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日本国が「目指したもの」~『日本再興戦略』総集~(中編)ー日本人のための『和の国・日本国』講座99ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻す『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


令和5年も残りわずかとなってまいりました。
今年度で、『和だちプロジェクト』設立から2年が過ぎようとしています。
前身である活動も合わせると5年が経ちます。

令和5年は特に、
2年の月日を経て、『和の国・日本国』講座
『日本再興戦略』と関連して、
再始動する決断に至りました。

休止している間も、たくさんの方に記事を読んでいただき、
TwitterのDMなどを通じて感想や応援メッセージを送っていただき、
大変励みになりました。

ここまで活動することができているのも、
ひとえに日頃より記事をお読みいただいたり、
温かいお言葉をかけていただいたりしてくださっている皆様のおかげです。
心より感謝申し上げます。

『和だちプロジェクト』の活動としましては、


【令和元年】 『和』の学級経営   ~国体~
【令和2年】 『和の国』日本国講座 ~伝統文化~
【令和3年】 先人たちの『神語』  ~国史~
【令和4年】 『新・日本文明』   ~経済~


と進めてまいりました。


そして、

令和5年は…




【令和5年】 『日本再興戦略』   ~政治~


という主題のもと、
1年間かけて、我が国の「社会課題」に視点を当てて、
提言をさせていただいてきました。


前回の記事から、
『日本再興戦略』の総集編として、
これまでの提言を整理してお話させていただいております。

前・中・後編の3回に分けて、
1年の活動を振り返ります。


今回は中編です。

前回からの記事と併せてお読みいただければと思います。



最後までお読みいただけると幸いです。

よろしくお願いいたします。







1)なぜ、今『日本再興戦略』なのか?



家庭で当たり前のように行われた道徳教育が崩壊




行き過ぎた功利主義により目先の利益追求で経済が壊滅




行き過ぎた物質主義により自然との和が壊滅





行き過ぎた個人主義により人と人との和が壊滅




日本が疲弊している。


日本人が疲弊している。

でも、日本を諦めたらいけない。

僕は諦めない。

日本人はまだまだやれる。

なぜなら、
僕たちが歩む道の後ろには先人たちが繋いでくれた
「我が国を遺したいという思い」がたしかにあったからだ。

困難に出会ったときに、いつもつぶやく。


「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん。」


もうこれ以上悲しむ人を増やさない。
もう一度日本に生まれてきたい。
先の大戦で先人たちが夢見た我が国を取り戻す。

愛する人を守りたい。
愛する地域を守りたい。
愛する国を守りたい。


そのような危機感や想いから

様々な方のお知恵をお借りしながら、
我が国を立て直すための戦略について考えてきました。


僕が考える『日本再興戦略』


【睦月】
日本国が目指したもの~和の本質を探る~
【如月】
日本国が目指したもの~差別について考える~
【弥生】
日本国が目指したもの~我が国の家族のかたちを考える~
【卯月】
日本国が目指したもの~わが国をどのように守るのか?を考える~
【皐月】
日本国が目指したもの~わが国の「衛生観念」のルーツを探る~
【水無月】
日本国が目指したもの~先人に学ぶ「防災」とは?~
【文月】
日本国が目指したもの~食の安全保障について考える~
【葉月】
日本国が目指したもの~わが国の『資源活用の未来』について考える~
【長月】
日本国が目指したもの~地球環境と『エネルギー安全保障』~
【神無月】
日本国が目指したもの~超高齢社会最先進国・日本の多産化政策~
【霜月】
日本国が目指したもの~地方創生と日本復活への一手~
【師走】
日本国が目指したもの~サイバーセキュリティとインテリジェンス わが国の財産をどのように守るか?~



2)【皐月】日本国が目指したもの~わが国の「衛生観念」のルーツを探る~(衛生観)




【問題提起】




皆さんはこの写真を見たことがありますか?

1人の女性のツイートが
日本、そして世界のサッカーファンの心を掴みました。
そのツイートには、
日本代表が使用したロッカールームの写真が添えられていました。

「これは94分でベルギーに負けた日本のロッカールームです。
 スタジアムでは代表のサポーターに感謝し、
 ベンチやロッカールームをきれいにし、そしてメディア対応をしました。
 またロシア語(キリル文字)で『ありがとう』と書かれたメモまで残して
 いきました。すべてのチームの模範だと思います。」


ツイートをしたのは、
FIFA(国際サッカー連盟)の運営スタッフとして
今大会に関わってきたオランダ人のプリシラ・ヤンセンスさんです。
このツイートは瞬く間に広まり、
日本人はもちろん世界中のメディアや多くの人々が反応しました。
「日本はClass(品格)がある」
「素晴らしいマナーだ。いつか日本に行ってみたい」
「子供にスポーツを教えているコーチは、こういうことも教えるべきだね」
こういった言葉がSNS上で飛び交いました。

実際に片づけをして、
メモを置いたのは代表スタッフだったようです。
しかし、
日本代表として戦っていたスタッフも選手と同じような悔しさが
あったことはまちがいありません。
そういった気持ちをかみしめながら、
会場のスタッフやボランティアへの感謝を
メモに残す気遣いはなかなかできることではないですよね。
では、
なぜこのツイートは世界の話題になったのでしょう。
それは、世界にとっては「当たり前」ではないからです。
ロッカールームが散らかっているのは、
ワールドカップだけに限らず、スポーツ現場ではよくある光景だそうです。
きれいなロッカーは稀だったからこそ、世界中が注目しました。


選手だけではありません。

日本人のサポーターも試合が終わった後に、
バックパックからごみ袋取り出して、
周りのごみを全部拾って、ごみを始末して帰っていきました。

イギリスの国営メディア『BBC』は、

「ドイツ戦の勝利の大きさを思えば、
 夜通しで祝杯を挙げることもできただろうが、
 日本のファンは、
 どんな状況でも最高のマナーと習慣が根付いていることを
 示したのである。」


と報じました。
 
 また、
『BBC』が2018年に大阪大学の社会学教授である
Scott North(スコット・ノース)氏に行った取材を引用して、
「“片付け”は日本人が“自分たちの生き方に誇りを示す方法”である」
と分析していることを伝えました。

「サッカーの試合後の片付けは、
 子どもたちが学校の教室や廊下を掃除するという、
 学校で教わる基本的な行動の延長線上にある」


とも説明し、
海外では学校に雇われた清掃員が掃除を行うことが当たり前なのに対して、
日本では教育の一環として小さい頃から掃除を根付かせていることも
伝えました。
このような行為が当たり前にできる。
これは、
日本人の持っている特殊なエネルギーがもたらす業なのではないか?
と思ったりもします。


このような日本人の『衛生観念』は、そもそもどこから来たのでしょうか?



【提言】




かつての江戸時代の日本には、

水道管はなく、

玉川上水や神田上水などの「〇〇上水」というように、

水道は外に露出している状態でした。

そして、

それがそのまま各家庭での飲み水になっていました。

だからこそ、

川や側溝にごみを捨てたりすることは絶対に禁止でした。

しかも、

幕府が「ごみを捨ててはいけない」というように

禁止したわけではありません。

「ごみを捨てない」ということが礼儀でした。

法律で強制するのではなく、

礼儀として、

「自分だけのものではない」という意識が当たり前だったのです。

まさに『和の心』です。

今の日本はどうでしょう。

僕は、農道にマンガ本やペットボトル、コンビニの弁当箱…。

たくさんのものが捨てられている光景を目にして、悲しくなりました。

このような悪しき日本になってしまったのは、実は戦後のことなのです。

戦前、戦中は、田んぼや畑の脇には、絶対にごみを捨ててはいけない。

なぜなら、

そこで作られたお米や野菜を私たちは口にするのですから。

そして、

そのことは各家庭で教育され、

幼いころから当たり前のこととして育つわけですから、

田んぼや畑にごみを捨てようなどという発想自体

考えもつかなかったのです。

なんのために、そのような常識が発達したのでしょうか。

それは、「衛生環境」を保つためです。

かつての日本には、そのような風景がありました。

使った場所をきれいにする。
ゴミを拾う。
関わってくれた人たちに感謝する。
相手に敬意を持って接する。
相手の文化を理解し、尊重する。

本当に些細なことです。

しかし、

私たちの先人たちは、

当たり前のように些細なことを大切にしてきました。

私たちは、できているでしょうか。

先人たちが大切に受け継いできた『和の心』を絶やさずに、

自ら実践し、次の世代に受け継いでいく。

そのために、まずは私たちの国の歴史を学びませんか。




3)【水無月】日本国が目指したもの~先人に学ぶ「防災」とは?~(防災観)




【問題提起】



いきなりですが、質問です。

石を積み上げたようなものが映っていますね。


これは何でしょう?

お城の石垣でしょうか?
でも、城の石垣にしては少し低いですよね?
では、土砂崩れで流れた岩や石でしょうか?
でも、きれいに積まれている感じもします。


実は、これは「堤防」なんです!


さらに広げた写真がこれです。


何か気づいたことはありませんか?


そうなのです。

堤防なのに途中で切れてしまっているのです。
「これじゃあ、水が流れてきてしまうから堤防にならないじゃん!」
と思われた方!
するどいです!

「堤防」というのは、水害から国民を守るために造るもので、
途中で切れてしまっては、洪水が起きたら、皆を守ることはできません。


実は、この切れ目は、一か所だけではなく何か所にも続いています。
では、

なぜ、「堤防」なのにこんなに切れ目があるのでしょうか?


壊れてしまったのでしょうか?

石が足りなかったのでしょうか?
でも、壊れているにしては、きれいに積み上げられています。
だとしたら、わざと切れ目を入れているのでしょうか?
わざと切れ目を入れているとしたら、
どのような良いことがあるのでしょうか?


実は、
この「堤防」は『霞堤(かすみてい)』と言う河川堤のひとつです。
戦国時代に武田信玄によって考案されたものだといいます。

連続する堤ではなく、
間に切れ目を入れた不連続の堤防であることが特色です。
浸水を予想されている遊水地で、
それにより洪水時の増水による堤への一方的負担を軽減し、
決壊の危険性を少なくしたと言われています。
また、
『霞堤』の優れた点として、
洪水で運ばれる土砂は、
もともと上流の山林で形成された肥沃な土壌であり、
それをそのまま下流に流すことなく、
営農区域に蓄積する機能を有したとも言われています。


栃木県氏家町には、かつて霞堤があり、
洪水時には、
霞部分から土砂を含んだ濁流が大量に農地に流入してしまいました。
そこで、霞部分にマダケを密に植栽した水害防備林を造成し、
洪水時には土砂を竹林内に沈殿させ、
水だけを流して被害を軽減したということもありました。


切れ目があるのに、家に被害が及ばない。
洪水の力を弱めるようにしている。
水が戻るように工夫されている。

すべては、
先人たちが国民一人一人の命を大切にし、守るために編み出された
自分たちと同じ「日本人」が生み出した知恵そのもの
です。

そして、その知恵は今でも私たちの生活に生かされています。
日本は災害大国と言われています。
私たち日本人は、自然とともに生きてきました。
外国諸国は、自然を支配しようとする歴史を歩んできましたが、
我が国では、
自然を破壊するのではなく、共生する道を選び、歩んできました。
だからこそ、
自然の恵みはもちろん、
災害さえもみんなで共有しながら被害を減らしていったのです。


私たちの生活に今でも受け継がれている『防災意識』について

考えていきたいと思います。



【提言】


わが国は、

今から2683年前。
初代神武天皇が橿原の宮で即位された日をもって、建国しました。
『建国の詔』には、
「真心を込めて、おおいなる『みやこ』をつくろう」
と書かれてあります。
ここでいう「みやこ」は、
現代用語の「都」とは異なり、
古語で「み」は『御』、
   「や」は『屋』、
   「こ」は『蔵』
という意味なのです。
神武天皇は、球種の宮崎を出発して畿内に入るまでの間、
およそ5年かけて広島や岡山、瀬戸内の人々に稲作の指導をされたとされて
います。

狩猟採集生活から、稲作を兼業する。
冷蔵庫がなかった時代に唯一、
20年単位での長期の保存ができるのは米だけです。

その米を中央の「みやこ」、
つまり、食糧庫に備蓄することで、
天然災害などのよって食糧危機に陥った国に食糧支援をする。
そのための「みやこ」なのです。
こうして蓄えたお米によって、日本全国の人々が、
ひとつ屋根の下に暮らす家族になって、
互いに助け合って生きていこうというのが

わが国、日本国が誕生した理由・意味、
『建国の詔』に書かれているのです。

神社は戦後になって宗教法人に組み入れられて、
「神社は神社のもの」になってしまいましたが、
もともと神社は、近隣の人たちの共有財産でした。
近所の神社のことを「氏神様」と言いますが、
血縁関係の濃い人々が集う村々にあって、村ごとの神様が「氏神様」です。
その共有財産である神社に、いざというときの備蓄米を保管したのです。
だから、ほとんどの神社は水害に遭いにくい小高い丘や山の上にあり、
地震や台風にも強い地盤の上に立てられています。
建物も風通しがよくて、
お米の保管がしやすい高床式の建築になっています。
先人たちは、知っていました。
人は一人では生きることができないことを。
互いに一つの家族のように助け合って、力を合わせるのだということを。
それが、「和」です。
人と人との「和」。
自然と人との「和」。
私たちの防災意識には、
他の国ではほとんど見られない「和の精神」が受け継がれているのです。


いつもの朝。
いつもの街。
いつもの生活。
そんな日常がある日突然、
大きな災害によって揺らいでしまうことがあります。
それがいつ発生するのか予想するのは難しく、
もしかしたら、明日起こるかもしれません。
受け入れがたい事態が唐突に起きたとき、
多くの人たちはきっと呆然と立ち尽くしてしまうことでしょう。
災害対策というのは、
災害が起きてから「大変だ!大変だ!」と騒ぐことではありません。
必ず、自然災害に遭う国なのだから、
日ごろから災害発生時のためのあらゆる備えをしておくことが
大切なのです。
そして、
その時に、先人が遺してくれた『国史』が防災のヒントになります。
今必要なことは、この災害の多発する日本国において、
私たち日本人が日本人としての自覚と誇りを取り戻し、
みんなで国を支え、少しでも良い未来を、
私たちの子や子孫に遺していくことではないでしょうか。




4)【文月】日本国が目指したもの~食の安全保障について考える~(食料観)




【問題提起】


今から20年前。

2008年に、世界が食糧危機に見舞われました。

穀物生産国における干ばつや原油書かうの上昇は、
肥料や食料や輸送費の高騰をもたらし、
バイオ燃料やアジアにおける飼料穀物需要の増大など
複合的な要因が絡んで、
劇的な食糧価格の高騰へとつながったと言われています。
供給不足のしわ寄せは途上国に広がり、暴動をもたらす事態となりました。


ウクライナ危機によって物価は高騰。

世の中は大きく乱れています。
2008年の食糧危機と同様の輸出規制により、
お金を出しても他国が食料を売ってくれない事態となれば、
日本国民は、基礎食料を失うことになりかねません。

「食料自給」を放棄して他国に委ねれば、
食料の確保は危うくなりかねません。


「食料は、軍事・エネルギーと並ぶ国家存立の三本柱である」


と言われています。

また、日本の彫刻家の高村光太郎は、

「食うものだけは自給したい。
 個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない。」

という言葉を残しています。

日本は、戦後78年を迎えようとしていますが、
わが国は自立することができているのでしょうか。

今の日本政府は、本当に我が国の国民を守ることができるのでしょうか。

自分たちの食料について、
自分たちの国について、
自分たちで考えていかなければならない。

まさに今我が国に問われているのです。



【提言】


日本国は必ず立ち上がることができると僕は信じています。

それは、先人たちが私たちに遺してくれたものがあるからです。

まずは、私たちの心に受け継がれる『和の精神』です。

前回の「わが国の防災のかたち」というテーマでも
お話ししましたが大震災の中でも秩序正しく行動したり、
コロナ禍にあって法律で強制されなくても
他者のことを考えて自粛したりするという国民性は、
先人からつけ継いできた『和の精神』
私たちの体内にまだ生き続けていることを示しています。
『和の精神』は、縄文時代以来、
山も川も草木もすべては
「神の分けいのち」であるという感覚を通して継承されており、
それらを思い出すことで、
自然に活かされ、人々が支え合う共同体を再建することができます。


もう一つは、
豊かな海や山、温暖な気候に恵まれた『日本の国土』です。

排他的経済水域としても世界第六位の広さを持ち、
そこには寒流と暖流がぶつかり合う世界でも屈指の好漁場です。
森林率(森林に覆われている国土の比率)では、
フィンランド、スウェーデンに次いで先進国三位です。

この豊かな海も森も、
現在の行き過ぎたグローバル化の中では、宝の持ち腐れになっています。
しかし、逆に言えば、
この豊かな海や山をもっと活用する余地が残っているということなのです。
しかも、
北の亜寒帯の北海道、南西の亜熱帯雨林帯の沖縄まで、
多様な気候と地形に恵まれ、
各地域で多彩な農作物、海産物を得ることができます。
地域ごとの特徴ある歴史や文化も、多様性の中ではぐくまれたものです。
このようなものをさらに生かしていくことができれば、
新たな精神的価値を生み出すことができます。


さらに、
日本人は、『和魂洋才』『和魂漢才』を大切にしてきました。
わが国は、大陸から新しい文物を導入する際にも、
もともともっている「魂」、
精神的基盤を保ったまま、
それと和合する外国からのものを巧みに取り入れて、
日本文明を発展させてきました。
神道の上に仏教を重ねて「神仏習合」を生み出しました。
漢字を学びつつも、
ひらがな、カタカナを生み出して、
もともとあった大和言葉に適合した漢字交じり文を創造しました。
西洋文明の導入においても、
それまで大切にしてきた日本文明を完全に捨てたわけではなく、
「もったいない」の精神を生かした品質管理や、
「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしの事業精神に基づいて、
急速な経済発展を成し遂げたのです。
新しく入ってきたものをそのまま受け入れるのではなく、
常に「日本風」に作り替えてきました。

このような先人から受け継いできた豊かな日本文明を守りつつ、
自然との和、人との和を大切にする『和の精神』を軸に、
『新日本文明』を築いていくとができればと
精進していきたいと考えています。




5)【葉月】日本国が目指したもの~わが国の『資源活用の未来』について考える~(エネルギー観)




【問題提起】




こうして我が国は、明治の「文明開化」以来、
近代物質文明による国づくりに邁進して、
一時は世界第二位の経済大国を築き上げました。
しかし、
近代物質文明が進むほど、
新たに得られる経済的なメリットは次第に小さくなり、
共同体の崩壊や自然との断絶という課題が大きくなっています。

すでに、
我が国はグローバル化と都市化という面では、
世界の最先進国になっています。


例えば、「都市化」に対して、
『主要都市人口が全人口に占める割合』を見ると、


東京圏が28.8%に対し、
パリは18.2%
ロンドンは13.4%
ニューヨークは7.4%
ベルリンは4.3%となっています。


日本に比べれば相当程度の人口がまだ地方の中小都市に分散し、
そのため通勤時間もはるかに短く、
それだけ家族や地域の共同体の中で過ごす時間も長くとることができます。


グローバル化の面でも我が国は独走状態です。

例えば、
「エネルギー自給率」
2017年のエネルギー自給率はわずか9.6%と
OECD加盟国36カ国中34位となっています。


このように、
経済全体の停滞も、
都市化やグローバル化の行き過ぎが一因になっていると考えます。
「都市化」が進みすぎると、
住宅費や生活費が過重となり、通勤に時間を取られるので、
新たな文化や事業を生み出すべき若者の生活に余裕がなくなります。
「グローバル化」によって農林水産業への打撃を受け続けた地方も疲弊し、
独自の文化も生み出すことが難しくなります。


人々の「和」
人と自然との「和」

そのような人間と自然が和して支え合う姿が、持続可能性を回復して、
美しい日本を次世代に受け継ぐためには欠かすことができません。


日本人の古来の自然観では、
大自然は物質、エネルギー、生命の循環からなっており、
人間はその循環の一部をいただくことで生かされています


そのため、
私たちが使わせいただくエネルギーも循環性を持たなければなりません。
近代物質文明は「鉄と石油」の文明でした。
鉄鉱石や石油を地中から掘り出し、
世界中で高層ビルや自動車や家電製品を作り、
どこでも快適な都市生活を送れるようにしてきました。
その最先進国である我が国は、
鉄鋼用に鉄鉱石を、
エネルギー源にプラスチック製品としての原料として
石油を輸入しています。


かつての日本文明では、
家屋や道具の原材料は、木材でした。
原材料もエネルギーも輸入品に代替えされてしまったために、
経済の中心は臨海都市部に移り、
経済的役割を失った山村が過疎化してしまったのです。



【提言】


我が国は、
かつて世界最古の木造建築、法隆寺を有する
木造文化、技術の最先進国
でした。

木造と言っても巨木を使うのではなく、
日本の木造工法は、10㎝角、
長さ3m程度の木材を組み合わせて使っていました。

そうすることによって、
森の手入れ時に採れる間伐材を有効に使うことができます。

その細くて安い間伐材を組み合わせて、
地震にも耐える強い木造構造を日本人は創り上げてきました。

しかも、
痛んだらそこだけ取り換えることで生き続けるのです。

さらに、
組み合わせを変えれば、家の間取りすら変えることができます。




隈研吾さんは次のように語っています。


気を遣うことで、
持続可能な、ゆるやかでやさしい循環システムを再構築することこそが、
今の世界で一番大事なのである。
細い木材を使いまわし、
使い倒していく日本の在来木造は、
その未来の循環のための、
最上のヒントになると感じられた。


このように、
日本人は、自然との和を大切にしてきました。




法隆寺の大工・西岡常一(つねかず)棟梁は、

「コンクリートは50年、木は1000年」


と言っていました。

確かに、
コンクリートの建物は50年ごとに建て替えなければなりませんが、
法隆寺は1300年もの間、雨風に耐えています。

生きた木は年を経るごとに強度を増していき、
築300年くらいで最高強度に達します。




白川郷の合掌造りの古民家も、古いもので300年と言われています。

「木は物やありません。生き物です。人間もまた生きものですな。
 木も人も自然の分身ですがな。この物いわぬ木とよう話し合って、
 生命ある建物にかえてやるのが大工の仕事ですわ。
 木と命と人間の命の合作が本当の建築でっせ。」

西岡棟梁の言う「本当の建築」は、
必ず我が国を支えるものになります。

特に、
日本全土に生えている樹木の約4分の1が「杉」です。




各地の神社に杉のご神木が祀られています。

杉の学名は、
「クリプトメリア・ジャポニカ」(隠された日本の財産)という意味です。

ご先祖様たちが大切にしてきた宝物を、
私たちは山に置き忘れてしまいました。

その宝を今こそ活用しなければなりません。


生活圏としての里山においては、
使うぶんだけ木を伐り森の手入れをしながら共生してきた日本人。

その一方で、

建築需要や戦乱などにより
天然更新が間に合わないスピードで急峻な奥山までを皆伐し、
禿げ山にしてしまってから、植林して人工林にする。

そんな乱伐と人工造林を繰り返して来た歴史があります。

そして、
現在の日本の森は、木の使い過ぎによる危機ではなく、
木を使わなくなったことによる歴史上初めての危機を迎えている
のです。

この危機を乗り越えるべく、
木材の需要を増やすための対策、
荒廃した森林を再生させる様々な取り組みなど、
官民をあげて全国的に進める必要があります。


わが国の森林を守るためには、
私たちが進んで「国産材」を使い、環境を整えていくしか道はありません。


美しい我が国の自然を次の世代に引き継いでいくために、
私たちの世代でできることを考え、行動していきましょう。




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自分や自分の家族の幸せだけを願っていた僕が、この日本国に生まれ、日本人として生きることができ、本当に幸せだな。誇りに思うことができるようになりました。


だから、あなたにも知ってほしいのです。


私たちが生まれた日本国が本当に目指していたものを。日本国が本当に素敵な国だということを。


そして、今日まで、私たちが豊かな暮らしを営むことができるこのすてきな国が続いているのは、日本国を、私たちを命がけで守ってくださった先人たちのおかげであるということを。


先人たちが大切にしてきた精神性。

僕たちの心の中に眠っている精神性。

『和の精神』を呼び覚まし、再び日本を皆がよろこびあふれる豊かな国にしたい。

自分を、自分の国を堂々と語り、誇りに思ってほしい。

子どもたちが希望を感じ、いきいきと輝くことができる国にしたい。


それが今、我が国に生きる僕たち大人の役割だと思うのです。


一緒に、日本を学びませんか?


最後まで、お読みいただきありがとうございました。











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