傍流音楽記⑤神戸、京都そして大阪

大学に入った僕はインターネット環境を手に入れます。といっても当時、僕はインターネットは自分を堕落させるものだと信じており、家に回戦を引かず、大学の視聴覚室に通い詰めてパソコンを利用していました。よしもとファンダンゴの動画とローカルバンドの情報を片っ端から収集しており、いいバンドを見つけてはライブハウスまで観に行っていました。あの頃の行動力は本当に大したものだと思います。

ライブに行ったら頭から最後まで必ず居るようにしていました。これにはひとつ明確な理由があります。高校時代、クラスメイトのバンドを観に行ったことがありました。周囲はほぼ知らない人ばかりで、僕は友達のライブが終わったらすぐに帰ってしまいました。そのため、友人のバンドの後に出たガールズバンドを見逃してしまいました。徳島からわざわざやってきた3人組で、名前をチャットモンチーというガールズバンドでした。その数カ月後、ロッキンオンジャパンで特集を組まれているのを観て、自分がチャンスを棒に振ったことを痛感し、できるだけ全バンドを観ようと誓いました。

という訳で学生時代によく行っていたライブハウスの話をします。

神戸Blueport
ミドリを追いかける過程でヨルズインザスカイを知り初めて行ったライブハウスです。bachoが出ていて一曲目の「そうそう」で猛烈に感動しました。
nitro mega prayer、クッダチクレロあたりをまとめて観ました。
トリがsome girlsだったと記憶していますが色々混同している気がします。
その後、音響と雰囲気が良くて通うようになりました。
ここのイベントでモンスターバンドになる前のFear,and loathing in Las Vegasを観たことがあります。
また、初めてkillieを観たライブハウスもblueportです。
転換BGMが又吉イエスの演説、足元に置かれた蛍光灯で照らされながらパフォーマンスする姿に衝撃を受けました。
他にもthe brownやsweefを初めて観たのもここでした。
当時「裸祭」というオールナイトイベントをやっており、R3-N7やENSLAVEを観て最高にアガッた記憶があります。この時、寝落ちしてZを観られなかったことを未だに後悔しています。

京都WHOOPEES
八坂神社の横、ホテルの地下にあったライブハウスです。
地下にあり、かなり広くて楽屋も丸見えでした。
通い始めたのは京都で活動していたLA SQUASHというメロコアバンドを観に行ったのがきっかけでした。
モンスターバンドになる前のjizueを観て一発ノックアウトされたことがあります。すぐ物販で音源を買ってmixiでフォローしました。
ハードコア周りのライブにも良く行かせてもらいました。
完全なイカ阪スタイル(メガネにチェックのシャツ)でArbus、gusanos、burning signあたりのライブに通っていました。浮いていたと思います。
個人的に「ピット」とか「モッシュ」、「シンガロング」という概念を初めて体験できたライブハウスでした。
envyを初めて観たのもここでした。
Tela melosやnuitoと同じタイミングで観たはずなのですが判然としません。
あと、Bleachもここで観ました。おそろしく格好良かったです。

なんばROCKETS
かつて難波の高架下にあったライブハウスです。
様々なメジャー級のバンドを輩出した老舗のライブハウスで、フロアのド真ん中に柱が立っている斬新なつくりでした。
落研の後輩とmetal safariを観に行った記憶があります。
これは就職してからだったと思いますが「FMW」というサーキットイベントにも行きました。いちばん記憶に残っているのはフジロッ久(仮)です。一曲目でいったん完全に燃え尽きるほど熱量のあるライブをやっていたのが印象的でした。
現在は同じ場所に新しくライブハウスがオープンしています。

京都メトロ
京阪丸太町の駅に直結している、珍しい作りのライブハウスです。
たしか夢中夢を観にオールナイトイベントに行ったのが初訪問でした。z-z言語「ウ」(ニンゲンゴウカク)や鳥肌実さんが出ていた謎のライブでした。
メタルマックスというパフォーマンスグループが出演していました。爆音の打ち込みに合わせてキャベツを投げまくっていました。なぜかその人たちと仲良くなり、家にインターネットを引いていない話をしました。メタルマックスのメンバーの方は、少し考えて僕に言いました。
「それはさあ、泥棒をしたくないから腕を切り落としますって言ってるようなもんだよ」
この言葉は僕の心を撃ち抜き、翌日、僕はインターネットの開通手続きに申し込みました。あの言葉には本当に感謝しています。

様々なライブハウスに通い、単位を落とし、ライブハウスに通い、友達はできず、ライブハウスに通い、就活に失敗し、ライブハウスに通って、ギリギリ4年生の2月に落語の全国大会で優勝して、僕の大学生活は終わりました。落語以外に何も成し遂げられなかった大学生活でしたが、このタイミングで音楽を大量に摂取できたのは良い経験になりました。

傍流音楽記⑥梅田シャングリラに出る、ただし落語で。に続きます。

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が参加している募集

思い出の曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?