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【ss】君の前で霞む花

 幸せになって欲しい。そう思っただけなのに、空から柔らかい軌跡で落ちてきたブーケは僕の手元に飛び込んできて、全ての気持ちが駄目になった。花束が僕をばらばらにする軽さで、でも君が掴んでいた温もりを灯していて、目がカッと熱くなる。泣く資格なんて無い。周りの歓声に溺れる一瞬の間に、振り返った美しい君が、そんな僕を見てたぶんまっさらな気持ちで笑った。

 空は人の心も知らないで新郎新婦のためにきらきらと晴れてみせる。チャペルの鐘が今日を寿いで歌う。おめでとう! 幸せになってね。


 こっちの台詞じゃなきゃ駄目なんだ、それは。


 結婚式の招待状が来て、そこに「きみでは無理だったの」と書かれている。そんな訳はない。膨らんだ自意識のせいだ。招待されたら会いたくなってしまうし、なんと僕にその資格がある。あの人のことを思い出すと、とろんとした大きい瞳が悪戯っぽく笑うあの朝が部屋を照らすようだった。

「本当に優しいね、きみ」

「先輩にさ、手ぇ出せるわけないっすよ」

「性欲死んでるの?」

「あーはいはい。そういうことでいいです」

そういうことはちゃんとしたいんです、の間違いだよ。僕は僕を騙すのが得意なんじゃなくて、自分に嘘をつけないだけで……もしあの時、君に正直になっていたら


 君の隣でタキシードを着ていたかもしれない。


 今更自分のエゴにぞっとすることなんか、もうしょうがない。一人暮らしの部屋でスーツを脱ぐときに机に置いたブーケを眺め、家に花瓶が無いことに安心した。早く枯れてしまえばいいのに。僕は自分の唇の皮をむしる。プラトニックとは、臆病さの病名なのだ。今、極めて軽やかな意味で僕は死にたくなっていた。心の上澄みの部分で、人生分の灰汁が冷えている。

 今日、君は花だった。隣にいた男性も花だった。周りの皆も花だ。ただ二人だけが真ん中で、押し出され寄り集まる花々がいて、僕ははみ出しそうだった。でも僕も花だった。


 カスミソウが少し揺れた、ただそれだけのことだ。わざわざ僕を選んで飛び込んできたブーケを見て思った。僕は、主役になれないのに、君にとってはなんでもないのに、晴れの舞台へ「きみが居ないと」って手を取られて、賑やかしだなんてまるで感じなかった。美しいカスミソウはエンドロールの下から君を持ち上げた。今日とはそういうことだったんだ。


 僕は冷蔵庫から冷えたビールを出して一口煽ると、ブーケからカスミソウを一輪抜き出して缶に活けた。目障りな程ひたむきに咲く花だった。

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