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不倫男ブラームスのそそのかし!

常々音楽好きを標榜しているが実は音楽に関する知識は皆無である。
ピアノを子供の頃に習って中学でソナチネ程度でやめた。他の楽器はできない。コードも解らないしイ長調とかロ短調とか何のことか分からない。
(だいたい何で日本の音楽教育はイロハとかドレミなんか持ち出すんだ?ABCで教えてくれたほうがもっとユニバーサルでわかりやすいはずだ)

ちゃんとそういう基礎知識を持って音楽を聴いている人はたくさんいるわけで、そういう人たちの話を聞くといかに自分が音楽について何も知らないかを思い知る。
そんじゃ何故私は毎日毎日、今日はジャズ、明日はクラシック今朝はロックで昨夜はラップと音楽を聴いて暮らしているのか??と内心謎に思っていたところ脳科学者茂木健一郎さんの本で「クオリア」という言葉を学んでなるほどと納得した。

クオリアとは外部からの刺激を受けて脳が経験する質感のことである。その質感に個々の神経機構が反応して様々な主観的体験が起きるのだそうだ。つまり音楽を聴いてその音の質感を脳が受け止めると神経細胞の興奮が起き心的現象や主観的な意識体験を生み出す。
この意識体験はあくまで主観的なものなので同じキムタクの声を聴いて「嫌な声だ、下手なくせに気取りやがって」と思う人もいれば「このちょっとずらした音程が甘くてラブリー!」と思う人もいるわけだ。
おもろいなあ。

確かに私は音楽そのものよりもこのクオリアと心的現象を楽しんでいるようだ。コンサート会場に座っていると頭の中にあとからあとから色んな反応や現象が現れてくる。それらに翻弄されて一時間くらいが過ぎコンサートが終わると我に返り、あれ?何の音楽だったっけ?みたいな。

ただしこのクオリアという概念、そんなものは存在しないと言い切る科学者もいるらしく論争に結論は出ていないそうだ。
でもあるよなあ、あるある。いやあるどころかそのせいで大変な人生の危機にさらされることすらある。

10年以上前あるクラシックコンサートに出かけた時のことである。曲目はブラームスのバイオリンソナタである。ブラームスを聴いていたら私はある思いというよりはほとんど確信に近いような強い信念にとらわれてしまった。

「私の人生に二人の男が同時に存在してもいーじゃん」

当時私はどうしようもなく恋をしていた。すでに結婚して子供も育てていたし、自分の生活に全く不満もなくそれどころかそれまでの人生にかつてなかったくらい充実し幸福だった。それにもかかわらず私はどうしてもその男に惹かれてしまっていた。
幸いにも距離が離れていたので「大事」には至らずに済んだが、まったく何のために40年以上も生きてきたのか分からないほど子供じみた気持ちで彼と話したい、声が聞きたい、会いたいと思いつめて暮らしていたのだ。

そんな時にブラームスのバイオリンを聴いた。普段好んで聴くバッハの両足でしっかりと地面を歩むようなストイックな重厚さとは違い、魂を解き放つようなどこまでも軽やかな伸びやかな旋律を聴いていたら「こんな風に自由に感情のままに歌うように生きることが間違っているはずない」という確信にとらわれ二人の男を同時に異なる愛し方で愛すことの何処が間違っているのかまったく分からなくなってしまったのである。

とはいえ、無論そんな言い分は一夫一妻制の社会では通用しないし夫も娘も賛成してくれるとは思えない。(女流作家、岡本かの子は夫岡本一平と愛人の男と息子のちの芸術家、岡本太郎と4人で暮らしたが、私は娘を岡本太郎のような爆発者に育てたいとは思っていない)
混乱する頭を抱えて弱りはてて帰宅した私はいつも冷静なアドバイスをくれる親しい友人にメイルを送った。返事がすぐに返ってきた。

「大変興味深いお話です。ご存知かも知れませんがブラームスは恩師であるシューマンの妻、クララシューマンと恋愛関係にあったと言われています。そのブラームスの作品を聴いて貴女がそんな風に感じたのならば、それはもっとも正しいブラームスの鑑賞法でしょう!」

もちろん無知な私はブラームスとシューマン妻のことなんてまったく知らなかった。

ということはブラームスは「いいじゃん、やっちゃおーよ」と人妻(しかも恩人の妻!)をそそのかしその気にさせるために表面的には理知的で上品に聞こえるが実は扇情的なメッセージを秘めた旋律を作曲し、そのメロディーのクオリアが何百年も隔てて、この夜コンサート会場で私の神経細胞を刺激して社会規範に反するような主張をあたかも正しい主張のように信じ込ませてしまったに違いない。驚きではないか?

果たしてブラームスが彼の音楽でクララシューマンを口説き落とせたかは知る由もないが(生涯プラトニックだったと伝えられている)私だったらいとも簡単に落とされちゃってたわけか??

そういうわけでブラームスにはすっかりその気にさせられたのだが肝心の彼はちっともその気になってくれず、まったく情けないフラれ方をしてその恋は終わってしまった。くわばらくわばら。

思うに音楽を安全に楽しむ為にはやはり基礎知識が必要なのである。ブラームスのそんな下心を知っていれば私ももう少し用心して彼の音楽を聴いていただろう。あやうく人としての道を踏み外すところでありました。はい。

逆に現在の日本のように不倫バッシングが異常な現象となっている場合にはワイドショーやCMでBGMにブラームスを流してみたらどうだろう?とたんに「人間の自然な感情を抑圧することこそが悪である!」みたいな世間の風潮に変わっちゃったりするかもしれない。


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