の詩は、
信じられないくらい静かで、無機質で、
そして美しく流れていきます。

手垢てあかまみれた現実世界を降りて
メルヘンの世界に舞い降りたのです。


光源氏のヒーリング

源氏物語、第十一帖「花散里」もまた、
ヒーリングの世界です。

前巻の「賢木さかき」巻では、
物の怪になった六条御息所が伊勢に下向し、
桐壺院が崩御します。
弘徽殿大后こきでんのおおきさき(かつての女御)は攻撃を始め、
藤壺は出家してしまいます。

光源氏は自暴自棄になり、
自信過剰と無気力の間を行ったり来たり。
出家前の藤壺の寝室に忍び込み、
朧月夜おぼろづきよとは密会を繰り返します。

常に世間の眼差しへの注意の必要と、
政敵からの厳しい攻撃がありました。

その闘いから一歩離脱し、
懐かしいいにしえの世界に
逆戻りする時間が必要だったのです。


昔話に花が咲く

「花散里」の巻には、深いところで、
ある和歌が流れています。

五月待つ|花橘はなたちばなの香をかげば
昔の人の袖の香ぞする
(読み人知らず・古今和歌集)

(訳)
五月を待って咲く花橘の香りをかげば、
昔親しくしていた人の
袖に染みついた香りがすることだ


「伊勢物語」にも登場する有名な歌です。

橘とは、日本固有の柑橘類で、
白い花に小さなミカンのような実をつけます。
実は酸っぱいですが、
花はとてもいい香りが長続きして、
古くから長い時間を感じさせたようです。

かくおほかたの世につけてさへわづらはしう、
思し乱るることのみまされば、もの心細く、
世の中なべて厭はしう思しならるる

(訳)
このように政界の動きだけでも気詰まりで、
思い乱れることばかり増えるので、心細く、
世の中の全てが嫌になってくる

光源氏はこんな気持ちを抱えて、
麗景殿女御を訪ねます。
この女性は、父である故桐壺院の女御でした。

まづ、女御の御方にて、
昔の御物語など聞こえたまふに、夜更けにけり。

(訳)
まず、女御のお部屋で、
昔の思い出話をするうちに、夜が更けていった。

光源氏は、
麗景殿女御との時間に、日々の闘いを忘れ、
昔話のメルヘンの中に、心を慰めていきます。

二十日の月さし出づるほどに、
いとど高き影ども暗く見えわたりて、
近き橘のかをりなつかしく匂ひて、
女御の御けはひ、ねびにたれど、
飽くまで用意あり、あてにらうたげなり。

(訳)
二十日の月が上がってくる頃に、
高い木立の影が一面に暗く見え、
女御の様子は年齢を重ねていても、
心遣いが行き届き、優雅で可愛らしい。

ここで、先ほどの和歌が、
柑橘系の香りと共に遠くで聞こえるのです。

五月待つ花橘の香をかげば
昔の人の袖の香ぞする、、、


なつかしき花散里のかをり

光源氏は、麗景殿女御に和歌を詠みます。

橘の香をなつかしみほととぎす
花散る里をたづねてぞとふ

(訳)
昔の人を思い出させてくれるという
橘の香りが懐かしいので、
私はほととぎすのように、
橘の花が散る里を探してやってきました

うまくいかない世の中で鬱積うっせきした思いが、
ほととぎすの激しい鳴き声のごとく、
次から次へと出てきます。
光源氏の思いに寄り添うように、
麗景殿女御も和歌を返します。

人目なく荒れたる宿はたちばなの
花こそ軒のつまとなりけれ

(訳)
訪れる人もなく荒れたこの宿は、
香り高い橘の花が軒先に咲いて、
昔を恋しく思うあなたを
お誘いするものとなったのですね

次に光源氏は、
麗景殿女御の妹のところに向かいます。
かつて愛情を交わした人です。

憎げなく、我も人も情をかはしつつ
過ぐしたまふなりけり。

(訳)
長い途絶えがあったからと言って、
憎らしげに言動に表すのではなく、
光源氏も花散里も、
お互いに気持ちの底を通わして
お過ごしになっている。


麗景殿女御の邸を出て
現実世界に戻った光源氏は、
弘徽殿大后方の圧力を受けるあまり、
都を離れることになります。

橘の香りが漂う花の散る里でのヒーリングは、
ひとときのメルヘンの世界を超えて、
次なる闘いに向けて、
混乱した心をリセットする意味がありました。

花散里は、この後もずっと、
光源氏の生涯にわたって、
寄り添う存在であり続けます。





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