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私が公立中学校教師を辞め、フリースクールをはじめた理由

「生涯、教育で生きて行こう」

大変なことも山ほどありましたが、「やっぱり教師としてやっていきたい。定年まで続けよう」と決意を固めたのが2018年の3月。

教師にとっての”見習い期間”といわれる5年次を終了し、”中堅”として新しい学校に送り出される春でした。

たくさんの思い出をくれた生徒たちとの別れは思い描いていた以上に辛い体験でしたが、それでも新しい出会いを前に、私は前向きでした。

これまではどうしても、”若いネーチャン先生”という扱いから抜けられなかったけれど、これからはやっと一人前の教師として、胸を張って仕事ができる。

これからは自分も学校を引っ張っていく一員になっていくんだと。

が、その異動のわずか1年後、私はあっさり公立中学校教員を辞めました。
理由はシンプルで、異動先の同僚による性別を理由とする理不尽な嫌がらせや、教育者としてとても尊敬できないような言動行動を繰り返す上司の元で働くことに、心底うんざりしてしまったためです。

まぁそれなりに頭に来ましたし何より非常に残念な気持ちにはなったのですけれど、
「結局どんなに経験積んで学級運営頑張っても子どもの学力伸ばしても部活で生徒たちと賞状トロフィー獲ってみても、ただ"女である"というだけでこの扱いか。」
と思うと、自分でも驚いてしまうくらい気持ちが冷めてしまったのです。

しかしおかげで「自分が本当にやりたい教育」について、あらためて見つめ直すようになりました。

異動前の学校での最終年度こそ学級担任、部活動顧問、生徒指導担当と、様々な肩書きを身につけて自信をつけたつもりになっていたけれど、今までの自分の教育観が本当にすべて正しかったと言えるのだろうか?

新米1年目からずっと大切に保管してきた生徒や保護者の方からのお手紙を全部引っぱり出してきて1枚1枚読み返し、「自分が今まで何を身につけ、何を失ってきたのか」「そもそも自分は何がしたくて教師を目指したのだろうか」と考え抜きました。

こうして、いろいろな感情や思い出にまみれる過程で答えが見えてきました。

異動先でのことは不運ではあったけれど、公立中学校の教師としての仕事はまあまあやりきったなと。

私程度の未熟者がこんなことを言ったらベテランの先生方には怒られそうですが(笑)でも、心の底からそう思えたんです。

悩み抜いた5年間でしたが、最後の最後にもった学級では、ようやく自分にOKが出せました。子どもたちの力を借りて、私も教師として大きく成長できた1年間でした。
自分の学級だけでなく、学年の先生方も、学年全体の生徒たちも本当に素晴らしく、多くを学んだ時間でした。

赴任当初はほぼ騙されるように持たされた問題行動多発の某運動部は(今となっては笑い話)、歴代の生徒たちのおかげで、最後には「私のホーム」と言えるほど愛しい場所になりました。

「もう何も思い残すことはない!」と胸を張って言えるほど、やりきりました。
あぁ、もう何も未練はないし、満足しているなと。

そんな事を実感するうちに、「そろそろ、一人ぼっちになって自分の教師としての力量がどれほどのものか試す時では」と考えるようになりました。

冒頭嫌がらせの件ではブーブー不満をたれましたが、それじゃあ私は今、性差別さえも跳ね返すほどの実力を身につけているのだろうか。

それを確かめるために、自分の思う教育を、自分の責任でとことんやってみよう。

それによって、本当に子どもたちが良い方向に変化していくかどうかを、責任をもって見届けてみたい。

そのために自分の教室を開き、自分の力で営んでみようと考えました。
また、いち公立中学校が機能不全に陥っていると認めざるを得ない現状になっている様を目の当たりにし、組織の内部から効力のある変革を起こすのにも限界があると感じていました。
本気で変化を起こすのなら、組織を飛び出す事が必須と考えました。

その結果がフリースクールでした。

いわば、私も学校からとび出してきてしまった人。

こんな私だからこそ、同じように学校で傷ついたり、人生の壁にぶち当たった子どもたちに、嘘偽りない心で寄り添えるのではと思っています。

そんな挫折の春からもうすぐ2年。

今、私の日常には、何にも追われない、ゆったりとした優しい時間が流れています。

生徒たちの登校を必ず教室内で出迎える。

一人ひとりと、ゆっくり他愛のない話をしながら1日をスタートする。

生徒が”何かをできるようになる”瞬間を逃さず見届け、一緒に喜んだり、笑ったりする。

大人の都合や一方的なルールで子ども達を縛りつけることなく、一人ひとりと向き合える。

公立で働いていた頃にはできなかった日々のアレコレが今はできています。

私生活のほうにも目を向けてみましょう。

朝起きて、カーテンを開けてゆっくりとコーヒーを淹れる。

家族の外出を「行ってらっしゃい」と見送る。

部屋の隅々まで清掃をし、家の手入れをする。

本筋から大きく逸れ大人の権利の奪い合いのようになっていく会議も、上から乱暴に降ってくる意味のない仕事もありませんので、今は”教師”としての勤務時間のほぼすべてを”本当に生徒たちの利益になる業務”だけに使うことができています。

自分の教育観を本気で追い求めようと決意して

本気で変わろうと決意して

その結果、今、本当にそうして良かったと感じています。


それにしても、やっと書けた。

ようやく過去を整理して、本当の意味で前に進み始めることができていると感じます。

かねてから私のnoteでは「自宅フリースクール」運営のためのノウハウを少しずつ発信していますので、ご興味のある方はぜひ定期的に覗きにいらして下さい。

「こんなことについて書いてほしい」というようなリクエストも、喜んでお待ちしております。

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