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Jean Paul Gaultier "Fashion Freak Show"2023.06.11.at Festival Hall Osaka~どんな人にも美しさがある~

 ジャンポール・ゴルチェと言えば、80年代後半からアバンギャルドなデザインで人気を博し、エルメスのデザイナーにも就任したトップデザイナー。マドンナのとんがった胸のステージ衣装が有名と言えば頭に思い浮かぶ方もいるかもしれない。
 そんなゴルチェのミュージカルがあるの⁉ファッションショー?面白そうと思い行ってきた。

 フェスティバルホールに集まったお客さんは、さすがにおしゃれな方が多く、お子さんを連れた癒し系モデルさんにも遭遇した。写真撮影コーナーなどもあって行列ができている。

 席に着いたら、舞台にキービジュアルが映し出されていてとてもかわいい(トップ画像)。若いころのゴルチェの頭にエッフェル塔や裁ちバサミやマドンナをイメージしたのかビスチェ姿の女性が刺さっている。時々、ゴルチェの眉の辺りが動いて表情が変わるのもいいね。

 いよいよショウが始まり、冒頭は手術のシーンから。え、こんなの観に来たんだっけと観客が思うのは想定済み。なんとこれはテディベアが手術されている。幼いゴルチェが、買ってもらったテディベアにアイスクリームのコーンようなブラを着けたところから彼のストーリーは始まるのだ。
 ファッションショーと映像とダンスと歌で構成されたこのステージは、キャバレーとファッションショーをミックスすることから発想したらしい。
 キャバレーとは、パリの社交の場でもあるショーを観る場所。10代の終わりにツアーでフランスに行った時、パリのキャバレーであるリドへ行った。男女が絡むようなダンスを見ていると、その女性が客席の全方向に大股を開いて見せる場面があり、日本からのツアー客の私達はどんな顔で見たらよいのか、固まってしまったという思い出がある。

 このゴルチェのショーでは、ゴルチェが男性と恋に落ち、同じボーダーのマリンシャツの中に二人で入って踊るシーンはさすがデザイナーこうやって愛し合っていることを表現するのね、と微笑ましかったが、"relax"の曲と「SEX」のネオンサインとともに繰り広げられた複数のカップルによる場面は、これまでミュージカル等では観たことのない攻めた表現だった。
 あとのシーンでも男性が女性のような膨らんだ胸を着けていたり、男性器のような黒いものを腰につけて振っていたりと常識を覆すところへ切り込んでいっているのを感じ、あの10代の日のキャバレーの何倍ものインパクトとなって、私達に迫ってきた。

 また全編に80~90年代のノリのいい音楽が流れているのもこのショーの特徴だ。ダンスはもちろんのこと、シンガーの歌唱力も圧倒的だったが音量的にはあまり目立ちすぎないように考えられていたのかなと思う。
 曲としては、特に"Le Freak""Move on up"や、などが印象に残り、とても元気が出た。spotifyにプレイリストがあったので、聴いてみると雰囲気が伝わるかも。


 デビッドボウイやボーイジョージらしきモデルが登場するシーンもあって、懐かしさに歓喜された方も少なくなかったはず。しかしようやくマドンナのヴォーグが始まったと思ったら、わりとあっさりと終わってしまった。欲を言えば、待ちに待ったこのシーンをもう少し引っ張ってくれてもよかったかな。

 途中で、
「ランウェイに上りたい人、手を挙げて」
とファッションポリスが客席に問うシーンがあった。すると、客席から黒い服を着た眼鏡の男の子が名乗り出た。地味に見えるが姿の美しい人だなと思ったら宝塚の男役スター七海ひろきさんだった。後で、見違えるようなカラフルな衣装で堂々と登場されて、思わず拍手。

 クライマックスには、ゴージャスなランウェイのシーンがありモデルが一列に並んだ姿は壮観だった。コーン型のブラの女性は、マドンナを思わせる力こぶのポーズをしているし、両性具有を表した衣装もある。ジェンダーレスや、多様性という言葉が流行る前から、ボーダレスな性が彼の好むテーマだ。このショーでは実際にファッションショーで着用された服もたくさん使われていたらしい。
 その後、モデルのみんなが服を脱ぎ、ヌードに近いような姿になった。どんなゴージャスな衣装もその人そのものの体にはかなわないというように。

行列ができていた写真撮影コーナー

 最後にゴルチェの声でナレーションが入った。
 お花のように細くて美人な女性だけが美しい訳ではない。僕のショーには以前から、太った人や背の低い人、黒人の人や年を取った人など色々な人に出てもらっている、どんな人にも美しさはある
というような内容だった。

 そういえば途中で、太めであまり背の高くない女性が、タキシードのようなパンツスーツを徐々に脱いでいくという場面があった。こういうシーンがあれば細くて脚の長い女性と言うのが鉄板だろう。無意識のうちに、そういうモデルを求めて見ていた気がする。
どんな人にも美しさはある、この言葉が深く響いた。

 折しもマスクを外す人も増えてきたころ、客席からの歓声もたくさん聞こえ、コロナ禍から開放された世界に生きているのを実感した。
 考えてみると過激に思えた性的な表現も、人間にとっては不可欠なこと。生きていくエネルギーであり、生命への賛歌とも取れる。奇抜に思えるファッションも、これまでに見たことのない美を認める提案や、美の画一化への反抗心の現れであると、ゴルチェは語っている。

 ポストコロナの新しい時代にあらゆる囚われから解放され、様々な美や価値観を認める自由な社会で生きていきたい。

アジア初上陸!



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