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中学校教員を辞めて5年 これまでの歩みを振り返ります【仕事・家庭・今後】

私が埼玉県の中学校教員を辞め、おうちフリースクールの運営など新しい働き方を始めてから5年が経過したことに気が付きました。
本当にあっという間!
教壇に立ってチョークを使って授業をしたり、プールサイドで部活漬けの日々を送っていたことがついこの間のことのよう。
けど、当時の生徒達もほとんどが社会人だもの。そりゃ時は経っているよね。

というわけで、この5年間の歩みを振り返ってみたいと思います。

▽仕事


私は2019年3月末付で埼玉県の中学校教員を退職しました。
もうちょっと詳しく書くと、2018年春から異動になった某中学校での1年間に関しては、原因不明の高熱やその他体調不良等の理由によりまるまる休職していたので、この2018年もキャリアチェンジゼロ年としてカウントして良いかと思います。

▼退職を検討し始めた1年


私が異動先の中学校で休職に入ったり、退職を決意した経緯については、もうしつこいくらいにnoteに書いていたので、今回は省略。

これでも学校の仕事は結構好きだったので、休職に入りたての頃は復帰するつもりで体調の回復に努めていました。
そこから一転「もう、学校に戻ることにこだわらなくてもいいかも」と思い始めたのは、休職から2カ月くらい経った頃かな。

熱も38℃から全然下がらないし、何より勤務先がなかなかアレで…(笑)

いろんなことをされたり言われたりする中で「そこまでして戻る意味∵」と急激に冷めてしまったわけです。

ちなみにこの勤務先の珍事アレコレについて詳細に書いたnoteは、ある日閲覧不可になってました(遠慮なく細かく書きすぎたのが理由と思われる)。ビュー数ダントツだったんだけどな。恐らく読者の多くは、当時の私と同じような境遇にある先生達だったので、役に立ててもらいたい記事だっただけに残念。

まぁでも6年も前の話です。
当時は「私にしたこと、今度別の先生にしたら許さないぞ」と一生懸命書いた記事も、今さらチクチク書き直そうという気はまったく起きなくなりました。
当時の上司や上の方々の対応について、もう何とも思っていないと言ったらウソになるけれど、なんかもう、あんまり言うのもかわいそうになっちゃったんですよね。いろんな意味で。

何より私自身この5年間新しい出会いや仕事が盛だくさんだったので(正直忙しくて思い出してる暇もなかったので)、もう新しい記憶で上書き保存されてしまった感じ。
もちろん公教育の現場での理不尽はこれ以上繰り返されないでほしいけれど、わたなべがやれることはもう全部やったし、そろそろもういいかなという気分です。

脱線しましたが、そんなわけで1年間の猶予期間を経て、私は中学校教員を退職したわけであります。

▽仕事

▼転職活動を通して視野を広げる

中学校教員を退職した私は、おうちフリースクールという形で自分の教室を開くことに決めました。
おうちフリースクールの概要や歩みについては私のnoteで紹介しているので興味のある方はご覧ください。

学校は辞める、でも何らかの仕事はずっと続けたいと何でも欲しがるマミちゃんだったので、新しい働き方の模索にはそこそこ時間を要しました。

最初からいきなりフリースクールを始めようとしていたわけではなく、友人の勧めで転職サイトに登録して、転職活動をするところから始めました。
結局どこの企業にも就職しなかったのですが、この転職活動を通してたくさんのインスピレーションを受け、最終的に「自宅でおうちフリースクールを始めよう」という結論に至りました。
「一度、教育の仕事から離れてやる!」というちょっとした反抗心みたいなものが芽生えた時期もあったのですが(笑)、結局収まるところに収まっちゃった形ですね。

※余談ですが、「つぶしがきかない」と悪口言われがちな教員、案外欲しがってくれる企業が多かったのが意外でした。塾や療育関係以外にも、また割と大手でも、幅広い企業で正社員として採ってもらえるものなんだなぁという発見がありました。

▼おうちフリースクール運営の3年間

おうちフリースクール開業への準備は2018年12月頃から本格的にはじめ、翌2019年4月には無事オープン。
なにせ当時周囲に(多分全国に)例のない業態でしたから、最初は不安もありました。が、何だかんだ2022年3月に産休に入るまで3年間、愉快に平和に続けることができました。

キャリアチェンジが成功だったか失敗だったかと聞かれたら、私は「遂行してよかった」と言えるかな。
展開しているそれぞれのナリワイの運営も今のところは順調ですし、何より教育者として自分の視野が広がった事、学校にいた頃よりも支援の引き出しが増えたこと、自分のための勉強の時間が増えたことがとてもよかったです。
これからも、もっともっと上手な支援ができるようになりたい、そういうポジティブな気持ちが一層高まっている実感があります。

また、学校を飛び出したことで他分野の専門の方との出会いが増えたことも私の人生にプラスになりました。

2024年現在、私はたまに埼玉県桶川市内の別のフリースクールのお手伝いもさせてもらっているのですが、そのフリースクールは社会福祉関係の先生がオープンさせたフリースクール。
公立学校にいたら、社会福祉の分野のことなんてチンプンカンプンのまま一生を終えていたと思うので、この出会いには大変感謝しています。

そうそう、このスクールの先生のおかげで、私の”推し”のお一人である、養老孟司先生と実際にお会いすることができたことも、私の人生における忘れられないイベントとなりました。
憧れの先生に帯同させて頂いた時間、かけて頂いたお言葉、一緒に写らせてもらったお写真は、一生の励みになることでしょう。心から感謝。


▽家庭

▼一番の変化

私の中学校教員退職というキャリアチェンジにおいて最もQOLが上昇した人物、それは私の夫であると思います。
彼は、重度のワーカホリックを患う妻の転職を機に、6年間にわたる”兼業主夫及び同居人の世話係”から遂に解放されたのです。

朝5時台に出て行った妻の布団を畳み、都内の仕事から帰った後は栄養バランスの整った夕食を用意し(そしてそれはしばしば「遅くなるから夕飯いらない」のメール一つで冷蔵庫にしまわれる)、妻の帰宅時間に合わせて風呂を沸かし、朝畳んだ布団を再び敷きなおす…
そんな哀しい結婚生活から、彼はようやく解放されることが許されたのです。
「当時は当時で楽しかった」と本人は証言していますが、こんな生活の一体何がどう彼の欲求好奇心を満たしていたのか、未だに謎です。

キャリアチェンジを試みてからは、ワーキングアワーはキッカリ8:30-17:00と決め、家事炊事もちゃんと分担できるようになりました。
心なしか以前より夫も顔色がいいような気がするし、彼自身も自分の生き方について深く、そして楽しそうに展望するようになった気がします。
夫婦の、家族みんなでの夢もさらに増えたかな。
家庭のこと、日々の暮らしを大切にできるようになったことは本当によかったなぁと思います。

▼イヌと子ども

私生活で一番大きかった変化は、やはりイヌの存在です!
夫の長年の夢であった「イヌとの共生」が実現したことは、大きな転機でした(にもかかわらず肝心の夫とイヌが不仲なのがウケる)。

それから、私自身が自分の子どもをもつことに前向きになれたのも、キャリアチェンジ後の大きな変化だったと思います。
公立学校に勤め続けていたら、たぶんずっと私は自分の子どもを持つことには積極的にならなかったんじゃないかな。
心と時間の余裕が出てきたことで、初めて、自分が母になることについて検討することができるようになりました。


▽今後のこと

結論、大きなキャリアチェンジから5年、私は今の生活を気に入っていると思います。
正直今でも学校教員をしていた日々を懐かしく思うし、失ったものも多いけれど、それでも今の生活が気に入っている。

まだまだ自分の子どもに手がかかるので本格的な仕事復帰は数年後になると思いますが、復帰に向けたプランニングや勉強がとても楽しい毎日です。
次はどんな形で教育の仕事をしようかな、子どもが大きくなったら何の勉強をしようかな?と日々妄想してはニヤニヤしております。

以上、公立中学校を退職してから5年、これまでの歩みを振り返ってみました。
これからもよりよい仕事ができるように、ますます精進してまりまーす!



※画像はとりのみや(仮)さんの作品をお借りしました。






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