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シニア女性で、働いています。今までやりたい事を夢中になってやって来たので満足し、色んな…

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シニア女性で、働いています。今までやりたい事を夢中になってやって来たので満足し、色んな事から卒業しました。読む、書く、走るが今のルーティンです。シンプルに静かに暮らし、文字にしたい何かがあった時に発信して行こうと思います。2022年の夏に、スキンヘッドにしました。

最近の記事

無音が好きになった

身の回りの物を片付けていた時、何枚かあるCDも当然処分した。買い取り店へ持って行き、中でも好きだったアーティストのアルバムは全て持っていたので、思いの外高く買い取ってくれた。今は車の中でも無音で過ごしている。ずっと音に耳を委ねて来たので、最初は味気ない様な、何かが足りないような気がしていた。だがそれも「無音」が当たり前になると慣れて、心地良い落ち着く空間になった。なので、人の車に乗る時、走り出すと同時にかなり大きい音の音楽が流されて、正直「うるさいなぁ」と思うのだ。乗せて貰っ

    • 情報過剰社会

      今日もホームコースの一つをランニングした。曇りがちだけれど、青田を渡る風が気持ち良い季節で、走る距離も自然と伸びるというものだ。車の往来のある道の側道を進んでいると、前方に「良くない雰囲気」の若者ら数人が、地べたにだらしなく座っているのが見えた。そのまま進めば彼等は当然邪魔な存在で、でもいちいち争うのが面倒な私は、車道にはみ出るつもりで暫くそのまま走った。 いかにも、な連中である。中の1人がハッキリとこちらを睨め付けているのが視界にさっきから入っている。それはそうだろう。私

      • 初夏のランニング

        遅い時間に崩れるとの予報通り、薄暗い空の下、走り出した。茶刈機の音。刈り取られた所とこれからの所の、茶畑の緑のトーンの違いを面白く眺めながら進む。木の芽の匂い。むせ返るような揮発性の植物の香りが、大気に充満している。緑にこれだけ勢いがあると、怖さすら感じる。実際に、人工物の亀裂や僅かな隙間を縫って、植物は顔を覗かせている。人の気配が無くなれば、地球は瞬く間に緑のジャングルになるのだろう。そうなったらなったで小気味良い。人の力など、所詮自然には叶うわけが無いのだ。 私と同じく

        • 英語の学び

          英語を聞き取るのって、本当難しい。聞き取りが困難だから、正確な発音も難しい。単語単体で言うのと、文節の中に同じ単語がある場合とでは、音が異なる。隣り合った単語や前置詞によって、聞こえなくなる音や、変わる音がある。 その点、日本語は表記=読み、だから、単純でわかりやすい。平仮名、カタカナ、漢字、ローマ字といった表記の種類の多さや、敬語の使い分けなどの難しさはあるが、単語を並べただけで助詞や主語すら省いても、意味は通じる。 英語はアルファベットの数こそ少ないが、発音に関しては

        無音が好きになった

          雨の中を走る

          今、日課のランニングは、晴れの日だけと決めている。が、振り返ればエントリーした大会なら雨天でも走っていたし、ジャーニーランの長丁場では雨に何度も遭って来た。 夏に雨は多い。それも雷混じりの滝の様な雨の時もある。そんな時、流石にロードレースは開催されないが、仲間での走り旅や個人ジャーニーランの場合、決めた宿や駅に向かうしかないので、風に煽られ車から盛大に水をぶっかけられ、進む。ワイパーが効かない様な大雨の中、道の脇をバシャバシャ走る様は、もうランナーと言うより「気の毒な人」と

          雨の中を走る

          職場で泣く人

          そう言えば泣いてないなぁずっと、私。正しくは映画やドラマのちょっとした場面に涙する事はあるから、感涙ならある。今日、職場で泣く人を見た。余りつまびらかにしたくないが、簡単に言えばミスをした人が周りに慰められるうち、つい泣いてしまったという按配だ。 泣いた本人も周りを囲むのも、こういう時は女性陣だ。涙も欠伸も生理現象とするならば、止めようもないので仕方ないが、私自身は少々冷ややかな目で見てしまう。ミスして悔しい、慰められてホッとして出る涙。不甲斐ない自分への悔しさ、思わぬ優し

          職場で泣く人

          スーパーマーケット

          買い物はスーパーを利用する。人口数万の地方の町でもスーパーは乱立していて、数キロ圏内にいくつかある。そこへスーパーと薬局の垣根の無くなったドラストも次々出来るので、競争は激化している。但し、人気店とそうでない所の差は大きい。オープンから閉店まで駐車場が埋まっている店もあれば、日曜の昼間に数台しか停まっていない所もある。 全国展開のグループ企業傘下のスーパーが、実は好きではない。安い、PBも充実しているそこは、徹底したコストカットが見て取れる。開店から数時間のレジは基本1人で

          スーパーマーケット

          横断していたのは

          会社が退けて、いつもの長い道のりのハンドルを握っていると、鳥が道路を渡っていた。田んぼを貫く県道は、緩やかなカーブを描いている。平日であり、往来の少ない時間帯だ。 カルガモより大きな、嘴の大きな名のしらぬ鳥が幼鳥を数羽従えて道路を渡っていた。対向車線のトラックは先にブレーキを掛け、鳥達を見守っている所に私がやって来た。親鳥は既に渡り終え、雛を振り返り待っているのだが、一羽は急に踵を返して元の場所へ戻って行ってしまった。親鳥は鳴いて呼ぶのだが、車に驚いているのか、道に出て来な

          横断していたのは

          挨拶しなくていいか、と思う様になった

          挨拶の良さや重要性は知った上で、この年になって「別にしなくてもいいか」と思う様になった。この年というのは還暦で、それなりの人生経験を積んだ人間の言い分である。 挨拶を無視される事なんて珍しくも無いが、その度に苛々したり不安になったりするのは疲れるものだ。知り合いは「3回ルール」というのを決めていて、同じ相手に3回挨拶を無視されたらもうしない、を実行している。成程な、そういうわかりやすい自分の中の取り決めもあっていいか。 会釈を含め、挨拶というのは視界に誰かが入って来て、互

          挨拶しなくていいか、と思う様になった

          献血

          ランニング後なら良いだろう、と献血しに行った。先月頭に献血したばかりで、マニアの様だがそうではない。出先で献血バスを見つけたら協力しましょう、程度のささやかなボランティア精神に依るものである。 一応献血カードの登録があって、それを元に受付で問診とタブレットによるアンケートに答える。体重は昔と違い、その場で計量、靴のままでよい。問診とアンケートは殆ど重複していて、更にラミネートされた資料も目を通すが、これも殆ど同じ内容。海外渡航歴、ワクチン接種、服薬、ピアスホール、同性間性的

          春霞

          桜前線は「散り始め」から「葉桜」の方が多くなった。それでも八重桜や、私の知らない品種の桜がまだまだ咲き誇り、早春を彩るミヤマツツジ、初夏を思わすサツキやフジなど、花の競演は続く。今年はソメイヨシノがいつもより遅かったお陰で、一層華やかだ。 ランニングコースから眺める遠くの山々は、冬のくっきりした稜線から、霞の向こうに遠く見える様になった。間近の里山は、明度の異なる緑や山桜の煙る様な白で彩られたキルトをまとって、のどか、のどかである。 前から走って来たランナーが、元気よく挨

          映画「愛は静けさの中に」

          ろう者と健常者の恋愛の映画だ。それ故の齟齬や理解のし辛さが、恋愛を複雑にして行く。「こうあって欲しい」と相手に望む程、好きな相手の心が離れていくのに、そう望んでいる事すら気付けずにいる。 恋が、人生における花のような存在なら、それを愛に昇華させるのは想像よりも難しい。花を咲かすのは簡単で、それが褪せて来た時、我慢のならないものへと変容した時、恋が愛へ向かうかどうかの試練を迎えているという事なのだ。 ろう者と健常者の世界は、厳密に言えば混じり合うものではないのかも知れない。

          映画「愛は静けさの中に」

          春なんだなぁ

          花見にはちょっと冷たい風がぴゅうぴゅう吹く中、今日も走る。私にとって、走る事は仕事みたいだ。気の進まない時も、怠くて仕方ない時も、取り敢えず「しなきゃならん」事として取り掛かる。仕事とは違って具体的な報酬は無いけれど、終われば「やれやれやり遂げた」という確かな満足感に浸れる。趣味を問われた時に「ランニング」と答えるが、本音は趣味とも違うと思っている。日常に欠かせない行動の一つだからだ。 ヨーロッパの諺に「春は獅子の様にやって来て、羊の様に去る」というのがある。まさに今の冬と

          春なんだなぁ

          相槌を打たない人との会話

          身近に会話する時、相槌を殆ど打たない人が居る。たぶん無意識の癖なんだろうけど、やはり話しにくい。「うん」は勿論、頷く動作もしない。こちらの口元辺りを見つめ、固唾を飲んで聞いてる風情に、大した話でもないから、申し訳ない様な息苦しい様な気がしてくる。 彼女側が話し手になれば、こちらは自然に「うん」「へぇー」「そうなんだ」などと、レスポンスするが、また話し手が交代すると、先述のような身動きしない凝視が始まるので、全くもってモヤモヤ、イライラする。そう言えば彼女は話す側になっても、

          相槌を打たない人との会話

          春という季節

          洗濯物を取り込み畳み始めると、衣類が水仙の香りをまとっていた。寒さのまだまだ残る、浅い春の香りだ。冷えに身体を縮めながらも、これから迎える明るく爽やかな季節を想い、胸の中に暖かな灯が点った気がする。 県外へ異動して行く人に、クッキーを焼いた。昨日はスカイツリー程の高さの里山に登り、山頂のカフェの屋外テラスに腰掛け、見晴るかす山々や市街地、遠くの海を眼下に、取り止めもなくお喋りをした。 出会いと別れの季節。春を彩る花や香り、出来事の記憶が、ごちゃ混ぜになって沈んでいて、そこ

          春という季節

          欲しい物も行きたい場所も、会いたい人も知識欲も、ほぼ無くなった

          頂き物の鰻を食べた。国産長焼きが二枚で、8千円。今、お店で鰻重を食べようと思ったら一人前5千円は飛んで行くので、長焼きもこの位が普通なんだろう。何て値段だ。馬鹿みたいに高い鰻を、「美味しい温め方」通りに温め、無造作に茶碗に乗っけて食べた。この先も、自分で買ってまで食べる事は無いだろう、と思いながら食べた。 十数年着ているランニングウェアのポケットの一部が破けつつあったのを、繕った。穴あきパンツをようやく新調した。ある物を直しながら使う。ある物を無駄にせず献立を考え、調理する

          欲しい物も行きたい場所も、会いたい人も知識欲も、ほぼ無くなった