ヨーロッパの三重構造モデル

ヨーロッパの三重構造モデル


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/


日本における人間集団形成モデルは二重構造モデルで、ヨーロッパにおけるそれは三重構造モデルである。


つまり、日本列島では最終氷期の旧石器時代、約3万7千年前に大陸から基層になる狩猟採集民が移動してきて定着、やがて最終氷期末期の1万6千年前に狩猟採集と園耕的植物栽培を組み合わせた縄文文化を発展させ、そこに紀元前10世紀末からユーラシア大陸東部の農耕民が移住しはじめて長い期間をかけて先住民と融合、水田稲作をベースとした農耕社会を発展させてきた、というのが二重構造モデルである。


かつて、大陸の農耕民が渡来し始めたのが紀元前4世紀ごろとされていた時代には、「渡来系弥生人」を日本列島へと押し出した要因として東アジアにおける「春秋戦国時代」の動乱があったとされていたが、最新の編年である紀元前10世紀末は商(殷)を滅ぼした西周の最盛期にあたる。儒家によって西周代は礼法が理想的に施行されていた理想の世とされていたが、実のところ周によって鋳造された青銅器の銘文に依拠した最近の史学研究によると、西周は陝西(渭水平野・関中盆地)から陝東(華北平原)へと頻繁に攻め込んで活発な軍事行動を繰り返しており、かなり好戦的な王朝だったらしい。むしろ、商と周の盟主交替というのは商末から始まる東アジアを覆う大混乱の一幕に過ぎず、その中で押し出された勢力が日本に弥生時代をもたらしたのかもしれない。


さて、ヨーロッパである。ここでも現代人と発掘された古人骨のDNA分析によって、様々なことが判明してきている。それは、おおざっぱに言って「三重構造モデル」と言えるものだ。



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