見出し画像

荒廃した心を整えるための一手『福井の教育』に学ぶ礼の教育観(完結編)~福井県の教育に学ぶ礼の教育観とは?~ー『日本人のこころ』13ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


いよいよ今日で3月が終わりますね。

3月下旬は、
本当に本当にいろいろなことでバタバタして大変でした。

こんなにも忙しさが集中するのだと感じ、
心も体も疲弊しましたが、
なんとか体調を立て直すことができました。

そして、明日からは4月。
新しいスタートです!

新しいことを始めることをきっかけにして
気持ちを高めて楽しむ心を大切にしていきたいと思います!


4月からも
「和だちプロジェクト」をよろしくお願いいたします。


今回も、
最後までお付き合いいただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。







1)「礼の教育」の原風景




福井県には曹洞宗大本山の永平寺があります。



福井県永平寺町にある上志比中学校

上志比中学校では、次のような実践が行われています。



【登下校の礼】


登下校の際は、校門で学校に向かって一礼します。
自転車に乗っている子も降りて、礼をします。
約30年続く伝統です。


【無言給食】


食事中はひと言もしゃべらず食べることに専念します。



【無言清掃】


掃除中は誰もしゃべることなく、黙々と雑巾がけをします。



【朝読書】


毎朝20分間、読書をする時間を設けています。



2)「礼の教育」はどのような思いから始められたのか?



これらの伝統を始めたのは、
約30年ほど前に上志比中学校に赴任してきた当時の校長、
川鰭(かわばた)定幸さんでした。

川鰭先生は、引退後に浄土真宗で得度し、
80歳を超えてからも、福井市の西超勝寺で布教使をされていました。

川鰭先生は、赴任した当時のことを次のように語っています。

「当時、全国の公立中学校では暴力事件、
『校内暴力』が多発していました。

 (中略)
 上志比中学校も学ランに剃りこみという格好の生徒たちが、窓ガラスを割るなどの校舎破壊を繰り返していた。そこに赴任したんです。
 学校がこういう状態であることは知っていたので、初めから真剣に取り組まなくてはいけない、という気持ちでした。」


そこで、川鰭先生はよくよく考え、
入学式の第一声で子供たちに
「明日から、登下校のときは校門で礼をしたらどうだろうか」
と呼びかけました。

川鰭先生はなぜそのようなことを提案したのか?

それは、
先生が幼少の頃、両親と死別したため、
浄土真宗に接することが多かったとのこと。

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の教えは、「自己発見」です。

この教えは、学校現場で通用するものがあるのではないか?

荒れている上志比中学校を改革するためにどうしたらいいのか?

と考えたときに、

「礼」の教えを通して、
生徒たちに自己を見つめなおしてもらおうと思い立ったと言います。

川鰭先生が考えた「礼」の教えとは、どのようなものか?

それは、
他者に対する敬意の表現である礼儀や挨拶の「礼」
ということだけではありませんでした。



「毎朝、学校に着いたら校門で身なりを正し、息を整える。
 そして心を落ち着けたら校舎に向かってゆっくり頭を下げ、
 そしてゆっくりと上げる。

 一日の始まりに自分自身に対して礼をすることで、
 自分の中にある普段とは違うもう一人の自分を見出してほしい。」

「例えば、幼く意気地のない自分が、
 崩れた気持ちを立て直そうとしてくれる。

 このように、自己を見つめ、新しい自分を発見することで、
 自らを律する心を養ってもらいたかったのだ。」

自分自身に対する「礼」

こそが肝心なものだと考えていたのです。

しかし、
「校門の礼」はすぐには受け入れられませんでした。

生徒は実行してくれないし、
他の先生からは「生徒の行動を規制する」と反発もあったそうです。

言葉だけでは伝わらない。

川鰭先生は、
入学式の翌日から毎朝校門に立ち、登校してくる生徒一人一人に礼をし、
挨拶をしました。

そして、
校門の横には「礼」という大きな文字の下に、
『自分が自分に出会う礼である』と書いた自作の看板を立てました。

たった一人で始めた川鰭先生。

言葉だけではなく、
行動で引っ張ろうとする先生の姿を見て、
校門での礼をする生徒が少しずつ増えていきました。

そして、2、3か月すると、

「校門の前に立って頭を下げると、
 今までやってきたことがまずかった。
 しっかりしなくてはならない、と思う自分に気づきました。」

という作文を書いてくれる生徒も出てきたそうです。



「校門での礼」の改革が軌道に乗り始めたころ、
さらに川鰭先生は給食と掃除の時間の改革に着手しました。

当時は、
しゃべってばかりで食べることに集中できず、給食の食べ残しが多く、
牛乳は半分以上が捨てられていたそうです。

そこで、4時間目終了のチャイムが鳴ると、
全校生徒をランチルームの前で正座するようにし、
当番の配膳が終わるまで待たせました。

そして、食事の時は終始無言で食べるようにしました。

さらに、
掃除も同様に、始まる前に正座をして瞑想してから、
無言で各持ち場を雑巾で磨くようにしました。

これらは、
食も清掃も「行」であるという禅の教えを参考に取り入れたとのこと。

静寂の中で自分と向き合いながら食事をし、
学びの場である校舎を清掃する。

すると、
この「無言給食」のおかげで食べ残しが少なくなり、
「無言清掃」によって懸命に掃除するようになったと言います。

生徒一人一人の集中力が身についていったのです。

「給食の前に正座をさせたのは、気持ちを落ち着かせるというよりは、
お腹が減るという生物としての体の感覚に訴えたんです。
しばらく待つからこそ給食がおいしく感じられ、
おいしく感じられるから食べることに集中でき、

集中できるからこそ、食べ残しが亡くなっていくんです。
掃除も、話し声も聞こえない、音楽もかからない静かな環境だからこそ、
自分の作業に真面目に取り組む生徒が増えていった。
口を動かせないから手を動かすしかないんです。

便器なんかもピカピカになるまで拭いていましたね。
『礼』の教えを軸に、
給食、掃除の指導をすることで
生徒たちは自分自身に目を開いていったんだと思いますよ。」


川鰭先生はこのように語ります。


なぜ、「礼」の教えは、
校内暴力が残る学校においてここまで広がりを見せ、
子供たちを変えたのでしょうか?

それは、

「自己を見つめる爽快さ」を体で感じたからだ

と川鰭先生は言います。

礼は深ければ深いほど自分が見えてくる。

それを体験的に理解するのだ。

言葉では伝えられない。

実線でつかみ取っていくしかない。

そうでなければ続かない。

今は、知識で教えようとする教育が多けれども、

人間の中に眠っている感覚に訴える「礼の教育」というものを
始めてよかった。

そして、不思議なことに生徒たちの成績も伸び始めたのだ。

教員の指導法というより、
学ぶ側の生徒たちの条件が整い始めたことが理由なのだろう。

給食の時間が終わる。

同時に、生徒と先生は箸を下に置き、

始まりと同じように声を合わせて

「この命を無駄にすることなく、日々の勤めに励むことを誓います。」

と締めくくります。

「この命」とは、
自分が今食べた魚や肉や野菜、穀物などです。

それらのいのちをいただいて、私たちは生きています。

掃除も無言でやることで、自分の作業に集中できる。

校門で礼をし、食事前に正座で迷走し、無言で清掃する。

その過程で、子供たちは

「自己を見つめる爽快さ」を体で味わう。

それから20年以上の月日が経ったランチルームでも
同じような姿が広がっています。

川鰭先生の「礼の教育」は今も上志比中学校の先生や生徒、
そして地元の人たちの誇りとなり、
脈々と受け継がれているのです。



3)福井県の教育に学ぶ「礼の教育観」とは?




福井県は、子供ためのボランティア活動も日本一盛んです。

授業のサポート、休み時間の読み聞かせ、スポーツの指導と
多くの地域住民がボランティアで活躍しています。

元教師、元新聞記者、華道の師範など経歴は様々。
いずれも引退した人たちが自分の得意分野を活かし、
教員や生徒を支援しています。

「食」という面から地域で子供たちを支えているのは、

鯖江市豊小学校の給食の時間。

地元産業の越前漆器を食器として使い、
地域で育てられた野菜が献立にたくさん並ぶ。

学校給食にも子どもの心を育むヒミツがありました。

お椀やお盆は黒く艶々と輝く越前漆器です。

地元の漆器の組合から、
使ってもらいたいと提案があったのがきっかけでした。

職人さんたちは、
学校給食に使えるように熱風消毒可能な湿気を開発し、
値段も導入可能な価格に抑えました。

子供たちも職人さんの気持ちのこもった漆器を大切に扱っています。

「和食にあって、いつもよりご飯がおいしく感じる。」

「越前漆器で食べると味が違うような気がする。」

と大好評とのことです。



地元の農家の方々が「サルビア会」という会をつくって、
地場の獲れたての野菜を給食用に供給いるそうです。

給食を担当している栄養教諭の先生は、

「この野菜は、子供たちが登下校で通る畑で作られているのです。
 自分が住む地域で、どんなものが作られているのかを給食を通して
 知ることができます。
 また、野菜の旬はいつなのかがわかり、旬のものはおいしいということも
 実感できますよね。」


と語っています。

給食の途中には、

「今日のエンドウ豆はサルビア会の上田さんが作ってくれました」
というような放送が入ります。

子どもたちは下校の途中で、
「今日いただいたエンドウ豆はこの畑で作られたのか!」と観察することが
できます。

このようにして、
子供たちは、自然の中で生かされているということを体験的に感じ取ることができるのです。


越前漆器に地場産野菜。
本来なら、食器もプラスチックの方が扱いやすいだろうし、
大きさがそろっている野菜の方が調理もしやすいでしょう。

調理室は大変なはずです。

それでも続けているのは、大人たちが

「おいしい野菜を食べ、食器を大切に使う。
個の給食で自分たちの地域を知り、誇りを持つようになる。
それが、生まれ育った土地を大切にするという気持ちになっていくはずだ。」

という共通の思いを持っているからです。



福井県は地域ぐるみで子供を育てていこうとする思いが強いです。

隣の子供は他人ではなく、みんなの子供なのです。

家を一歩出てもいろんな大人が教えてくれ、叱ってくれる。

常に誰かに守られている。

常に誰かに応援されている。

そんな思いが子供を成長させる。

大人にとっては子供たちのためでもあり、自分たちのためでもある。

これまでの経験や知恵を子供たちに注ぎ込むことで、
自分たちの役割を認識できる。

地域の子供は、
地域で守り、
地域で育てる。


学力は、詰め込み教育をしても限界があります。
土台にある「心」が整い満たされているからこそ、
安心して力を発揮することができるのです。
安心して高めようとすることができるのです。


この福井県の「礼の教育」
我が国の教育の当たり前にしていきませんか?



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。

極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。

昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。

その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語修身教育を廃止させたのです。

戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。

しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。

道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。


「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。

教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。

教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。

教育とは国家戦略。

『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。

「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。

江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?